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新聞の作り方-護憲運動を報じぬ新聞 石塚直人

連休最終日の5月6日、大阪・舞洲アリーナで開かれた「9条世界会議・関西」をのぞいた。内外のゲストによるスピーチや子どもたちのパフォーマンス、討論会など多彩なプログラムで、会場は座れない人が続出。主催者によると8000人が参加したという。

ちょうど、元米国務省職員の女性運動家M・A・ルイスさんが熱弁を振るっていた。世界の武器輸出の半数を占める米軍需産業のぼろ儲け、軍隊内でのレイプ被害続出、傭兵の増加で戦場の実態が見えにくくなったことなどを説明、「9条は米国の軍拡の歯止めにもなっていた。ずっと守って」の訴えには説得力があった。

「9条の会」が大江健三郎さんら9人の呼びかけで始まってから4年、地域・職場・分野別に全国各地で作られた「会」は7000を超えた。東京では毎日のようにどこかでこの会の集まりがあるという。

大手メディアがほとんど取り上げないのは、本当におかしい。「9条を守ろう」の主張自体、特定の政党への同調と見なされがちだが、実際には保守系の人も多く加わっている。でなければ、これだけの広がりは持ち得なかったろう。

改憲派の読売新聞の世論調査でも、今年は15年ぶりに憲法「改正」反対が賛成を上回った。会の取り組みが一定の力になったことは間違いない。

自由を奪われ息つまる職場

記者歴29年の私にとって、こうした集会の取材は最も楽しい仕事だった。平和や人権のため身銭を切って集まる人たちに出会うことが元気の素。でも、同僚に同じタイプの人は少なく、年を追ってさらに減ってきたように感じる。

入社時からこの仕事を「社会の木鐸」とは考えず、「情報産業」と割り切る人が増えた。社会の保守化の反映である。記者クラブを通じ体制側と付き合ううち、同化されて大衆運動に違和感を持つ人もいる。ただ根本的には、職場自体の変化を指摘せざるを得ない。拘束時間が増え、しかも人と向き合うよりパソコンとにらめっこの仕事に変わった。

一例を挙げる。私の駆け出し時代、多くの支局では夜7時のニュースが終われば自由時間で、取材先のだれかとよく飲みに行った。それがファクスの導入に伴い、今は刷り上がった地方版紙面のチェックも支局の担当とされ、10時、11時まで居残る。よほど押しが強い人以外、「同僚を残して飲みに行くのは気が引ける」となりがちだ。事件記者の夜回りならともかく、会社があまり評価しない護憲グループの取材にも出にくい。

どの社でも神経を病む記者が増えている。それはこうした仕事の変化と無縁ではないし、仕事の中に「自由」を取り戻すことでしか解決も望めない。

(2008/06/10)



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