1ぴきめ(2002年5月)
特集・バリアフリーって、いろいろやねんなぁ

座談会(わたし)にとってのバリアフリー



 障害(しょうがい)をもつ(ひと)たちは、日頃(ひごろ)どんなバリアに直面(ちょくめん)しているのでしょう? バリアは、それぞれの障害(しょうがい)生活(せいかつ)などによってさまざまです。今回(こんかい)障害(しょうがい)をもつ当事者(とうじしゃ)障がい者運動(しょうがいしゃうんどう)をすすめる(ひと)たちに(あつ)まっていただきました。場所(ばしょ)はJR吹田駅(すいたえき)(ちか)くにあるバリアフリー喫茶(きっさ)PINO(ピノ)有機野菜(ゆうきやさい)をふんだんに使(つか)ったおいしい料理(りょうり)とお(ちゃ)をいただきながら、それぞれがぶつかってきたバリアについて、そのバリアをなくすこと(バリアフリー)について(かた)りあいました。

  ◇参加者(さんかしゃ)敬称略(けいしょうりゃく)・50音順(おんじゅん)                
    ※
肩書(かたがき)は2002(ねん)月現在(がつげんざい) 

  入部(いるべ)香代子(かよこ)豊中市(とよなかし)議会議員(ぎかいぎいん)脳性(のうせい)マヒ)
  (うま)(がき)(やす)(よし)(ぷくぷくの(かい)(だい)(ひょう)
  大音(おおと)(あつし)吹田市(すいたし)山田(やまだ)中学校(ちゅうがっこう)年生(ねんせい)、ダウン(しょう) ※文中表記(ぶんちゅうひょうき):(あつし) 
  大音(おおと)(ひろし)大音(おおと)(あつし)(ちち)、コープ生活(せいかつ)ネット理事(りじ) ※文中表記(ぶんちゅうひょうき):大音(おおと) 
  越智(おち)清光(きよみつ)吹田市(すいたし)片山(かたやま)中学校(ちゅうがっこう)教員(きょういん)、「障がい者(しょうがいしゃ)権利保障(けんりほしょう)をすすめる(かい)事務局(じむきょく)) 
  松井(まつい)真美子(まみこ)喫茶(きっさ)PINO(ピノ)オーナー)
  三原(みはら)ひろみ(ぷくぷくの(かい)・すいた自立支援(じりつしえん)ンターねばーらんど、視覚障害(しかくしょうがい)) 
  司会(しかい):編集部(へんしゅうぶ)




 (がっ)(こう)のバリアフリー 

――まず(いま)(がっ)(こう)状況(じょうきょう)を、中学校(ちゅうがっこう)教員(きょういん)でもある越智(おち)さんからお願いします。

越智(おち) (わたし)事務局(じむきょく)をしている「障がい者(しょうがいしゃ)権利保障(けんりほしょう)をすすめる(かい)」では、吹田市(すいたし)(がっ)(こう)教員(きょういん)(おや)(ひと)たち、障がい者(しょうがいしゃ)運動(うんどう)をすすめる(ひと)たちが(あつ)まって、障がい者(しょうがいしゃ)権利(けんり)がきちんと(まも)られているかどうかを点検(てんけん)して、行政交渉(ぎょうせいこうしょう)などの活動(かつどう)(おこ)なっています。たとえば、(がっ)(こう)での統合教育(とうごうきょういく)観点(かんてん)から問題(もんだい)提起(ていき)(おこ)なって、今年(ことし)(二〇〇一年度(ねんど))、吹田市(すいたし)ではじめて()たきりの()どもが中学校(ちゅうがっこう)(はい)りました。それを()けて、吹田市(すいたし)(しょう)中学校(ちゅうがっこう)ではじめてエレベーターがつくというように、(がっ)(こう)のバリアフリー()がすすむ。やっとそこまで()たという(かん)じです。(いま)(がっ)(こう)現場(げんば)異議(いぎ)(もう)()てする人間(にんげん)異質(いしつ)なものを排除(はいじょ)する(うご)きが(つよ)く、本当(ほんとう)息苦(いきぐる)しい状況(じょうきょう)です。そのひずみが障害児(しょうがいじ)()()れの問題(もんだい)にもつながっていると(かん)じます。

――(あつし)くんは中学(ちゅうがく)卒業(そつぎょう)したらどうするの?

