「ちがうことこそええこっちゃA」 -牧口一二
自分自身の情けなさと向き合って
障がい者の社会参加を切り開くために、半世紀近くも走り続けてきた牧口一二さん。インタビューの第2回です。美術学校を卒業後に全く就職できなかった牧口さんは、面接先の社長からの「松葉杖をついているから雇わない」という決定的な言葉に衝撃を受けます。しかしそれは同時に、障がいをもつ自分自身の足元を見つめ直すきっかけにもなりました。
挫折から2年の後、ついに就職先を見つけます。美術学校時代の友人たちが立ち上げたデザイン会社で、いっしょに働くことになったのです。しかしここでもまた牧口さんは、大きな壁にぶつかることになりました。
障がい者が社会に参加していくためには、健常者のために作られた物の形や社会のシステムが変わらないといけません。でもその前に、自分自身のものの考え方や発想を変えることが必要だったのです。(文責・編集部)
けったいな障がい者に
仕事では自分の居場所を確立するのに夢中になりました。5人で分担をして、仕事を取るための営業に出るんです。ぼくも松葉杖をついて、仕事を取りに行きました。しかし、取ってくる仕事の件数はみんなと同じくらいなのに、金額で言うと10分の1くらいなんですよ。つまり、伝票の印刷の仕事など、デザイン料を取れないような仕事しかもらえないんです。
ここでまた友だちに「おまえ、自分が障がい者だということを忘れてないか」と言われたんです。「それがなんで悪いんや」とムッときたんですが、友だちは言葉を続けて、「いい悪いじゃなくて、世間の人はお前が営業に飛び込んで来たら、『障がい者が来たら出してあげな悪いんちゃうか』と思うて仕事くれてるんや」…。言われる通りなんですね。
こういうことをズバッと言ってくれるやつがいるんですね。54番目の社長みたいに。しかも言われ過ぎるとがっくりきちゃうんですが、適当に抵抗もできる距離感で言ってくれることが大事なんですね。これが難しい。ぼくはそういう決定的な巡り合わせに2回、会ってるんです。とても腹の立つ言葉だったんですが、本当のことを言ってくれてたんですね。
それから、みんなでどうしたらいいかと考えました。それでみんなが「おまえ、けったいな障がい者になれ」って言うんです。ちょろちょろっとしたあごひげを生やしたり、真っ赤なブレザーや、漫才師が着るようなブルーの地に白い水玉の上着を着ました。ついでに松葉杖に色を付けようということで、8組の色違いの杖を作りました。障がい者のファッションの走りですね。
当時は障がい者がファッションなんて言えない時代です。こういうのは障がい者運動をやっている人からは出てこない発想なんですね。フリーの仕事をしてる人だからできたんです。発想が柔らかかったり、突拍子もないことを考えるというのは、違う世界に生きてるやつということが多いんですよ。
そういう格好をすると不思議なもので、気分まで変わるんですよ。「こんにちは」が「ちわー!」になったり、勢いよくドアを開けたりね。そうして飛び込んだら、向こうがびっくりするんです。「杖ついてるけど、けったいなやっちゃな」というかんじで。そうなると、世の中の「障がい者観」がすっ飛んで、「ひょっとしたらおもしろいデザインするんちゃうか」という期待感を与えるんです。それで、デザイン料をもらえる仕事が初めて出まして、以後、どんどん私に仕事が来るようになったんです。
それで私も、やっと5人の仲間入りができたな、と思えるようになったんです。仕事を始めて3年経ったくらいのことですね。自信のようなものがわいてきて、その時に、初めて他の障がい者のことを考えたんです。
(2009/08/10)
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