リレーエッセイ「動き出した電鉄のバリアフリー化」-村上博
はじめに
学校の卒業式・ 入学式が集中する3〜4月、校区の小学校の卒業式に参加した。卒業生が時折涙ぐむ様子を見ながら、5年生(新6年生)の息子の1年後の卒業に思いをダブらせ、グッと来る情けない父親です。
ところで、こうした式典につきものの国歌斉唱。私は長年、斉唱していない。声高に信念を流布するつもりはなく、斉唱の間、目線を落とし、ひたすら終わるのを待っている。私が中学校を卒業する時のこと、当時50代の音楽担当教師が「君が代」斉唱のリハーサルでしゃきっとしない我々に歌詞の意味を詳しく説明し、カツを入れた。「君というのは天皇のこと、天皇の世は永遠に続く」、という歌詞の意味をその時初めて知った。だが、その後、社会の矛盾、不合理を経験するにしたがい、違和感を感じるようになり口にしなくなった。
春休みのある日、妻が息子に式典で君が代を歌わない理由を聞いた。息子は、小学校低学年のとき、「君が代歌えるの?ってお父さんに聞いたら、歌の意味を教えてくれて、僕はおかしいと思ったから歌わないことに決めた」と言ったのです。息子が歌っていないのは知っていたものの、迂闊にも私はそのことをまったく失念していた。だが、斉唱の間、声にしないまでも、頭の中で歌詞が駆け巡っている。残念。
ヨーロッパ視察での驚き こころ新たに
話は変わるが、4月1日から2編成の新しい低床電車が走り始め、全部で7編成になった。運行間隔も15〜20分ほどに短縮され、多少は便利になった。これまで何度も書いたが、日本で最初に低床電車を導入したのは熊本市である。私は94年・96年の2度にわたりヨーロッパのノンステップバス・電車が障がい者や高齢者、乳母車の重要な移動手段になっている様子をつぶさに見てきた。街中の車いすや高齢者の多さがそのことを物語っていたが、私たちのような旅行者にとっても使い勝手のよいことに一同驚嘆した。その経験が熊本での導入運動の原動力となり、97年の導入につながった。
その後、広島・岡山・鹿児島など各地でも低床電車の導入が相次ぎ、今や富山市が本格的LRT都市と呼ばれ、脚光を浴びている。こうした状況は喜ばしいことだが、肝心の熊本市はかつての華々しさに比べると周回遅れの現状となっている。狭くて危険な電停は12年前と同じまま、車いすで乗降できる電停の数は1ヵ所も増えなかった。低床電車の良さを生かし切っていない。もったいない話である。
昨年12月議会で一般質問に立ち、電停改修問題を取り上げた。3回目だった。これまでの当局の答弁は、早く言えば出来ない理由ばかりの内容だった。ところが今回は一歩踏み込んで、新年度予算に電停改修の調査予算がついたのである。
電停のバリアフリー化を言い続けて10年。昨年3月1日に亡くなったバリアフリーデザイン研究会の事務局長だった白木力さんとは2度のヨーロッパを共にした仲。やっと動き出す電停のバリアフリー化にどうコメントするだろう。
(2009/05/15)