特集:座談会B:挫折・苦労を引き受けてこそ
はじめに
楠さん、河野さん、牧口さんによる座談会最終回です。「障がい者が人間としてどう解放されていくのか?」という根本的な問いをめぐって、3者の思いや考えが語られます。
これらは、90年代に大きな変化を迎えた障がい者解放運動の、今後を創る上で避けて通れない原点となる問いです。競争が重視され、弱肉強食が当たり前とされる市場原理主義に代わる「もう一つの世界」を考える時、不可欠なな視点や考え方が示されているのではないでしょうか。(文責・ 編集部)
「あれもこれも」という大胆さ
楠:河野さんと運動で合流するのは、79年養護学校義務化反対運動です。僕は盲学校で隔離された生活を送ってきたので、理屈抜きに盲学校への拒否感がありました。養護学校推進派の勢力が大きい中で、河野さんたちが支援していた「青い芝の会」が、養護学校義務化反対を打ち出し、方向は全く一致できると思いました。
また牧口さん達は、「駅にエレベーターを付けろ」という運動をやっていたけれど、青い芝は、「エレベーターなんか使うな」という主張でした。
真逆の意見のようですが、両方必要なのです。エレベーターを使う時があってもいいし、他人の協力を求める時があってもいい。障がい者がその時の都合で選べることが重要です。
牧口: エレベーター設置運動をやってて一番困ったのは、それです。青い芝の人たちが、「俺たちは車イスを担いでもらって階段を上がりたいんや」「エレベーターが付けられると、コースを決められる、それがイヤや」という批判でした。
「そりゃそうだ」と思ったので、本当に困りました。でも、「他人にものを頼むのが嫌な、気の弱い障害者もいるし、安全の方がいいという人もいるんだから」と、何とかわかってもらいました。
河野:あの当時は、「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」と、それぞれの障がい者の置かれた状況や生活スタイルに合わせて、それぞれの運動に参加していったように思いますね。
何をめざすのか?
河野:「今の若い障がい者たちは…」という批判は、間違っています。人類が始まって以来、年寄りは同じ言葉を言い続けてきたからです。ただ、障がい者が人間としてどう解放されていくのか?を考えた時に「楽してそれはできない」と言えます。苦労の中にこそ、楽しいことや辛いことも沢山あって、それを自分のこととして引き受けていく姿勢が、基本だし大事です。
牧口:自分が解放された時に、本当の幸せは訪れると思う。でもそれは、「こうしなさい、ああしなさい」という話とは違う。強いリーダーや教訓なるものを求めたりせず、「自分が好きなようにやる」という大胆さが必要なんやろな。
楠:我々人間は、多かれ少なかれ、「自分さえよければいい」という利己主義や個人主義に絡め取られる危険性をもっています。「好きなようにやる」といっても、パンを食えない人が目の前にいるのに、「美味いなぁ」と一人でパンを食べて喜ぶ人は、許せません。
牧口:私欲を捨て去るということ?
楠:そうじゃない。私欲は認めても、全面的に肯定してはいけないということです。パンを半分にして困った人にあげるような社会であって欲しい。
牧口:それくらいの常識は、みんなもっているんじゃないの?
楠:それは甘い。ボクが電車で白い杖をついて席を探していても、声をかけてくれる人は本当に少ないのです。
牧口:確かに無関心な人が増えているとは思うけどな。
楠:別に、席を替わって欲しいわけじゃない。「あの席が空いてますよ」とひと声かけて欲しいだけなのに、これができない社会になりつつあります。
牧口:自分が生きることに精一杯で、ゆとりがなくて、他人に気配りができなくなっているんやろなぁ。
(2009/12/23)
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