特集:人工呼吸器ユーザーの自立
自分の人生、人の輪広げて楽しみたい
シンポジウム・高位頸髄損傷による人工呼吸器使用者の可能性
5月10日(土)、大阪国際交流センター(大阪市天王寺区)で大阪頸髄損傷者連絡会の主催で、シンポジウム「高位頸髄損傷による人工呼吸器使用者の可能性─呼吸ケア先進国カナダの当事者とともに考える─」が行われました。頸髄障がい当事者約80組を含め、200名以上の参加者で、会場はいっぱいでした。
シンポジウムは、2部に分けておこなわれました。第1部は、カナダ・BC州のバンクーバーから、頸髄損傷者で四肢麻痺の障がいをもつダン・ルブランさん(30)の講演。第2部は、大阪・兵庫の頸損連絡会のメンバー3名と、ルブランさんのパネルディスカッション「呼吸器をつけて地域で生きよう」でした。
頸髄損傷(頸損)とは、交通事故や高い場所からの落下事故によって、背骨の上の方にある「頸髄」が傷つくことです。この部分は、脳から全身につながる神経が集中している部分なので、傷ついた部分によって手足が動かなくなったり、自発呼吸が困難になったりします。損傷した位置が脳に近ければ近いほど障がいが重くなります。
人工呼吸器の使用者は、外出しようと思っても、なかなか思うようにいきません。呼吸器をつけているのを見て介護者が帰ってしまったり、受け入れてくれる障がい者施設が少なかったり…。
パネラーは、「呼吸器ユーザーが地域で普通に暮らしていけない」という現状の中で、@人工呼吸器をつけていることは、特別なことではない、A頸損者同士でカラオケに行ったりして、人の輪や外出する機会は広がっていること、B自立の実現に向けて試行錯誤していること、などを語りました。(編集部)
頸損者を支えるカナダの呼吸ケア
「環境デザイナーとして働きたい」。ダン・ルブランさんは、将来の目標について、こう語ります。もともとヨット・サーフィン・スノーボードなど、アウトドアが好きなルブランさん。木製ボートを作る仕事に就いていたそうです。
2004年にバイク事故で頸髄損傷の障がいを負った後も、呼気スイッチを利用したヨットに乗って、大好きな海を楽しんでいます。
事故後、「これから一生車椅子生活なのか」と挫けそうになっていたルブランさんを励ましてくれたのは、リック・ハンセンさんという人でした。ハンセンさんは、1985年、頸損研究のための基金を募るため、車椅子で世界一周をした人です。ハンセンさんは、入院中のルブランさんに「人生は、脊髄損傷を負った後も続く」と話して、ルブランさんを勇気づけたそうです。
06年、ルブランさんは「横隔膜刺激ペースメーカー」をつける手術をしました。すでに横隔膜ペースメーカーをつけていた知人が、人工呼吸器を使わずに、自然呼吸をしている様子を見て、自分も手術するという決断は早かったそうです。
これには理由があります。海辺に面する2階建の一軒家に住むルブランさんは、24時間介護を必要としているので、介護人の一人に同居してもらっています。
かつては恋人と一緒に住んでいましたが、彼女への負担が大きすぎて、彼女は出て行ってしまいました。その時、ルブランさんの状況が大きく変わったといいます。「暮らし方を変えなくてはいけない」と考え、より自立に向けて努力するようになったそうです。
ルブランさんは、バンクーバーで「シーソープログラム」と呼ばれる自己管理型ケア制度を使って暮らしています。シーソープログラムでは、障がい当事者に直接お金が支給されます。当事者自身がお金の管理をするだけでなく、介護者を探したり、介護に当たって必要な訓練を受けさせたり、介護日程を立てたりします。
ルブランさんが暮らすブリティッシュコロンビア(BC)州では、人工呼吸器使用者の自立サポートシステムには、4つの選択肢があるそうです。@ピアソンセンター(療護施設)、Aクリークビュー(グループホーム)、Bミレニアム・パレス(公的賃貸住宅)、C地域の一般住宅での生活です。
「頸損者の生活利便性」で言えば、日本とカナダでは、大きな差はないそうです。ただカナダでは、自己選択・地域社会の中で自己決定能力を習得できるよう訓練がおこなわれ、また人工呼吸器を必要とする人々へのサポート(装置・機器の貸与や保守管理、呼吸ケア、教育など)が充実しており、人工呼吸器使用者の生活を支えています。
なかなか外出できない呼吸器使用者
シンポジウムを主催した実行委員長・赤尾広明さん(大阪頸髄損傷者連絡会会長)にお話をうかがいました。
赤尾さんは、高校の体育の授業中、首の骨を折りました。リハビリ等も兼ねて1年半の病院生活を送った後、21年の在宅生活を送っています。
事故後2ヵ月は呼吸器をつけていましたが、初期の段階で呼吸器を外すためのトレーニングをおこない、自発呼吸ができるまでに回復しました。現在では、大好きなゆず・大塚愛のライブに出かけるなどして、毎日を楽しんでいます。
赤尾さんは、首の動きでパソコンのマウスを動かすシステムを使って、インターネットでの情報検索や電子メールのやりとりをおこなっています。今回のシンポジウムの準備でもパソコンの作業や、メールのやりとりで大忙しだったそうです。
頸損連の会員は全国で約700人(大阪は180人)。自立している人の割合はだいたい3〜4割です。特に重度の頸損者にとって「自立」の壁は厚く、「なかなか踏み切れない」とのこと。ヘルパー確保の問題・時間数の問題、また経済的な問題、家探しが大きな問題になってきます。
呼吸器を使う頸損者で、「家から出られない」人はまだまだたくさんいます。頸損連では、病院の先生を通して紹介してもらったり、自宅訪問したりして、「一緒にやっていこう」と話をしているそうです。
バーベキュー大会・ホタルの鑑賞会・カラオケなどの遊びの場を提供しながら、「外出できる環境づくりのきっかけになれば良いな」、という思いでやっていて、その成果は、少しずつ出てきているそうです。
「とにかく自分の人生を楽しもう」
去年、赤尾さんが頸損者の状況について、「変わってきたなあ」と実感することがありました。人工呼吸器使用の仲間と、梅田の阪急東通りを歩いていたそうです。「こんな繁華街を呼吸器をつけている人が歩いているなんて…。それも僕も一緒になって歩いている。感動的なものがありました」。
今でも、仲間と飲みに行ったり、カラオケに行ったりして交流を続けています。「個人的な楽しみだけではなく、人とつながっていく楽しみをもっと広げていくことができたら、人生も豊かになるでしょう。しんどいことがあっても楽しみに変えていく力がつけば、どんなことがあっても乗り越えられる、と思います」。
「とにかく、自分の人生を楽しもう」と赤尾さんは言います。「家の中でも、できることはありますが、前向き・外向きな気持ちを持てれば、どんどん楽しくなってくると思います。障がいがあってもなくても、人の輪を広げていきながら、楽しんでいきたい」―こう締めくくってくれました。
(2008/07/10)