やっぱり必要!障がい者差別禁止条例
障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」が昨年10月に成立しました。
「だれもが、ありのままに、その人らしく、地域でくらすことができる」「理不尽な理由で辛く悲しい思いをしている人がいない千葉」を合い言葉に、現場と政策をつなぐ新しい地域づくりが進んでいます。
野沢和弘さんらが「千葉・ちいき発」というホームページでホットな詳細を報告されています。各自治体でもこれに続く取り組みを。(編集部)
「障がい者差別をなくす条例」
条例の提案が出されて、〇五年一月から「千葉県障がい者差別をなくすための研究会」がスタートしました。八〇〇以上の差別事例が県民から寄せられました。研究会には視覚障がい者、聴覚障がい者、車いすの人、精神障がい者、知的障がい者とその家族などさまざまな障がい当事者が顔をそろえました。医療や福祉や教育関係者も委員になりました。企業関係者も四人が参加しました。丸一年、計二〇回にわたって研究会の議論は続きました。毎月二回は開いたことになります。
研究会だけでなく、さまざまな団体からのヒアリングや県内各地でタウンミーティングを行いました。それぞれ地元の市民や障がい者たちが企画してくれた手作りの集まりには県民三〇〇〇人以上が参加しました。タウンミーティングというと、役所が用意した「適度な賛成」「ほどほどの批判」を述べる人物を指定して行う儀式が多いのですが、 千葉県の場合は、すべて、実行委員会方式で進められました。
ほほえんだ勝利の女神
シンポジストの一人のお母さんは、重度心身障がいの娘さんがいる人でした。 「つらいことも多いが、小学生のお兄ちゃんが優しく支えてくれて、そのお兄ちゃんがいるために自分たちは本当に助かっている。・・・」
しかし、その兄も「学校には(妹を)連れてこないで」と言うのです。最近はいじめによる自殺なども相次いでおり、学校という子ども社会で生きていくのも大変です。重い障がいの妹を見られたら、いじめの対象になるかもしれない、と心配だったのでしょうか。お母さんは、お兄ちゃんの気持ちが痛いほどわかるのですが、妹のことも不憫に思うのです。
ある日、兄が学校で野球大会の選手に選ばれました。兄の姿を見せたくて、お母さんは車いすに妹を乗せて応援に行きました。たぶん、隠れるようにして応援していたのでしょう。お兄ちゃんのチームは勝ちました。「よかったね」と妹の車いすを押して帰ろうとした時です。
兄のチームメイトが目ざとく見つけて、走ってきました。車いすの中の重度心身障がいの小さな女の子を、子どもたちはまじまじと見つめていたそうです。あんなにお兄ちゃんに「学校にだけは連れてこないでね」と言われていたのに……。
そのとき、じーっと見ていた子どもたちの何人かが手をのばしてきて、妹の頭を撫でて言ったそうです。「勝利の女神だね」
理解しあいながら生きること
会場はジーンとした感動に包まれました。お兄ちゃんは彼らにとって大事な仲間です。妹を隠さなければいけないと思っている友達の気持ちが痛いほど通じる、それが仲間なのです。「大丈夫だよ」という気持ちから、子どもならではの直感的な行動に出て、「勝利の女神だね」なんて言葉が出てきたのでしょう。
今の子どもたちは「生きる力が希薄だ」と言われています。いじめ、不登校、引きこもり、リストカット、ニート……。いったい、生きる力とは何なのでしょうか。 同時代、同じ地域で生きている仲間同士が、痛みや悲しみに触れ合って、心が共鳴するような、そういう中で自分の存在感をしっかりつかんでいく、相手の存在感も認める。そういう体験が子どもたちの生きる力をはぐくんでいく大事な要素ではないのかなと思うことがあります。
このエピソードは、大きなヒントを与えてくれるのではないでしょうか。私たちが作ろうとしている条例は、障がい者のための条例ではあるけれども、決して障がい者のためだけではない。すべての人間にとって、とくに子どもたちに、お互いの人間の違い、お互いの悲しみやつらさを分かり合い理解しあって、同じ時代を同じ地域で生きていこうという一つの大きな根拠になるのではないかと確信しました。
