特集:「防災」切り口に新たな福祉を
「ゆめ風基金」理事 八幡隆司さん
はじめに
1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災から14年目を迎えようとしています。近い将来、首都直下や東海・東南海・南海地震等の大規模地震も懸念されるなか、障がい者の防災は、どうなっているのでしょうか?
阪神淡路大震災をきっかけに生まれた「ゆめ風基金」は、阪神への長期支援と今後の災害に備えるために設立されましたが、2005年からは、災害支援に「防災」を加え、「障がい者市民防災まちづくりアイデアコンテスト」「障がい者市民防災提言集」・「防災の取り組みへの助成金創設」にも取り組んでいます。
新年号では、「障がい者市民防災提言集」を編集した八幡隆司さんに、障がい者の視点から防災の現状と今後の課題などをお聞きしました。八幡さんは、「防災を切り口に新しい福祉の形を創り出そう」と提言しています。(文責・編集部)
失われた10年
13年前の大地震から、予想を超える災害がありましたが、「障がい者が逃げ込める場所がない」という状況は、全く変わっていません。新潟の地震では、建物が被災し二冬を仮設住宅ですごしたグループホームもあります。「どこに、だれと逃げるのか?」真剣に考えておく必要があります。
中越沖地震(07年)では、中越地震(04年)を教訓に、行政も「何時間以内に何をするか」という被災者支援で格段に早い対応がとられました。
それでも洋式トイレが避難所に届けられたのは、地震から48時間がたってからでした。新潟は雪に強い建物が多く、住宅への被害は阪神淡路よりも少ないという特徴がありましたが、余震が多く、小千谷市では人口の8割が避難しました。8割の人が避難しても、私が知る限り避難所に障がい者は全くいない状況でした。体育館では、すごせないからです。つまり阪神大震災から10年経った時点でも障がい者市民が災害時に逃げ込む場所さえ確保されていなかったということです。まさに、失われた10年です。
05年以降、「災害時要援護者支援ガイドライン」の策定や改定が進められ、行政担当者への研修等も開催されていますが、当事者の声を全く聞かずに作られています。災害が起きてから慌てて対策をとるのでは、あまりにも大変です。ふだんから、何かあったらどこに逃げるかを決めておくことが、大変重要です。
近隣の指定避難所はどこか? 学校の体育館でムリなら、どこへ逃げるのか? 事業所としては、災害時もどのようにサービスを継続できるのか、検討しておく必要があります。
福祉避難所
近隣の社会資源をよく調査して、何かあったときに使えるように交渉しておくことも必要です。指定避難所である体育館は、雑魚寝状態になり、障がい者・高齢者には対応できません。
ですから、例えば特別養護老人ホームやバリアフリーの福祉センターなどを「福祉避難所」として予め指定してもらい、災害の際に逃げ込む場所をどんどん作ろうというものです。能登半島地震・中越沖地震で初めて設置され、ある程度の効果を上げました。
しかし、全国的に見ると指定はされていても、運営するノウハウや体制が整っていない施設がほとんどです。実態を作っていくのはこれからです。
もう1つ大事なのは、避難所は逃げ込んだら終わりではなく、「避難所を運営するのは地域住民」という点です。避難所につく役所の担当者は、1〜2人なので、「避難所の鍵は誰があけるのか?」から始まって、日頃から役割を決め、避難所を住民が運営できるようにしておく必要があります。
作業所を自主的に避難所にすることもできますが、指定の「避難所」以外には、食料などの救援物資が届きません。予め「福祉避難所」の協定を結ぶ必要があります。また、「福祉避難所」の開設には、2〜3日かかることもあるので、3日間は一般の指定避難所で、地域の人に介護を手伝ってもらってしのぐことも考えておきましょう。そのためにも体育館のトイレはどこにあって、車イスで使えるのか? ダメならどうするか? 介助は? ということを地域の人と考え、話し合っておきましょう。
防災で地域の再構築
防災は障がい者だけではなく、住民みんなの共通テーマです。難しく考えすぎず、地域の防災訓練に積極的に参加して、顔や名前を知ってもらっておくといいと思います。また、障がい者団体が呼びかけて避難所での訓練もできます。
避難所のトイレが使えるか?みんなでチェックしたり、炊き出しをしたり、中学生を集めて車イスの押し方や、視覚障がい者の手引きなどを覚えてもらう講習会もできます。知的障がい者の介助ボランティアの必要性も訴えておくべきです。
考え方によっては、地域との関係作りから考えて、「防災」ほど、いい題材はありません。筋書きを決めすぎず、ハプニングありで、ワイワイやればいいのです。定年退職した団塊の世代に働きかけていく、いいチャンスにもなります。
大阪市城東区にある「のんきもの」という障がい者作業所は、自分たちで防災訓練を主催しました。避難路の点検・消火器訓練・応急法の学習・防災グッズの制作と紹介などをやりました。こぢんまりとした訓練でしたが、自治会や子ども会の皆さんとも顔見知りになり、打ち合わせも含め地道に取り組むことで地域との交流が進みます。
横浜市中区の障がい者連絡会は、地域の防災訓練に参加し、これが縁で仕事作りにもつながりました。防災訓練で作られたつながりは、日常生活や活動にも生きてきます。
最近では、ヘルパーや福祉専門家としかつながりがない障がい者が増えています。昔は、大学や地域に出ていってビラを撒き、介護者を探すことなどを通して地域社会との接点を広げてきました。しかし自立支援法施行以降、こうした活動が低調となり、若い障がい者は特に、地域社会とのつながりが狭まるという現実も見受けられます。障がい者解放運動にとって危機的状況です。
今後、福祉予算が増えていくことはないでしょう。無償で助け合う精神みたいなものを作り直さなければ、避難所では暮らせません。人間にとって「無償で動く」ことは大事です。普段から顔と名前を知ってもらっていれば、いざという時に介助をお願いするのもやりやすくなります。
「防災」をきかっけに、地域との関係を作ったり、積極的に自己主張する機会にすればいいと思います。
(2009/01/12)