バリアフリーのまちづくり ソウルから日本を見たら?/村上博
ソウルで実感したバリアフリーへの熱意
昨年一一月にソウルを訪問したときのことを、前回(「まねき猫通信四四ひきめ」)少しだけ書きました。九九年に訪問した仲間たちは、「ソウルでは車いすで暮らせない」と口々に話していました。ソウル市民の主要な移動手段はバスですが、九九年当時、ノンステップバスはまだ一台も走っておらず、市庁舎がある大通りには横断歩道がなかったそうです。横断歩道どころか、歩道と車道の間は二〇センチの段差のまま。地下歩道は冬には凍結して危険です。ですから昨年、ソウルの大通りで交差点ごとに横断歩道があるのを見つけた仲間たちが、まちのあまりの変わりように驚いたのも当然です。
「横断歩道くらいじゃあ、まだまだ」とみなさん感じられるかもしれません。しかし、今後の変化のスピードは圧倒的に韓国の方が早いだろうと思います。何といっても、バリアフリーな街に変えようとする強い意欲と情熱を持った人たちが、当事者だけでなく行政の中にも多くいるからです。しかし心配な点は、バリアフリーを推進する立場の人たちの多くが日本に留学し、日本のまちづくりを勉強していることです。東京の地下鉄かと錯覚するようなソウルの地下鉄風景を見て、良くも悪くも「バリアフリーが行政の手に委ねられている」という印象を強く受けました。
熊本での一〇数年間、「バリアフリーのまちづくりについて一番苦労していることは?」と問われれば、「まちづくりの計画に、障害当事者が最初から参画する仕組みがないこと」、と答えます。
人権意識の希薄な日本
バリアフリーの根源は人権です。日本のバリアフリーや社会参加は一見進んでいるように見えますが、果たして人権意識に根ざしているでしょうか?
三〜四年前、韓国の障がい者運動のリーダーであるパク・チャノさんを、熊本で一ヶ月ほど受け入れました。彼はとても理性的でにこやかで、人間としての器の大きさを感じさせる人でした。パクさんから「韓国の障がい者はよほどの金持ちの子どもか、よほど貧乏な家庭の子どもでないと教育を受けられない」と聞かされ驚きました。彼は「兄の教科書を使って兄に教えてもらった。一年も学校には通っていない」と教えてくれました。
私の高校入学の時のことです。合格掲示板に名前がなく、後日校長室に呼び出されました。校長の示した「校舎の改造を要求しないこと」、「階段から他の生徒に故意に突き落とされても責任を求めないこと」という条件で入学するという、一生忘れられない体験をしました。
あれから四〇年。地域生活が根底からひっくり返される「障がい者自立支援法」が出来てしまうほど、人権意識の希薄な日本。ソウルのパクさんはどんな思いでみているでしょうか。
(2006/09/29)