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特集:やっぱり地域の学校へ行きたい

通信読者から相談を受けて

大阪府に住む長瀬真理さん(仮名)は、長男の進君(仮名・12才)の中学校進学について悩み続けています。進君は代謝異常を起こす難病(食べ物などをとりいれてからだをつくるしくみの一部がうまくいかず、徐々に身体・知的機能に様々な障がいを引き起す進行性の病気)です。保育所・小学校と他の子どもたちと変わらず過ごしてきましたが、病気の進行で、三年生の途中から大きく体調が変化し、歩けなくなったり話ができなくなったりで、車いす生活になりました。

長瀬さんは、できれば友だちと一緒に地元中学へと思っているのですが、養護学級担任・校長先生からは、「地元中学と養護学校、どちらに進学しますか?」と問われ、地元中学校にどんな受け入れ体制があるのか? 養護学校の実際は? 学校から何らの情報も得られず、不安は募るばかりです。

インクルーシヴ(共生)教育の先進地域=豊中で障がいをもつ子の親として活動してきた鈴木留美子さん、豊中の中学校教師の桂清子さん(現在は大阪市立大・大学院生として共生教育について研究中)、障がい当事者で豊中市議の入部香代子さんにお集まり頂き、インクルーシヴ教育の現状と課題について話し合って頂きました。(司会・文責=編集部)

障がいを理由にした差別

鈴木: 進君は、三年生までは普通に学校生活を送れていたわけですよね。その後体や脳に変化(障がい)は起きてきたけれども、進君は今も進君としてひとりの子どもであることに変わりはありません。なのに進学先として養護学校を勧められ、他の生徒と分けられていくということ自体が、障がいを理由とした差別です。地元中学に行くのを前提にして、どんな準備が必要なのか?を考えるのが学校・行政の役割ではないでしょうか。 長瀬: 養護学校という選択肢があるがゆえに、私の気持ちも揺れています。進学先=地元中学であれば、それに向けて決断し、必要な準備もできるのですが、別の選択肢が示されて、そちらを選ぶ親の意見や暗にそれを勧める学校の態度などを見ると、その方がいいかもしれないと思ってしまいます。普通学校に行くとなれば、教師・学校への働きかけ、まわりの親や生徒との関係も考えなければなりません。障がいに無理解・無関心な教師に囲まれるようなことになれば、そんな環境に子どもをおいていいのか?と自問しますし、そうした教師や親とも信頼関係を創っていかねばなりません。本人も私もとてもエネルギーの要ることです。

私自身がそうしたことをこの先もずっと続けられるのか? 不安になることもあります。 桂: 豊中では一九七〇年代から「共に生きる教育」に向けた取り組みが始まりました。重度の障がいをもつ子どもたちが「就学免除・猶予」という形で養護学校にも行けず、義務教育を受けられないのはおかしい、ということからです。七三年から市内三校に「ひろがり学級」が作られスタートしましたが、それでも遠い子はバスに乗って通わねばなりませんでした。その後、徐々に地域の学校に通えるようになりました。今では希望する子どもたちは校区の学校に通えるようになっています。

「友だちの中にたまたま障がいをもつ子がおっただけ。だから一緒にいるのは当たり前」と卒業生たちが語るのを聞きながら、「共に生き、共に学ぶ」教育の重要性を確信するようになりました。

でも「卒業したら地獄」と言われたお母さんのことばが、今でも忘れられません。卒業してしまうと仕事も生きる場もほとんど限られているからです。

「インクルーシヴ・ライフ」(共に生きる生活)が送れる地域作りが重要だと思います。

子供たちからもらった勇気

長瀬: 学校行事である林間学校・修学旅行で、親の同行を求められました。「教師だけだと不安で自信がない」と言われ同行を決意しましたが、家庭でも二四時間付きっきりになっているわけではありません。六年間、息子は友だちや教師と共に生きてきました。その延長でよかったんです。 司会: 普通の授業に付添を求められることもあるようです。 桂: 学校内はもちろん、修学旅行などは学校行事なのですから、学校で対応するのが大前提です。医療的ケアが必要な場合には看護師が派遣されたり、人手が足りない場合は他の学年に応援を頼んだり、いろいろ工夫をします。学校行事に親の負担を求めるのは、基本的に間違っていると思います。 長瀬: そう考えると三年間に、いつの間にか学校でするべきことと親がすべきことが分けられてきたように思います。つまり、「手のかかる子どもなのだから、親がするのは当たり前」という無言の圧力ようなもの感じています。

