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新聞の作り方-歴史から抹殺された事件 石塚直人

歴史的に抹殺された事件の解明にメディアは貢献するか

韓国・済州島の「四・三事件」をご存知だろうか。一九四八年のこの日、米軍軍政下で南朝鮮単独選挙に反対する民衆が蜂起し、六年にわたる軍や警察の掃討作戦により、三万人以上が犠牲になったとされる。長い独裁政権下、事件は歴史的に抹殺され、「共産主義者の暴動」というだけの説明で塗りつぶされてきた。

八〇年代から真相究明と犠牲者の名誉回復を求める運動が始まり、〇三年には大統領が現地を訪れて「政府が虐殺を行った」と公式に謝罪したが、今年はその悲劇から六〇周年の節目に当たる。

写真展や証言集会の報道

大阪は長く済州島と定期航路で結ばれ、同島出身者が多い。私の勤める読売新聞の大阪版にも、事件をテーマにした写真展の記事がトップで載った。七年前から通っている在日韓国・朝鮮人女性のための識字教室のテキストに使った後、大阪・生野区の展覧会会場に足を運んだ。

慰霊祭や遺骨調査の写真に交じり、今もあちこちに残る避難小屋(と言っても、窪地に木の枝や草を被せた程度)の風景が、潜伏生活のつらさを思わせる。米国国立公文書館所蔵のモノクロ写真には、ぼろをまとい怯えた様子の住民たちと、彼らを尋問するベレー帽姿の中年男が写っていた。男の薄ら笑いを浮かべた酷薄な表情には寒気がした。彼の気分次第で、何人もの罪のない住民が殺害されたのだろう。

歴史の究明にかかる民主主義の未来

大阪には、蜂起で処刑された司令官・李徳九の姪御さんがおられ、三月に学習会で証言に立ったと報じられた。話し始める前から涙が止まらず、今も行方不明のままの人たちやご家族に申し訳ない、と繰り返し頭を下げていたという。当時「アカ」とされた一族は連座制で全員が殺された。祖国の分断に反対して戦った李徳九自身、犠牲者慰霊塔の位牌には名前が刻まれておらず、排除されたままである。

韓国の李明博政権は、事件の究明に貢献した「四・三委員会」の廃止に動いている。前政権を否定するあまりのことだが、危険な事態だ。恒久平和を誓ったこの島では海軍基地の建設計画が持ち上がり、反対運動が起きているともいう。

日本ではこの間、沖縄の集団自決問題で大江健三郎さんの「沖縄ノート」を名誉棄損だとして訴えた元軍人の一審敗訴が決まった。済州島と沖縄、岩国、さらに韓国と日本の民主主義は深いところでつながっている。「四・三」の解明に貢献した在日の作家、金石範さんらの仕事も、日本のメディアはもっと注目していいと思う。

(2008/05/10)



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