5ひきめ(2002年9月)
特集・続・がんばらない生き方


がんばらないと()えるもの
土田(つちだ) (とも)()

 (わたし)たちは(きび)しい競争(きょうそう)社会(しゃかい)の「常識(じょうしき)」や「普通(ふつう)」の(なが)れのなかで、日々(ひび)「がんばる」ことを()いられています。その圧力(あつりょく)はかなり(おお)きなもので、そこから(のが)れて自分(じぶん)()きなように()きることはなかなか(むずか)しかったりもします。だけど、「みんながんばってるんだから、がんばらなくては」と()っているうちに、そのなかで(だれ)かが(つら)(おも)いをしていたり、(とき)には自分(じぶん)自身(じしん)がそうであったりすることにも()づかなくなってしまうかもしれない・・・。

 じゃあ、自分(じぶん)()きたい(みち)(えら)んでいる(ひと)ってどんな(かん)じなの? きっといろんな(ひと)がいて、いろんな()(かた)があるんだろうと(おも)いますが、今回(こんかい)は3(くみ)(にん)(かた)(かた)っていただきました。

 8月号(がつごう)(4ひきめ)の「がんばらない()(かた)」に(つづ)く、「(ぞく)・がんばらない()(かた)自分(じぶん)()めるということ」特集(とくしゅう)です。

 不通校(ふつうこう)」という選択(せんたく) 

 小学校(しょうがっこう)にしろ中学校(ちゅうがっこう)にしろ、高校(こうこう)にしろ大学(だいがく)にしろ大学院(だいがくいん)にしろ、そういった「学校(がっこう)」と()のつくところに()かないと()めたのは15(さい)(ふゆ)季節(きせつ)だった()がする。

 ()めたといってもその(ふゆ)から学校(がっこう)()かなくなったというわけではなくて、()かない理由(りゆう)をはっきりと認識(にんしき)して、その()どうしていこうかをハッキリと()めたのが15(さい)学年(がくねん)でいうと中学(ちゅうがく)(ねん))の(ふゆ)ごろだったというだけで、実際(じっさい)には14(さい)中学(ちゅうがく)(ねん))の(ふゆ)ぐらいから学校(がっこう)には()っていなかった。

 だから学校(がっこう)()かなくなってから1(ねん)あまりの歳月(さいげつ)()てやっとそれから自分(じぶん)()のこなし(かた)()められるようになり、決心(けっしん)ができるようになったことになる。

 自分(じぶん)にとっていわゆる「不通校(ふつうこう)」(*)の時期(じき)はその1(ねん)とちょっとの期間(きかん)だったのだが、その(あいだ)にいろんなことを(かんが)えたり(なや)んだりした。

 そんな自分(じぶん)だからこそ、()えたものがある。

学校(がっこう)などの(まな)びの()()くことは、本来(ほんらい)ならば「(かよ)う」という表現(ひょうげん)がされるべきであり、「(のぼ)る」といったお上的(かみてき)表現(ひょうげん)がされるべきではないことから、「不登校(ふとうこう)」ではなく「不通校(ふつうこう)」を(もち)いる。


 ()ちゃんとの出会(であ)

「おい、あいつ今日(きょう)()てるぜ」

私服(しふく)だし生意気(なまいき)だよなー」

「なんで学校来(がっこうき)てんのぉー?」

 中学(ちゅうがく)(ねん)当時(とうじ)、まだ学校(がっこう)(かよ)っていた(ころ)(はなし)だ。

 (おな)学年(がくねん)学校(がっこう)へあまり(かよ)ってこないA()ちゃんという(おんな)()がいた。その()はいつもひょんとした(とき)学校(がっこう)()て、すこしの時間(じかん)だけいるとすぐに(かえ)ってしまう()で、おまけにいつも私服(しふく)だった。

 制服(せいふく)不満(ふまん)()ちながらも従順(じゅうじゅん)に 聖服(せいふく)=@をまとう中学生(ちゅうがくせい)たちにとって、A()ちゃんの私服(しふく)羨望(せんぼう)嫉妬(しっと)対象(たいしょう)彼女(かのじょ)は、彼女(かのじょ)見知(みし)らぬ(ひと)たちから嫌味(いやみ)()われ(つづ)けていた。

 ある()、A()ちゃんが学校(がっこう)にくると、

「あいつ○(くみ)のやつとゴミ()てやってるぜー」

1人(ひとり)のクラスメイトが教室(きょうしつ)にいる(みんな)(こえ)をかけた。

 するとゴミ()てをするA()ちゃんを()ようとベランダに(ひと)()()せた。たまに学校(がっこう)()るA()ちゃんは(みんな)(はなし)のネタになりやすく、クラスメイトのほとんどがベランダからA()ちゃんを(なが)(はじ)めた。

「なんであいつ私服(しふく)なんだろーなー」

「なんであいつ学校(がっこう)こねーのー」

 そんな会話(かいわ)がベランダを(おお)っている(とき)(わたし)()にも目立(めだ)(いろ)(ふく)()るA()ちゃんの姿(すがた)(とら)えられた。

 いったいあの()はどういう()なんだろう?

