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探検隊-フォークシンガー 塚本正治さん

一月五日、晴れた日、大阪市茶屋町にあるMBS(毎日放送局)内の喫茶店で、塚本正治さんとお話をさせて頂きました。

塚本さんは、一九九五年より二〇〇四年まで、フォークバンド『ハルシオン』で活躍。以後、ソロ活動。シングル五枚などを出し、活躍中です。最近、新たに『唄にして』というアルバムをリリース。

一九六一年、大阪で生まれ鶴橋で育つ。八一年、大学入学。障がい者の介護に関わり、いつの間にか学生運動に入る。八七年、成田空港阻止闘争で逮捕され、三年七ヵ月獄中生活を送り、その中で精神障がいを発症したそうです。五〜六年の間は「なんで、こんな病気になったんや」とだいぶ自分を責めたそうです。九三年一二月に大阪精神障がい者連絡会の結成大会に参加し、強く感銘を受ける。「地域生活支援センターすいすい」の職員になってまる一〇年。

音楽を始めたのは、阪神淡路大震災の年だそうです。同じ病をもつ仲間四名でバンド=『ハルシオン』を結成。しかし、一人亡くなり最後二人になり、〇四年からはソロだ。

生活に密着した歌を歌いたい

入部:音楽は、前から好きだった?

塚本:中学、高校は野球部で、ギターを学校で弾いている連中を見て「チャラチャラして」と、思いながらグランドを走っていた。僕のおばあちゃんが、美空ひばりが好きでいつも聞いていた。いつの間にか僕も「岡林信康」などの音楽を聴くようになっていった。

入部:作詞・作曲・唄は、難しい?

塚本:難しく考えると難しい。僕は、自分が作詞作曲した曲を唄っている。どういう時に歌詞や曲が出てくるかと言えば、銭湯などで鼻歌のように唄って出てきた言葉やメロディーを家に帰り録音し、それをギターのコードにのせる。このやり方は限界があると言われているけど、音符が読めないんだからしょうがない。実際、音符読めない人多いよ。それでも、唄をつくれて唄える。音楽は奥行が深い。自分が言いたい事を音にのせるいうシンプルなこと。

入部:音楽に対する思いは?

塚本:売れるかどうかで価値が決まっている。本当に唄いたい気持ちを大事にすることがなくなっている。もともと唄は、働いている人が唄う。農業や漁の唄で生活に密着したものが唄だと思う。僕も生活に密着した唄を歌いたい。七〇年代のフォークのように…。

入部:生活はどんなの?

塚本:三五歳まで、定職につけず、アルバイトもいろいろやった。バイトの時は、自分の障がいのことを言えなかった。精神障がいをもっていると朝が辛い。精神を落ち着かせるために薬を飲んでいるので、朝起きるのが辛いし、夜寝られない時は辛い。仕事にも毎日いけなくなる。昼食が終わって薬を飲んでいると、「なんの薬?」と聞かれる。「胃の薬」と答える。そんな感じで人間関係がしんどくなる。今は、理解がある職場でうまくいっている。

入部:結婚は?

塚本:えぇ、結婚して一〇年が経つ。連れ合いも同じ障がいをもっている。娘も一人いる。娘には知的障がいがあり「障がい家族」だと笑いあっている。傍にいるだけでお互いに安心する。

入部:今回のアルバムは? 塚本:『on!factory』というレーベルからCD『唄にして』を出すことになった。メッセージソングで、「命を諦めないで」ということをいろいろな形で歌にした。恋愛の唄はたくさんあるが、本当の気持ちや「このことがおかしい」という唄が少ない。メッセージソングだけど明るく聴きやすく創ったので、みんなに聴いて欲しい。

   ※    ※

塚本さんの唄は、そのやさしい人柄が出てやさしい言葉でつづっている。曲も七〇年代のあのメロディー。私もしっかり生き、おかしいと思うことは言えるようにしたい。(入部)

(2008/02/10)



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