特集:「しごとください!」奮戦記
あるがままの姿で仕事をし、生活したい!一〇月六日、秋晴れのいいお天気です。私は、就職活動をがんばっている「赤阪はなさん」に会うため旭区民センターに行きました。就職に向けての研修があるということで、赤阪さんが来ておられ、時間をもらって、いろいろなお話を伺いました。 赤阪はなさんは、一九八八年二月一八日生。花の一九歳。リクルートスーツを着込んで車いすに乗り、眼はキラキラ、小さな顔です。私のようなおばさんから見ると、すごく愛らしくて「がんばれ!」って思わず声援を送りたい―そんな気持ちを抑え話を聞く態勢に戻りました。 はなさんは、全介助。いつも介助の若者が周りにいます。はなさんはただ黙って座っていて、まなざしと表情とわずかな動きで、すごい存在感。はなさんのとなりでは、はなさんとは子どもの頃からの長いお付き合いで、一緒に校区の学校に入学するための就学運動や就職活動をして来られ、社会のシステムや障がい者に対する差別にも深い問題意識をもたれている、しぶいおじさま=村上さんが熱く語ってくれました。 はなさんは、幼い時に幼児養育園でリハビリを受けました。障がい児童だけが集められ、健常者に近づくための訓練を受けるのです。でも障がいがあってもなくても、同じものを見て、同じ自然に触れ、それを共有する事で人間関係がはぐくまれ、人は成長するのです。はなさんは、校区の普通小学校入学を求めて闘いを始めました。 はなさんは小学校まで枚方市で育ち、中学校、高校は生野区に移って生活してきました。小中学校ではいじめ≠ノもあいましたが、そうしたぶつかり合いの中で友達をみつけることができました。はなさんは、こうした経験の中で同級生の友達がいじめにあっていたのを止ることも出来ました。自分がいじめられた経験を持つからこそ、その人達のつらい心情がわかるのです。 文化祭や体育祭も子ども達や教師の方達が一緒に工夫しながら、そのままのはなさんを受け入れることで、ひとりひとりを大切にした、より質の高い授業や体育祭などが行われてきました。はなさんがいるクラスは、いつも「どうしたらはなさんと一緒に出来るか?」を考えていました。リレー競争でも、はなさんのクラスは車いすを友達が押すので走る速度は遅くなります。そこで、スタートラインを変えたり、車いすを押す人を増やしたり、様々な工夫を加えた競技にしてきました。このような取り組みのおかげで、はなさんのクラスは、どこのクラスより一層盛り上がり、よそのクラスから「僕も入れて」と声がかかるほどだったそうです。 こんなはなさんのことを友達は「何も出来ないのかと思ったけど、はなには不思議な力があるし、はながいないとできなかったことがいっぱいあった。はなに頑張ってほしい」と語っていました。 高校は、桃谷の夜間部に入学しました。多くの障がい者も通っている学校です。はなさん達は、中学・高校に「きっちり、進路指導をするよう」訴え続けてきました。 ふつうの仕事がしたいはなさんが就職活動を始めたのは、高校二年生(二〇〇四年)のときです。ハローワークに行きましたが、当然のように「障がい者」コーナーに通されます。普通に誰もが働くように、はなさんも「働いて生活を立てたい」と相談に来ているのに、「あなたは働けませんよ」と断言され、はなさんの希望や条件などを聞くだけで、一件の紹介もしてくれませんでした。担当者に給料のことを聞くと、一〇万円が限度という答えしか返ってきません。地域で当たり前の生活ができる金額ではありません。 『障害者自立支援法』に伴い就労支援施策は増えています。自治体や障がい者団体が、障がい者の職業訓練・就労支援として短期訓練・ジョブコーチなどの様々なメニューを用意しているのですが、「どれにも当てはまらない」と支援対象外にされました。福祉的就労しか道はないというのです。 「障がい者団体が、はなさんに福祉的就労(授産所など)やディサービスを勧めるなんて…」私はそのことを聞いてがっかりしました。働きたい当事者に働くための支援もその努力もしないで福祉的就労を促すのは絶対におかしいと思います。本来、就労条件を含めてあらゆることを想定し、個々人に合わせて支援しなければいけないはずです。 |
