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取材源秘匿は民主主義の生命線/石塚直人

はじめに

新聞づくりの根幹を揺るがす司法判断が飛び出した。記者の大原則である「取材源の秘匿」について、東京地裁が三月一四日に「公務員の守秘義務の方が優先する」と断定したのである。当事者の読売新聞はもちろん、各紙が珍しくそろって社説で反論した。新聞協会と民放連も声明を出した。

発端は、アメリカの健康食品会社の日本法人が所得隠しで課税処分を受けた、と九七年に読売が報じたことだ。この会社が「米政府が日本の税務当局に情報を流したことで誤った報道がなされ、信用を失った」と米政府を訴え、これに伴う嘱託尋問で読売記者が取材源についての証言を拒否したため、会社側が東京地裁に判断を求めていた。

裁判官は「情報源が仮に国税庁職員など国家公務員とすれば、この職員が記者に課税情報を伝えたことは秘密漏洩罪に当たり、証言拒否を認めることは犯罪の隠蔽に加担することになる」と説明。取材源を明かすことで記者の取材が難しくなったとしても、「法秩序の観点からはむしろ歓迎すべきこと」とまで述べた。

メディア自ら姿勢を正してこそ

これは、「国家権力が正しいと決めたことに一切誤りはなく」「記者は公式発表以上に踏み込んで取材すべきではない」と言っているのと同じことだ。取材源の秘匿なしに、記者が権力の内部から腐敗の証拠をつかみ取ることはほとんど不可能であり、十分な証拠なしに権力者やそれに連なる人物、機関を攻撃することがどんな結果を招くかは、先の民主党・永田議員を見れば明らかな通り。そうした歴史上の無数の教訓を通して、この原則は生まれた。

最高裁も一九七八年、記者が公務員に秘密情報の提供を求めることを「報道目的で社会的に是認されるものである限り」正当な業務と認めている。今回の事件では、NHKと共同通信が同様に証言を拒み、NHKについては昨年一〇月、新潟地裁が「拒否は妥当」との判断を示した。

東京地裁の判断は民主主義の何たるかを全くわきまえず、判例にも逆行している。記者の仕事に対する嫌悪感が先にあっての議論とさえ感じさせ、とても許せるものではない。各紙が社説で声を合わせたのは当然だ。

しかし、それが多くの読者にきちんと受け入れられたかどうかについて、私は強い危惧を持つ。逆に「新聞はそれほどえらそうなことが言えるのか」「ふだんの紙面に、国家権力と真っ向から対峙した記事はどれほどあるのか」という冷ややかな思いを抱いた人も少なくないような気がする。社説の「正論」は、自分たちの仕事で裏打ちされる必要がある。

(2006/09/29)



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