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何で私が自立したかな〜/本部富生

…考えることばっかり

二九年前、親元を出た。お金の事で親とケンカして、印カンと障害者手帳をポンと渡され、初めは、困った。「運動(=障がい者自立・解放運動)」をやっていくには一ヶ月一万円近く必要。外に出ても、ええもんは食べへん。あんぱんか、おにぎりか、コーラ。これ言うたら、親に「今で精一杯、五〇〇〇円以上は無理」と言われた。当時の障がい者年金、月一八〇〇〇円。今思うと、親に無理ばっかり言ったな〜、五〇〇〇円も多かったなっと思う。一週間に一回遊びに出るだけなら、それでも充分だったろうが、・・・運動にお金がいった。

家におってもこれからの事考えたら、お先まっ暗。お母さんは、「自分が死んだら、家を出ればいい」と言ったが、今八四才でも元気!!私は五六才。親の言う事聞いてたら、えらい事になってた。ケンカしても、若い時に家を出てよかったと思う。

家を出て、一番お金がかかったのは運賃。年間四〜五回は東京に行った。みんなと同じ話をしていたのでは、介護者が集まらないので、東京に行って、みんなとは違う考え方や情報を持つ事が必要だった。

一番困ったのは、介護者。学生ばかり。私の障がいの事も解からなければ、料理を作った事もない。夏場はソーメンばっかり、冬場は水炊きと焼き肉、一番簡単。ラーメンばっかり食べてたら肝臓悪なって入院・・・。

二九年やってきて何も変わってない

私、性格として仲間に負けるのイヤ!!小さい時、施設にいて更に負けん気が強くなった。私は言葉も判かりにくいハンディーもあり人の倍、十倍がんばっても負ける・・・。

何かしようと思っても、勝手に健全者のペースで動く。障がい者はお客さん。それではいけないと、よくケンカをした。会議でもめると、他の障がい者は私に嫌な顔をする。他の障がい者は楽しい話をしてほしいと思っている。私の頃と違ってもっと遊び感覚で自立を始めている。今の若い障がい者、おとなしい。私は限界を感じ、一方的にやめた。

二九年やってきて、何か変えられたかな〜と思ったら、何も、変えられてへん。最近特に頭にきた話は、グループホーム開設反対の話。障がい者、地域に住んだらあかん、健全者の生活のじゃまになる。施設に行け、という。昔といっこも、変わらへん。もうひとつは大臣の言葉「女性は子供を産むための機械」。この言葉は昔、施設で三千人の女性障がい者が子供を産めない様に手術していた頃を思いおこす。介護の手間をはぶく為。まったく、今も昔も考え方は同じ。こんな考え方持っている厚生労働大臣が、障がい者の自立を考えられるはずがない。

今、健全者のペースばかり・・・。障がい者のペースで自立したいと言っても、実際は健全者のお金もうけになってる・・・。

(2007/04/03)



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