議会という壁
大勢の人たちの努力の結晶が一年間の活動の集大成として、条例案にまとまった時は大きな感動でした。
年が明けて二月議会にその条例案が提出されました。しかし、自民党から 批判的な意見が噴出しました。「障がい児がだれでも普通学級に入ってきたら、一般の生徒の授業に支障が出るようになる」「どんな障がい者も雇わなくてはならないようになる」「財政的な裏づけがなければ、こんな条例を作っても障がい者をぬか喜びさせるだけに終わる」「一般社会と障がい者の軋轢を強めるだけだ」「障がい者に特権を与えるような条例を作るわけにはいかない」。 堂本県政に対して野党的立場を鮮明にしていた自民党が七割の議席を占めるのが千葉県議会です。私たちは誰が県議会議員なのか、いつ県議会は開かれるのか、どうすれば傍聴できるのか。そんなことすら知らずに条例を成立させようと思ってきたのです。
親の会では緊急の勉強会を何度も開きました。「差別は人と人との関係の希薄さも 一因、この条例をきっかけに、理解と共感を深めていき、そのことが生きる力を育む、そして誰もが暮らしやすい地域づくりにつながる」との説明が胸に染み入りました。本当に人を信じた条例ですね〜というメッセージなどもたくさん寄せられました。
それでも六月議会では原案撤回にまで追い込まれました。私たち研究会は堂本知事に対して「なんとかして条例の灯火を守ってほしい」と頼みました。九月議会にむけて条例原案が大幅に修正されました。県当局と自民党がすり合わせをしながら修正したものです。私たち研究会も逐一、修正作業に参加しました。
健康福祉常任委員会の委員をはじめ条例を通してやろうという議員の皆さんの懸命の尽力で、自民党内にも賛成の声が広がっていきました。反対意見が根強く、ずいぶんいろんな逆風を受けたことかと思いますが、最後まで揺るがずに障がい者や家族の思いを守ってくれたことはどれだけ感謝しても足りないと思います。
私たちの説明不足もあり、誤解されていた面があったと思っていましたが、今になってみると批判のかなりのものが重要な点を指摘したものでした。大幅修正されたとはいえ、条例に私たちが込めた理念や骨格は残っています。なんとか修正案を成立させてほしい、という障がい者や家族の痛切な願いを最後に受け止めてくれたとき、涙が出そうになりました。
これからがスタート
障がいを定義し、差別について分野ごとに類型を示して定義し、これらに当てはまるものについては、第三者機関が間に入って話し合い解決に努める、というのが条例の骨格となっています。また、教育や啓発を重視し、障がい当事者と関係団体と県による推進会議が、個々の差別事例から浮かんできた普遍的な課題を解決するために政策立案に努めるということも盛り込まれています。
条例の基本的なコンセプトは、差別している人を見つけ出して白黒つけようというものではありません。国がつくる法律と違って、身近な問題を解決するためには、無理やり罰則をつけるのではなく、もっと話し合いの場をつくり、お互いに理解してもらうような仕組みを作っていくことを大切にしています。いろんな立場の人たちが真剣に議論しあってきた中で、しなやかな解決手段を求めていこうという共通認識が育ってきたのです。
条例ができたからといって、すぐに差別がなくなるわけではありません。この条例は、知らないうちに障がい者を傷つけてしまったり、よかれと思ってやっていることが障がい者を悲しくさせたりすることがあることを、みんなで気づき合おうというものです。障がい者の側もあきらめたり、愚痴をこぼしたりするのでなく、自らの暮らしにくさを社会に訴えていこうというものです。決して、差別している人を見つけ出してきて罰してやろうというものではありません。
それだけに、これからの取組が重要です。「条例ができたって何も変わらないじゃないか」という声は必ず出てきます。そんなに簡単に社会は変わりません。しかし、五年先、一〇年先に千葉県がどこよりも障がい者にやさしく、誰にとっても暮らしやすい県になるために、この条例は大きな役割を果していくでしょう。
(2007/02/20)