6ぴきめ(2002年10月)
特集・性について話そう
    〜男と女のカップルって「ふつう」なん? 

インタビュー
自分(じぶん)(せい)()つめ(なお)すことから
平野(ひらの)(ひろ)(あき)
   

 同性愛(どうせいあい)なんておかしい」と(おも)っている異性愛者(いせいあいしゃ)のあなた、まず自分(じぶん)自身(じしん)(せい)について()つめ(なお)してみませんか? 大阪(おおさか)府堺市(ふさかいし)高校(こうこう)教員(きょういん)で、ゲイ(男性(だんせい)同性愛者(どうせいあいしゃ))の立場(たちば)から発言(はつげん)活動(かつどう)をされている平野(ひらの)広朗(ひろあき)さんにお(はなし)をうかがいました。(文責(ぶんせき):編集部(へんしゅうぶ) 


 (せい)について(はな)そう 

 同性愛(どうせいあい)がヘンだと(おも)ってる(ひと)(おお)いですけど、そういう(ひと)に「差別(さべつ)はいけない」と()ったところで意味(いみ)がないんですよね。いくら説明(せつめい)()けたり(ほん)()んで勉強(べんきょう)したりしてもわかるものではない。実際(じっさい)同性愛(どうせいあい)(ひと)とつきあってみたら(べつ)にヘンでもない、てことがわかるはずなんだけど、自分(じぶん)同性愛者(どうせいあいしゃ)だと(あき)らかにしている(ひと)(すく)ないからなかなか出会(であ)えない。本当(ほんとう)(まわ)りにいっぱいいて出会(であ)っているのに、わからないんです。

 同性愛(どうせいあい)(ひと)が「同性(どうせい)()きだ」とフランクに()えるような人間(にんげん)関係(かんけい)をつくる前提(ぜんてい)として、異性愛(いせいあい)(ひと)(がわ)自分(じぶん)(せい)について自己(じこ)検証(けんしょう)する。エロ(ばなし)じゃなくて、まともな観点(かんてん)()ずかしがらずに自分(じぶん)(せい)について(はなし)ができたらいいと(おも)いますね。自分(じぶん)相手(あいて)のどんなところに()かれたり欲情(よくじょう)したりするのか、どんなセックスや恋愛(れんあい)をしたいのか、実際(じっさい)にしてるのかなどを()しあってみるでしょ。すると多分(たぶん)、「えっ、そんなことしてるの?」みたいな、自分(じぶん)にとっての()たり(まえ)(ほか)(ひと)にとっては()たり(まえ)じゃなかったり、「自分(じぶん)はこんなことして変態(へんたい)じゃないか」と(おも)ってたのが(じつ)(ほか)(ひと)もやっていてすごく()たり(まえ)のことだったり、いろんな発見(はっけん)があっておもしろいと(おも)うんだけど。

 みんな猥談(わいだん)や「何人(なんにん)とヤッた」というような武勇伝的(ぶゆうでんてき)(はなし)はするけど、そういうところまでは(はなし)がいかないのかな。そういう(はなし)ができる人間(にんげん)関係(かんけい)をつくるのがなかなか大変(たいへん)なんですよね。でも、自分(じぶん)のことを()つめ(なお)して(せい)について(かた)()うのがすごく(たの)しいという人間(にんげん)関係(かんけい)異性愛者(いせいあいしゃ)(あいだ)でできてくれば、同性愛者(どうせいあいしゃ)(がわ)自分(じぶん)(ひら)いていく。そうすれば、自分(じぶん)とは(ちが)(ひと)たちの()(かた)がわかってきてお(たが)いに(たの)しいと(おも)うんですけどね。でもそれが「同性愛者(どうせいあいしゃ)のため」となったら面倒(めんどう)くさいでしょ。これは自分(じぶん)のためになるということだよね。自分(じぶん)のことがもっとわかるようになるし、こんなこともしてみようかという()になったりする。(せい)(たい)して貪欲(どんよく)になること、ですね。