三年前の発症で、これまでできていたことができなくなっていく子どもの現実を受け止めねばならないしんどさ、そして元気なまわりの子どもとついつい見比べてしまう自分自身の目もあり、悩み続けています。でもこうした葛藤を払拭してくれるのは、息子の友だちです。「進君は進君やん」とか、「(緊急の時には)僕がススム君を背負って逃げるわ」という子どもたちの言葉を聞いて、揺れる気持ちが定まり「これでよかったんだ」と勇気づけられます。

そしてこうした子どもたちの親も同じように進のことを見てくれているんだと気づいたのが、車いす生活になった頃からです。「一緒にいるのが当たり前」と思っている多くの子どもたちが私を変えてくれましたし、息子と一緒に頑張ってこられた糧でした。 鈴木: 進君は友だちとの関係がよくできているし、それこそが彼にとって重要なことだと思います。いろんな先生がいますが、子どもどうしのつきあい方を見て、先生も変わるのです。豊中ではそんなケースをたくさん見ました。

「障がいがあるんだからこういうふうに生きるしかない」と諦めてしまったらおしまいです。そうではなくて「障がいがあるけどひとりの子ども」として生きていく。進君にとって一番大切な友だちとの関係を大事にすれば、障がいゆえにできないことは、まわりが何らかの配慮や援助をすれば普通に生きられます。豊中市では、親も教師もここから始まりました。 入部: この話を聞いていると二〇年前と何も変わっていないなーと思ってしまいます。豊中でも二〇年前は、障がい者福祉制度はほとんどなく一つ一つ要求し、作ってきました。徐々に制度は整ってきましたが、自立支援法成立のように、これから厳しい時代を迎えます。今はしんどいでしょうが、頑張る姿が見えてきたら、きっと仲間は増えていきます。

生活の場としての学校

長瀬: 保育所は生活の場、学校は教育の場だと言われたことがあります。勉強をする場である学校に障がい児は不適当だと言われた気がしました。 桂: 普通学級でみんなぶつかったり悩んだりしながら、自分の生活を築いていきます。できるようになることもたくさんあります。当たり前に友だちと一緒にいることから始まると思います。

「共に生き・共に学ぶ」ー一緒にいるからこそ、豊かに学び合える。そして、互いに大切なことを学んでいくと思います。 鈴木: 私の子どもはずっと原学級できましたから、確かにできるようになることはあります。でも、できる、できないで判断するのは危険です。養護学校だからできることもあると言われれば、どちらがいいかなんて証明しようがないからです。そうではなくて「友だちと同じ空気を吸わせたい」―教室の中で喧嘩が起こって、その時の言い合いを聞き、見て、雰囲気を感じることが生きることの一番重要な部分なんです。 入部: 私は、養護学校も普通学校も行っていません。それでも養護学校反対を言い続けてきたのは、みんな当たり前に普通学校に行くのに、障がいという一点だけで、養護学校へという世間の「常識」がおかしいと思ったからです。

いろいろな問題はありますが、子ども本人がみんなと一緒に中学に行きたいという気持ちが第一です。学校は自分の人生をどう送るかについての準備ですから、親をはじめとするまわりの人は、本人の意向を第一に、どう手助けできるかを考えればいいと思います。 鈴木: 誰でも得手不得手があるし、できるできないがあります。でこぼこがあるのが当たり前なのに、均一性を求めてできる子とできない子を分けると、その中でできる・できないをさらに分けていくことになります。障がい者を分けるという発想は、結局できる・できないを際限なく分けていくことにつながるのです。

子どもは本質的に「分けられたくない」と思っています。いろんな短所や長所をもった友だちがいるからこそ補い合う関係を自然に学ぶのです。均一な集団のなかで競争しあう教育で育った子どもが大人になったら、分けて格差を作る社会が作られてしまいます。教育で「共に生きる」ことができていなかったら、共に生きる社会は絶対に作れません。だから教育は重要です。

(2007/02/20)



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