特集:困ったときには助け合える豊かな社会へ
大阪障害者自立生活協会 理事長 楠敏雄さん
他人に無関心な社会で障がい者は暮らせない
「人間同士がバラバラになり、大きな格差を生み出した新自由主義にストップをかけて、日本を人間関係が豊かな社会へと変えていくことに残りの人生をかけたい」こう語るのは、楠敏雄さん(64才)です。楠さんは、日本の障がい者運動を引っ張り続けてきました。現在も、自立阻害法とも言える障がい者自立支援法改正のために様々な団体の橋渡し役です。
今号は、楠さんが障がい者解放運動に入ったきっかけや、40年余の障がい者運動の成果と問題点、さらに今後の抱負などを聞きました。
北海道で生まれた楠さんは、2歳の時に失明し、小・中・高と盲学校で寄宿生活をします。学校の外に出るのは、夏・冬休みくらいで、「閉じられた世界の中で暮らしてきた」と言います。教師になる夢をもった楠青年は、大学進学をめざします。(文責・編集部)
閉じこめられた世界から健常者の世界へ
当時、視覚障がい者にとっての職業は、鍼灸・按摩しかありませんでした。高校卒業を控えて、住み込みの職場を見学したことがあります。30〜40人が、屋根裏部屋のような、とても快適とは言えない大部屋に押し込められ、マッサージのお呼びがかかると車に乗せられて客の家に行き、仕事が終われば、また車に乗せられて部屋に帰ります。しかも稼ぎの半分以上を親方に搾取されていました。
「こんな人生はイヤだ」そのとき感じた強い思いが、大学受験を決意させました。盲学校の教師になるのが夢でしたが、東京教育大(現筑波大)は、競争率4倍の狭き門で、地方出身者の合格はきわめて稀という実態でした。このため、英語が得意だったこともあり、京都の大学に入学しました。
大学入学は私の世界を大きく広げました。初めて健常者の世界に入り、対等に学生生活を送ることの喜びや、同時に「健常者に負けたくない」というツッパリもあり、2年間位は、頑張っていました。
しかし自分の努力だけでは突破できないバリアがあることを思い知らされます。様々な差別にも直面し、「障がいがあっても普通に生きたい」という思いと、それができない現実の間で葛藤していました。
当時は、ちょうど全共闘運動が生まれた時期です。学費値上げ反対闘争・学園民主化から部落解放運動をはじめ様々な社会運動も活性化していく時期でもありました。全共闘として様々な社会運動に参加しましたが、自分が障がいをもっていることもあり、徐々に障がい者解放運動に重点が移っていきました。これが運動に入っていくきっかけです。
障がい者解放運動の40年
障がい者解放運動の40年を思い起こしてみると、障がい者の存在が社会の中で広く認められたことは大きな変化です。私たちの運動も一定の役割を果たしてきたと思っています。
昔は、列車に乗ろうとしても駅員から「何で目が見えないのに外に出てくるんだ」とか「忙しいからいちいち案内なんてできない」、という対応が当たり前で、いつもケンカしなければなりませんでした。今は、物理的なバリアも、だいぶん少なくなりました。
しかし今は、社会全体の人間関係が希薄で疎遠になっています。これだけ障がい者の存在が当たり前になっても、慣れない駅で階段の場所等を尋ねると、7割の人が無視します。「面倒なことや他人に関わりたくない」という意識かも知れません。
私が学生の頃には、電車に乗ると酔っぱらいのおっちゃんが突然お金を差し出してきたり、おばちゃんが食べ物を鞄に押し込んだりということがありました。「お節介」な、でも人情味のある人間関係がそこら中にありました。
先日も、たまたま介助者がいなくて、マンションの隣の住人に急ぎかも知れないので手紙を読んでもらおうとお願いしたら、「私には関係がありません」とドアを閉められました。彼を責めるつもりはありませんが、これは現代社会の一断面です。
こうしたことは、障がい者解放運動にとっても大きな問題です。いくら福祉施策が充実しても、他人に無関心な社会になれば、障がい者が地域の中で暮らすのは極めて困難です。
障がい者の自立運動が、孤立運動になってはいけません。「青い芝」など告発型の運動は、強く自己主張をしながらも、仲間や支援者への気遣いが同時にありました。
今は、福祉施策の充実によって、自立生活への壁は低くなりました。しかし、自分が自由な自立生活ができるようになった、あるいは「年金が少し上がったからもういいわ」と手抜きするようになったら、運動は急速にパワーを失います。
自分の利害や課題から出発することは重要です。でも他の障がい者や社会問題にも目を向けて自分の意識を高め、支援者も含めてネットワークを広げていくような運動でなければならないと思います。
豊かな人間関係の拡大を
今後やりたいことは、3つあります。まず、闘いながら自立生活を営む仲間を増やすことです。障がい者解放運動は、生きるための闘いでした。生活に密着しています。これが障がい者運動の強さです。こうして福祉施策は一定程度闘い取られてきましたが、これが「個人の利益」に還元されてしまうと運動は力を失います。
施設や家庭に閉じこめられたまま一生を終わる障がい者の仲間は、まだたくさんいます。彼、彼女らが世界を広げ、地域で生きていくための条件を整え、援助したいと願っています。そのための制度作りも重要です。
第2は、人間同士がバラバラになってしまっている日本を変えていくことです。私は、高校の時の先生の影響もあり、社会問題に強い関心を持って生きてきました。障がい者の他にも抑圧や差別を受けている人々が世界にはたくさんいます。これらの人々とつながり、世界や社会全体の解放の中に自分の運動や解放を位置づけることで、障がい者運動もパワーアップします。障がい者・健常者を問わずネットワークを広げ、豊かな人間関係を築くことは、全ゆる社会問題解決の基礎です。
新自由主義の名のもと、自己責任が問われ、みんな互いに孤立しています。「こんなことがあっていいのか!」と思うような不当な扱いや差別への怒りを持ち続け、困った時には助け合える、人間関係豊かな社会に変えていく運動の一端を担いたいと考えています。
第3は、個人的になりますが、感受性豊かな人生を送ることです。鳥の声を聞くのが私の趣味です。鳥や虫の鳴き声、さらには、花の香りを楽しむ時間を大切にしたいと思っています。
映像の世界がないだけに、私たち視覚障がい者は、相手の声や様々な音を聞く聴覚と手で触って判断する触覚の世界で生きてきました。「今日はいい天気だ」と健常者が言っているのを聞けば、「どんなだろう? 観てみたい」という気は起きます。でも雀と百舌鳥の鳴き声の違いを知っている健常者はどれ程いるのでしょうか?
健常者とは違う豊かな音の世界と感受性を私たちは育んできました。時には旅行をして大自然の中で、鳥の声を聞き、草花の香りを楽しむ、そんな時間を大切にしたいと願っています。
(2009/03/18)