(あつし) 吹田(すいた)高校に()きたい。

大音(おおと) (わたし)たちは、(あつし)養護学校(ようごがっこう)じゃなく普通学校(ふつうがっこう)()けるようにということで、小学一年(しょうがくいちねん)のときから九年間(ねんかん)(ほか)()どもたちと関係(かんけい)をつくりながらサポートしてきました。地域(ちいき)(ひと)とも顔見知(かおみし)りで、(なに)かあったらサポートしてくれるよう関係(かんけい)徐々(じょじょ)につくっていきました。先日(せんじつ)自転車(じてんしゃ)()って行方不明(ゆくえふめい)になったときも、中学校(ちゅうがっこう)友達(ともだち)十数人(じゅうすうにん)でさがしまわってくれたんです。

(あつし) (いえ)(かえ)ろうと(おも)ったけどどっちに()ったらいいのかわからなくなって、(ひと)に「ぼくんち()りませんか?」ときいた。

大音(おおと) そういうふうに(ひと)にきけるようになったのは、(あつし)(いま)まで積極的(せっきょくてき)(そと)()(ひと)とかかわってきたからだと(おも)うんですね。

編集部(へんしゅうぶ)より:その()(あつし)くんは吹田(すいた)高校(こうこう)定時制(ていじせい)入学(にゅうがく)しました。おめでとう!)    

 いろんなニーズに(おう)じた(がっ)(こう)がほしい 

――入部(いるべ)さんは議員(ぎいん)をされて(なが)いですね。議会(ぎかい)(なか)のバリアはなくなりましたか。

入部(いるべ) 三期目(さんきめ)、一一(ねん)になります。来年(らいねん)また挑戦(ちょうせん)です。物理的(ぶつりてき)なバリアはたくさんありますが、トイレのことや介護(かいご)のことなどいろいろ(はな)しあいながらやってきた過程(かてい)があるので、職員(しょくいん)対応(たいおう)(まえ)とはちがってきました。(まえ)介護者(かいごしゃ)のほうばかり()てしゃべっていたのが、このごろはしっかり(わたし)(かお)()てしゃべってくれます。議員(ぎいん)たちも、はじめは「障がい者(しょうがいしゃ)(なに)ができるんや」と(おも)っていたみたいですが、一一(ねん)にもなるといろいろ質問(しつもん)などもしてくるようになりました。(いま)(なや)みは後継者(こうけいしゃ)がなかなか()てこないこと。それと、介護(かいご)があいかわらず()りなくて、それがいちばん(おお)きなバリアですね。

――入部(いるべ)さんの(がっ)(こう)体験(たいけん)は?

入部(いるべ) (わたし)は一九五〇年生(ねんう)まれで、当時(とうじ)は「重度(じゅうど)障害児(しょうがいじ)義務教育(ぎむきょういく)()けなくてもいい」という時代(じだい)だったので、(がっ)(こう)へは()ってないんです。もし(がっ)(こう)()けと()われても、ひとりぼっちではこわいから()かなかっただろうと(おも)うんですね。(いま)でも障害(しょうがいじ)(しょうがいじ)は、普通学校(ふつうがっこう)()けばえらい()にあわされて、養護学校(ようごがっこう)では過保護(かほご)にされて社会性(しゃかいせい)(うば)われて…。どっちが(しあわ)せなのかと(かんが)えると、(わたし)はどっちも(しあわ)せじゃないと(おも)ってる。

大音(おおと) ただ、義務教育(ぎむきょういく)である(しょう)中学校(ちゅうがっこう)普通学校(ふつうがっこう)から排除(はいじょ)されている障害(しょうがいじ)(しょうがいじ)は、やっぱりみんなといっしょに(がっ)(こう)()けるようになったほうがいいとは(おも)うんですね。

入部(いるべ) 義務教育(ぎむきょういく)自体(じたい)はいいことだと(おも)うけど、社会(しゃかい)がこれだけ()わっているのに、あいかわらず(がっ)(こう)だけが()わらないことに疑問(ぎもん)があるんです。その(なか)にぽんと障害児(しょうがいじ)を入れることが当事者(とうじしゃ)にとって(しあわ)せなのかどうか。ひょっとしたら養護学校(ようごがっこう)のほうがいいかもしれない。

大音(おおと) たしかに(いま)(ふた)つしか選択肢(せんたくし)がない(なか)()えば、普通学校(ふつうがっこう)がいいと()()れないところがあるでしょうね。

松井(まつい) (いま)、AD(ADHD=注意欠陥多動性障害(ちゅういけっかんたどうせいしょうがい)といわれる)の()()えて、(がっ)(こう)(こま)ってる。そうなると(がっ)(こう)自体(じたい)()わっていかないとどうしようもないよね。(いま)ごろ「バリアフリーはまず(がっ)(こう)から」なんて、のん()なことを()ってる場合(ばあい)じゃない((わらい))。