 もっと(ひろ)がる可能性(かのうせい) 

 (せい)についての自己(じこ)検証(けんしょう)というのは、たとえばポルノビデオをいろいろ()ていくだけでも、自分(じぶん)がどういうのが()きかというのが自然(しぜん)にわかってきたりしますよ。(むずか)しい(ほん)()むよりも、そのほうが()(ぐち)としてはおもしろいかもしれないね。

 最近(さいきん)はインターネットですごい 変態(へんたい)チック=@なサイトがいっぱいあるでしょう。そういうサイトに意外(いがい)とたくさんの(ひと)がアクセスしていて、わりと簡単(かんたん)に「(ほか)(ひと)はこんなことしてる」というのが把握(はあく)できるようになってるから、(むかし)(くら)べたら 変態(へんたい)=@に(たい)する敷居(しきい)(ひく)くなっていますよね。(いま)ぼくが頻繁(ひんぱん)にチェックしているのはチンポの画像(がぞう)ばっかりのサイト。最初(さいしょ)(おんな)(ひと)()けて「一発(いっぱつ)やりませんか?」というような、チンポによる出会(であ)(けい)サイトだったわけ((わらい))。だけどそれはネットだから、()てる(ひと)(おとこ)(おんな)かわからないでしょう。最近(さいきん)は「(おとこ)でもかまへんか?」とかいう投稿(とうこう)()てきて、だんだんゲイとかヘテロセクシュアル(異性愛者(いせいあいしゃ))、バイセクシュアル(性別(せいべつ)性愛(せいあい)重要(じゅうよう)要因(よういん)とならない(ひと))の境目(さかいめ)がなくなってきたのかな、おもしろくなってきたと(おも)っていたら、その()残念(ざんねん)なことに、「ホモは()()け」とかいう論争(ろんそう)になってしまったんだけど。

 インターネットのサイトだと、直接(ちょくせつ)()うわけじゃないから、直接的(ちょくせつてき)にショックを()けたり嫌悪感(けんおかん)()ったりすることがない(ぶん)気軽(きがる)にいろんなところを()(ひと)()えたのかな。そうすると面白(おもしろ)半分(はんぶん)からはじまって興味(きょうみ)許容(きょよう)範囲(はんい)(ひろ)がっていく可能性(かのうせい)があるのかなと(おも)います。サイトは匿名(とくめい)だから無責任(むせきにん)なところもあるんだけど、気持(きも)ちよかったら男女(だんじょ)関係(かんけい)ないんちゃうかと(おも)える(ひと)()えていけば、おもしろいかもしれないね。ひょっとしたら、そういうところから性愛(せいあい)のあり(かた)()わるかもしれないなと(おも)いますね。


 現実(げんじつ)()きわめる 

 異性愛(いせいあい)だけが(ただ)しいというのが(いま)の「強制(きょうせい)異性愛(いせいあい)社会(しゃかい)」だけど、それは現実(げんじつ)をよく()ていない(ひと)()うこと。現実(げんじつ)をよく()ていれば、同性愛(どうせいあい)(ひと)がいる。いるものはいるんだから、そのまま(みと)めるしかない。自分(じぶん)(この)みでしか物事(ものごと)()ようとしない(ひと)は、自分(じぶん)(ただ)しいと(おも)っているものを(まも)らないと、()っているところがなくなるから不安(ふあん)なんですよね。それは結局(けっきょく)幻想(げんそう)なんだけど、その幻想(げんそう)にしがみついて他者(たしゃ)排除(はいじょ)することによって自分(じぶん)(たも)っている。(せん)()めたら、それは誠実(せいじつ)じゃないよね。やっぱり現実(げんじつ)をきちんと()きわめる能力(のうりょく)(みが)くしか()はないかなと(おも)いますね。