● 注@ インターンシップ制度 ● 就職をめざす若者などが一定期間企業等で働きながら、実社会を学ぶことができる制度。大阪府も様々な役所や図書館などの業務で受け入れている。2004年度は34名の府立高校生を受け入れている。 ● 注A 学校 支援人材バンク ● 地域や民間から多様な知識や技術を持つ人材を学校にまねき、豊かな教育を実現するため、学校等に対して人材情報を提供する。2007年8月31日現在で4464人が登録し、特別講師や非常勤講師として、授業や部活動などを支援する。 |
できる条件を創り出す
「自分で探すしかない―」こう決意したはなさんと仲間たちは、障がい者の就労ではあまり利用されていなかったインターンシップ制度(注@)に突破口を求めました。実際の職場体験を積むことで、はなさん自身も働くことのしんどさや喜びも知ることができます。はなさんは「人間関係の刺激もあって楽しい」と言わんばかりの笑顔で応募しました。
しかし、まず教育委員会を実習先として申請したところ、驚いたことに受け入れを拒否されたのです。理由は「車いすを受け入れる態勢にない」。これに桃谷高校の教頭先生が動いてくれました。「教師の範たるべき教育委員会が何を言っているのか!」との抗議を寄せてくれ、府教委は慌てて受け入れを決めました。
次にはなさんは、教育委員会の中の「学校支援人材バンク」(注A)に登録し、桃谷高校で週二時間程度の授業を講師として受け持ちました。「はなさんの生きる姿を見て、自分もあるがままでいいんだと思った」こんな生徒の感想も寄せられたそうです。はなさんの存在が授業の理解を深めるのに大いに役立ったと、評価されました。
大阪府教育委員会は、高校生の職業指導を行うキャリア・コーディネータを各校に配置しています。しかし障がい者の就労は、とりわけ厳しいのが現実です。企業が望むとおりの職業マナーや技能を本人に身につけさせるのはどうしても限界があるのです。その限界を突破するには、企業の側も変わってもらい、誰でも働ける環境を整えることがとても重要です。はなさんは、まわりの環境が変わることで「できる」条件を見つけ出してきたし、そうした取り組みこそが必要です。
おむつメーカーでモニター実習
また、障がい者団体が運営する作業所が実習の場を提供することになり、障がい当事者でカウンセラーをしている姜博久さんの講演会に助手として出席することも、実習の一環として実現しました。
姜博久さんは講演会で「障がいがあっても普通校区へ行くべきだし、学校側は進路もきっちり支援するべきだ」と話しますが、参加者からは、「姜さんやからできるんや。うちの子はできん」という意見が出ます。そこで「はなさんは、校区の学校に行ったし、高校も卒業して、仕事もこうして探しているよ」と言うと、参加者は、「はなさんができるのであれば、うちの子もできるかもしれない」と変わります。りっぱに助手の役目を果たしました。
大学講師や民間企業での実習も実現しました。昨年の夏、おむつメーカーのモニターとしての二ヵ月間の実習です。「むつき庵」は、つけやすいだけでなく、ファッション性に優れたおむつや、快適に社会生活を送る道具としてのおむつの開発に取り組んでいます。実習期間中、はなさんは、お客さんの受付や応接をしたり、介護ベッド・移動トイレ・お風呂リフトの利用実験を行ったり、開発への協力を行ったそうです。
おむつをつけていることが恥ずかしくない社会にしていくために、「おむつをつけて街に出よう」キャンペーンガールという仕事もあるかもしれません。
日本は、物を作り、作った物や技術を売り大きく発展をしてきたのは事実です。その中で格好のよさや早さを追求するが故に、障がいのある人達を排除した社会をつくり出すのです。はなさん達の頑張りが社会を変えてくれると信じます。(入部香代子)
(2007/11/14)