入部(いるべ) ADの(おや)がつくってるホームページなんかを()んでいると、「うちの()はADでよかった」という(こえ)がけっこうある。ADは(のう)欠陥(けっかん)があるわけじゃなくて神経性(しんけいせい)やから、障害(しょうがい)じゃないわけやね。(わたし)障害(しょうがい)であろうとなかろうと、そんなんどうでもええやんと(おも)う。でも、(いま)社会(しゃかい)(かんが)(かた)がせまいから、ADの()どもたちは苦労(くろう)するやろなあ。

松井(まつい) 障害(しょうがい)一人(ひとり)ひとり個別(こべつ)だから、「障害児(しょうがいじ)」という(わく)()れると学習指導要領(がくしゅうしどうようりょう)にあてはまらない。だから障害児(しょうがいじ)教育(きょういく)個別対応(こべつたいおう)になっているわけですよね。でも、教育(きょういく)基本(きほん)ってそこにあると(おも)うんです。(がっ)(こう)一人(ひとり)ひとりに(おう)じた対応(たいおう)ができる仕組(しく)みになっていったら、もっといろいろ選択(せんたく)できるようになる。

三原(みはら) (わたし)先天性(せんてんせい)視覚(しかく)障害(しょうがい)ですが、小学校(しょうがっこう)普通学校(ふつうがっこう)()きました。でもやっぱり勉強(べんきょう)についていけなくて、いじめにもあって、中学校(ちゅうがっこう)からは(もう)(がっ)(こう)(かよ)いました。盲人(もうじん)一般的(いっぱんてき)職業(しょくぎょう)というとあんま・(はり)定番(ていばん)ですが、(わたし)は「盲人(もうじん)=あんま・(はり)」という(かんが)(かた)がいやで、音楽(おんがく)教員(きょういん)になりたいと(おも)っていたので、高等部(こうとうぶ)では普通科(ふつうか)(すす)み、大学(だいがく)にも()きました。結局(けっきょく)音楽(おんがく)(みち)はむりだったんですけど、あのときあんま・(はり)方向(ほうこう)(すす)んでいかなかったから(そと)()ていろんな活動(かつどう)もできたし、いろんな(ひと)にも出会(であ)えた。(まわ)(みち)したけど、自分(じぶん)でやりたいことを(えら)んできてよかったと(おも)っています。

()える障がい者(しょうがいしゃ)()えない障がい者(しょうがいしゃ) 

(うま)(がき) アメリカのように障がい者(しょうがいしゃ)差別禁止法(さべつきんしほう)があれば教育(きょういく)()えられるんですよ。

入部(いるべ) それは障がい者(しょうがいしゃ)国会議員(こっかいぎいん)がいっぱい()()えるしかない((わらい))。

(うま)(がき) この国会(こっかい)障がい者(しょうがいしゃ)雇用促進法(こようそくしんほう)()わるんですが、ほとんどの(ひと)はそれを()らないし、メディアも報道(ほうどう)しない。こうなったら自分(じぶん)たちで発信(はっしん)していきたいという(おも)いがすごくあるんです。

松井(まつい) それはやっぱり地域(ちいき)からはじめるしかないと(おも)うけど、地域(ちいき)のつながりってなかなか(かん)じられない。

大音(おおと) たとえば、(あつし)という障がい者(しょうがいしゃ)積極的(せっきょくてき)()()くことによって地域(ちいき)につながりが()まれる。そのつながりはなかなか足並(あしな)みは(そろ)わないけど、(すく)なくともきっかけにはなりますよね。

松井(まつい) 大音(おおと)さんの(いえ)はだれにでも開放(かいほう)されていて、地域(ちいき)のバリアフリーといった雰囲気(ふんいき)でいいよね。

越智(おち) 吹田(すいた)活動(かつどう)していても、地域(ちいき)(すこ)しずつ()わってきている(かん)じはあります。ただ、そのネットワークができていない。入部(いるべ)さんの活動(かつどう)も、もっと(わか)(ひと)につながって、地域(ちいき)でもサポートするかたちになっていけばいいけど、現実(げんじつ)にはそうなっていない。