 一方(いっぽう)で、ゲイも差別(さべつ)されるだけでなく差別(さべつ)する(がわ)()ってしまう場合(ばあい)もあるから、いろんな(めん)での自己(じこ)検証(けんしょう)必要(ひつよう)です。たとえば同性(どうせい)どうしの結婚(けっこん)(おお)くのゲイは賛成(さんせい)するだろうけど、そんなに簡単(かんたん)問題(もんだい)かとぼくは疑問(ぎもん)(おも)っている。同性愛者(どうせいあいしゃ)異性愛者(いせいあいしゃ)真似(まね)たような(かたち)結婚(けっこん)という制度(せいど)()っかってしまっていいのか。その制度(せいど)()っかるということは、自分(じぶん)が 異性愛者(いせいあいしゃ)(なみ)=@になって抑圧(よくあつ)する(がわ)にまわってしまうことにもなるんです。


 結婚(けっこん)制度(せいど)同性愛者(どうせいあいしゃ)差別(さべつ) 

 「障がい者(しょうがいしゃ)だったら結婚(けっこん)差別(さべつ)(くる)しむけれども、ゲイは結婚(けっこん)しないから関係(かんけい)ないだろう」と()われたりもするんですよ。でも、ほとんどのゲイは結婚(けっこん)したくなくてもさせられているんです。それは「結婚(けっこん)して一人前(いちにんまえ)」という社会(しゃかい)結婚(けっこん)規範(きはん)があって、独身(どくしん)でいたらおかしいと()われるからでしょ。そしてそれは、自分(じぶん)(いつわ)って()きているわけだから、多分(たぶん)不幸(ふこう)人生(じんせい)だよね。

 他方(たほう)障がい者(しょうがいしゃ)障害(しょうがい)があるから結婚(けっこん)したくてもできないとされる。それはやっぱり「一人前(いちにんまえ)人間(にんげん)じゃないと結婚(けっこん)できない」という規範(きはん)があるからでしょう。結局(けっきょく)障がい者(しょうがいしゃ)結婚(けっこん)したくてもできないのと同性愛者(どうせいあいしゃ)結婚(けっこん)したくなくてもさせられるのと、つながってるんですね。そう(かんが)えたら、これはいろんな問題(もんだい)にリンクしている。同性愛(どうせいあい)について(かんが)えることは、(けっ)して同性愛者(どうせいあいしゃ)だけの問題(もんだい)じゃなくて、(ほか)(ひと)にも(かか)わっていく問題(もんだい)でもあるということです。

 結婚(けっこん)本人(ほんにん)どうしの意思(いし)ではなく社会(しゃかい)(みと)め、社会(しゃかい)によって(かこ)()まれてしまうシステムです。よく在日(ざいにち)コリアンや部落(ぶらく)出身(しゅっしん)(ひと)(たい)する「結婚(けっこん)差別(さべつ)」が問題(もんだい)になるけど、そのことに()がついたら、「結婚(けっこん)差別(さべつ)」を()うこと自体(じたい)が「加害者(かがいしゃ)」の(がわ)にまわってしまうことだとわかる。同性愛者(どうせいあいしゃ)にも結婚(けっこん)(みと)めろというのも(おな)じことです。ぼくは結婚(けっこん)してワンセットで権利(けんり)()るなんて手抜(てぬ)きをせず、パートナーとの関係(かんけい)において必要(ひつよう)権利(けんり)をひとつひとつ要求(ようきゅう)していくべきだと(おも)う。権利(けんり)(えら)んでいくようになったら、最終的(さいしゅうてき)には結婚(けっこん)制度(せいど)(なん)意味(いみ)があるの?ということになる。それがぼくの目指(めざ)すところなんです。

 
ひらの・ひろあき●定時制(ていじせい)高校(こうこう)教師(きょうし)(つと)めつつ、ゲイ・リブ(ゲイ解放(かいほう)運動(うんどう))にかかわる活動(かつどう)展開(てんかい)(なま)(こえ)をぶつけてくる生徒(せいと)から(まな)ぶことは(おお)い。




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