40歳で会社員から絵描きになった東野健一さんは、インドのポト(紙芝居)の制作上演もされています。神戸市内にあるアトリエでお話をうかがいました。(文責: 編集部)
40歳でそれまで働いていた会社を辞めて、インドにポトを見に行ったんです。そのときは絵描きになろうとは思ってたけど、ポトゥア(絵巻物師)になろうとは思ってなかった。
2年後に画廊ではじめての個展を開いてね、1週間座ってるわけですよ。でもなんかおもろないねん。それでもっと自分らしい表現の方法を探り始めて、ポトをやってみようと思った。人前で絵を見せてしゃべるなんてしたことなかったから結構勇気がいったけど、あるお寺に5日間泊り込んで毎日紙芝居をやったんよ。胃は痛くなるし、「もうやりたくない! 恥ずかしい!」という感じで(笑)。でも、3日目が終わって片付けてたら、おばあちゃんがお孫さんと一緒にやって来て、「兄ちゃん、その絵も描いたんか」と言ってぼくの手に百円玉を2枚乗せてくれた。そのおばあちゃんは目が見えへん人やってん。ものすごいうれしくてね、やってよかったと思った。しばらくの間、それがものすごい励みになりましたね。
ぼくは今55歳。子どもの頃はまだ物質的にも恵まれてないときやし、物がないときにどう遊ぶか、きょうだいからどう奪って食べるかとか(笑)、いろいろやってきてるんよね。それってすごく大事な部分で、今の若い人たちが経験しようと思ってもできないことをぼくは経験してきている。その経験を通して頭や体の中で練れてきたものが、今のぼくをつくっているわけでしょう。そのぼくなりの美意識、きれいとかおもしろいと思うこと、絶対大事やと思うことなんかをどんどん言っていくことが、あくまでも表現者としての自分の仕事やと思う。
だから、知識とか教養でしゃべるのはやめようと思ってる。自分の経験で、自分の足で歩いて、自分の眼で見て自分の鼻で嗅いできたものをしゃべる。
よくあるんですよ、ぼくが「インドでね、そのへんの土をこうこねて家を建てるんです」とか話すでしょ。すると途中で「それ知ってる! テレビで見た!」って言う人がいる。ぼくの話を自分の引き出しでウソかマコトか探して、テレビの引き出しにその話が入ってたら「それは正しい」と言うわけやね。自分の引き出しから何も出てこない場合は不安になる。そこで拒絶して見ないようにするか、より興味をもつかは人それぞれやけど。
でも、ぼくもいろんな人と付き合っていくなかで、ものの見方というのを学んでいったんよね。ここにはよく若い子が来るんやけど、それがものすごいうれしいね。ぼくが思ってる美意識とか感受性を人に伝えるといっても、いつも同じ仲間に伝えててもしょうがないでしょ。全然ぼくと生活が違うところで生きている、特に若い人たちに伝えていける場がもてたらいちばん幸せやね。それが、ぼくの表現の方法やから。
ひがしの・けんいち●1947年神戸市長田区生まれ。40のとき、インド・西ベンガル州で絵巻物を見せながら話をするポトゥアに出会う。現在、国内外でポトの上演を行ないつつ、絵の個展を年に数回開催。