入部(いるべ) (よう)するに(わたし)がおらんようになったら、また(つぎ)()てくるのを()つしかないわけですよ。なぜつながらないかというと、障がい者(しょうがいしゃ)差別(さべつ)がどういうものかということを、みんな本当(ほんとう)はわかってないからだと(おも)う。(わたし)らがこの三〇年間(ねんかん)ずっと障がい者(しょうがいしゃ)運動(うんどう)をやってきて、()わってきた部分(ぶぶん)はものすごくある。ところがそれを(わか)障がい者(しょうがいしゃ)当然(とうぜん)権利(けんり)として使(つか)ってるわけ。(いま)行政(ぎょうせい)にちゃんとメニューがあって、それを使(つか)えばいちおう地域(ちいき)には()られる。でもそれは、(わたし)らが(すわ)()みやなんかで(たたか)ってきた成果(せいか)としてあるわけでしょう。そういうことを(いま)(わか)(ひと)たちが実感(じっかん)しないと(つぎ)(すす)まない。

――経験(けいけん)したことがない(ひと)に、実感(じっかん)としてわかれというのはむずかしくないですか。

入部(いるべ) (いま)でも経験(けいけん)しようと(おも)えばいくらでもできますよ。以前(いぜん)(くら)べたら障がい者(しょうがいしゃ)(そと)()ているように()えるけど、ほとんどの障がい者(しょうがいしゃ)はまだ在宅(ざいたく)だったり施設(しせつ)にいたりするわけでしょ。そういう状況(じょうきょう)()て、その(ひと)たちの(はなし)()くことで実感(じっかん)できるようになる。その「()えない障がい者(しょうがいしゃ)」のところに()かなあかんにもかかわらず、(なま)けてんねん、(わたし)ら。そこがバリアやんか。

 バリアフリーは()(かさ)ね 

三原(みはら) 視覚(しかく)障がい者(しょうがいしゃ)ってどうしても(ほか)障がい者(しょうがいしゃ)とのつながりがあまりなくて、(わたし)自身(じしん)ずっと視覚(しかく)障がい者(しょうがいしゃ)のことしか()らなかったんですね。それが、障がい者(しょうがいしゃ)社会(しゃかい)参加(さんか)をすすめる交流(こうりゅう)サークルに参加(さんか)するようになって、(くるま)いすの(ひと)やいろんな障がい者(しょうがいしゃ)出会(であ)って、障害(しょうがい)はちがってもみんな(おも)いはひとつということがわかった。それと、家族(かぞく)(なか)(わたし)という障がい者(しょうがいしゃ)がいることで、(いもうと)障害(しょうがい)のことに興味(きょうみ)をもって勉強(べんきょう)したり、実際(じっさい)にサポートするのも上手(じょうず)になった。障がい者(しょうがいしゃ)特別視(とくべつし)する感覚(かんかく)がないんですね。そういう意味(いみ)では、(ちい)さいときから障がい者(しょうがいしゃ)健常者(けんじょうしゃ)がいっしょにいられる環境(かんきょう)がすごく大事(だいじ)だと(おも)います。

入部(いるべ) (わたし)には息子(むすこ)二人(ふたり)いて、いろいろ問題(もんだい)(おお)かったんです。この座談会(ざだんかい)()るという(はなし)をしたら、(うえ)息子(むすこ)冗談(じょうだん)で「お(かあ)さんのバリアは息子(むすこ)やろ」と((わらい))。時間(じかん)はとられる、お(かね)はかかる。たしかにひとつずつとらえていけばバリアだけど、息子(むすこ)たちとはちゃんと(はなし)ができるから前向(まえむ)きなんですよ。(おや)障害(しょうがい)をもっているということで、障がい者(しょうがいしゃ)(たい)する意識(いしき)(ほか)同世代(どうせだい)()とは全然(ぜんぜん)ちがうと(おも)う。そういう土台(どだい)(わたし)らがつくっていくことが大事(だいじ)。それが社会(しゃかい)()える、地域(ちいき)()えることになるんちゃうかな。

――バリアフリーは()(かさ)ねが大事(だいじ)だということですね。

入部(いるべ) 結局(けっきょく)障がい者(しょうがいしゃ)もふつうの人間(にんげん)やと。(なか)には(わる)いことする障がい者(しょうがいしゃ)もいてあたりまえということに社会(しゃかい)()づかないとね。もちろん恋愛(れんあい)もするし、いらいらして(おこ)ったりすることもある。(くるま)いすの場合(ばあい)、つねに(うし)ろに介護者(かいごしゃ)がいるでしょう。(わたし)はあれにすごく違和感(いわかん)があって。「この(ひと)介護者(かいごしゃ)や」と(おも)えば(なに)(かん)じないかもしれないけど、(くるま)いすを()しているのが自分(じぶん)()きな(ひと)だったりしたら、「(よこ)()をつないで(ある)きたい」と(おも)ったことあるなあ、(わたし)も((わらい))。    

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