 ベランダでの会話(かいわ)にほとほと嫌気(いやけ)(かん)じながら、(わたし)はそんなことを(かんが)えていた。それでもまったくA()ちゃんとの接点(せってん)がないその(とき)(わたし)にとって、まだA()ちゃんはただの 異端(いたん)(ひと)=@でしかなかった。

 (とき)()ち、(すうかげつご)(すうかげつご)月後(すうかげつご)のある()のこと。学校(がっこう)にも()かなくなってしばらくたっていた自分(じぶん)のもとにとある人物(じんぶつ)から連絡(れんらく)(はい)った。その(ひと)とはそれまで(まった)(はなし)をしたことがなかったのだが、「あなたに()って(はなし)をしてみたい」と()われたのである。

 すこし困惑(こんわく)しながらも 人生(じんせい)おもしろいことがあるもんだ=@と(おも)いながら「じゃあ(ちか)くのファミリーレストランで()いましょう」と快諾(かいだく)した。

 その()はお(たが)(はじ)めて()ったにも(かか)わらず延々(えんえん)(はな)(つづ)けたことを(おぼ)えている。

 連絡(れんらく)をくれたのはあのA()ちゃんだった。

 A()ちゃんはなぜ学校(がっこう)()かなくなったのか。そして()かないのか。これまでどんなことがあったのか等々(などなど)(はな)すことはたくさんあった。

 その(とき)()ちゃんは、なぜ学校(がっこう)に ()けなかったか≠ニいえば「制服(せいふく)がどうしても()れなかった」からだということを(はな)してくれた。

 (たと)えばこんな(はなし)がある。学校(がっこう)()きたくても制服(せいふく)()れないため学校(がっこう)()けなかったA()ちゃんは、年間(ねんかん)行事(ぎょうじ)であるスキー合宿(がっしゅく)にはどうしても(みんな)一緒(いっしょ)参加(さんか)したいと(おも)っていた。しかしそこでも教師(きょうし)は「制服(せいふく)()ないと参加(さんか)させられない」の一点張(いってんば)りでA()ちゃんに制服(せいふく)()ることを強要(きょうよう)した。そのため、どうしても制服(せいふく)()たくないA()ちゃんは結局(けっきょく)スキー合宿(がっしゅく)参加(さんか)することを(あきら)めたのだが、「合宿(がっしゅく)()くクラスメイトを見送(みおく)りすることだけはしたい」と(かんが)える。

 合宿(がっしゅく)当日(とうじつ)早朝(そうちょう)出発(しゅっぱつ)()わせてA()ちゃんは(はや)()きしバスの見送(みおく)りに()かう。すると1(くみ)から(じゅん)次々(つぎつぎ)出発(しゅっぱつ)するバスはどれも(まど)(ひら)かれ、(みんな)()()って(たの)しそうに出発(しゅっぱつ)をしているのが()えた。それを見送(みおく)りながらA()ちゃんは自分(じぶん)のクラスのバスが()(まえ)()るのを()っていた、自分(じぶん)のクラスメイトたちに()()ってバスを(おく)()すために。

 そして()(まえ)自分(じぶん)のクラスのバスが()(とき)()ちゃんはあるものを()た。(ほか)のバスとは(ちが)い、自分(じぶん)見送(みおく)りに()たバスのカーテンだけが、なぜかきっちりと()()られていたのを。

 現在(げんざい)、A()ちゃんは制服(せいふく)のない学校(がっこう)(かよ)っている。(いま)でも彼女(かのじょ)とはよく(はなし)をするが、A()ちゃんは学校(がっこう)にもともと()きたかっただけにとても(たの)しそうな毎日(まいにち)(おく)っているようだ。

 学歴(がくれき)社会(しゃかい)()えたい

 学校(がっこう)()かなくなったその(あと)進学(しんがく)転校(てんこう)()にふたたび学校(がっこう)(かよ)(ひと)(おお)い。A()ちゃんのようにもともと学校(がっこう)()きたいと(かんが)えていた(ひと)にとっては尚更(なおさら)そうだろう。

 しかし、学校(がっこう)()のつくところにふたたび(かよ)()(わたし)には毛頭(もうとう)ない。

 それは学校(がっこう)卒業(そつぎょう)したという 学歴(がくれき)=@がなければなにもできないような学校(がっこう)社会(しゃかい)をなんとか()えられないだろうかという(おも)いが自分(じぶん)にはあるからだ。

 教育(きょういく)とは本来(ほんらい)ならば権利(けんり)であるはずなのに、「学校(がっこう)教育(きょういく)()けなさい」という義務(ぎむ)にとってかわっている(いま)状況(じょうきょう)はなにかおかしい。(まな)()既存(きそん)学校(がっこう)だけでなく、フリースクールやホームスクールも選択(せんたく)でき、べつにそういったところに(たよ)らなくてもイイじゃないか。制服(せいふく)があったってイイし、ないところがあってもイイ。

 そんな社会(しゃかい)がつくりたい。

 だけど、そんな理想(りそう)をただ(かた)っているだけではなにも()わらない。自分(じぶん)学歴(がくれき)なしでもなんとかやっていけるようにならなくては……

 それが学校(がっこう)(かよ)わないことを()めた理由(りゆう)15(さい)(ふゆ)出来事(できごと)だった。

 (いま)(おも)(かえ)してみればやっぱり自分(じぶん)原風景(げんふうけい)はあのベランダから()えた風景(ふうけい)で、あそこから自分(じぶん)(なか)でいろんなことが()わっていったのだと(おも)う。

 がんばる必要(ひつよう)のないものをがんばらないと、がんばるべきことが()えてくる。

 あなたにもきっと()えるはず。だってボクに()えたんだから。



土田朋水●つちだ・ともみ
1986(ねん)()まれ。ライター志望(しぼう)修行中(しゅぎょうちゅう)


                         


このページは2004年2月で更新終了しています。
2004年4月から、「まねき猫通信」はタブロイド版の新聞に変わりました。
新ページはまねき猫通信HOMEです(2006/09/06)