吹田の生き物と人23-釈迦が池のカモ -高畠耕一郎
水鳥のいない池
吹田市の紫金山公園に釈迦が池という大きな池があります。この池の真ん中を名神高速道路が横切り吹田インターに入ります。この池は昔は今の3倍以上の大きな池だったのです。私が知っている35年前からでも半分位になりました。
そのころは、池の3分の1くらいを葦などの細長い水草が池面を覆っていて、鴨類がたくさん生息しており、夕方には、どこからともなく集まってきて、かたまって羽を休めていました。
しかし、五月が丘側の住宅開発が始まり、釈迦が池も五月が丘側の部分が埋め立てられました。現在、佐井寺中学校前の公園になっているところです。そのため、そこにいた水鳥たちは一斉にいなくなりました。
この時に、私はこの前のマンションに住む方から、「私はこの釈迦が池とそこに飛んでくる水鳥が楽しみでこのマンションを購入した。それなのに、埋め立てられることは大変悲しい。」という話を伺ったりしました。
鴨池と呼ばれた頃
釈迦が池は、昔は「鴨池」と呼ばれ、数万羽という鴨が飛来し、羽を休めて夜を過ごす池だったのです。吉志部神社の奥田宮司に聞いた話です。宮司さんが子どもの頃、早朝、紫金山の上から見ていたら、たくさんの鴨が一斉に飛び立つ。ところが、鴨は重たいので、垂直に飛び上がることができなくて、山にぶつかりそうになるぐらい斜面すれすれに、バタバタと羽を必死に動かし、目の前を飛んでいったそうです。「何千羽の鴨が山尾根に立っている自分目掛けて飛んでくるように感じた」と話されました。
この釈迦が池は江戸時代には、近隣でも有名な鴨の狩猟場所だったのです。横網を幕のように垂らすと、地面すれすれに飛来してくる鴨が何羽か網に引っかかり捕獲されたのです。
吹田市立博物館発行「水辺の文化の再発見─鴨にみる人と自然」(1995年発行)には、釈迦が池の鴨のことを、次のように書いています。「冬場の鴨漁は、裏作ができず余っている土地と時間を有効に利用できた。人々は、鴨にイネを食い荒らされる前に収穫を済ませ、鴨にとって落ち穂のある刈り入れ後が絶好の餌場となり、さらに、大量の鴨がもたらした糞が夏場の肥料となった」とあります。
(2010/02/10)
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