自立支援法に代わる本格的制度改革始まる
障がい者権利条約批准に向け障がい者制度改革推進本部設置
09年12月8日、鳩山内閣は「障がい者制度改革推進本部」を設置。同推進会議を開催して、障がい者権利条約に沿った国内法の整備を行い、障害者自立支援法に代わる障害者制度の集中的な改革を行うとしています。
担当室長には、まねき猫通信にも何度も登場した東俊裕弁護士が内閣府参与として就任し、委員も24名の内14名が障がい当事者またはその家族という構成です。障がい者を保護の対象としてではなく、権利の主体としてとらえなおし、様々な制度を作り直そうとしている同推進会議の議論は、これまでの障がい者施策を根本的に変える、歴史的な改革につながる可能性を秘めています。
同推進会議の委員として議論に加わっている尾上浩二さん(DPI日本会議事務局長)に、推進本部の意義や、議論の方向性について語って頂きました。(文責・編集部)
自身の経験から
尾上浩二さんは、仮死早産で生まれ、脳性麻痺による車イス生活です。自分自身の子どもの頃の原体験をもとに改革の方向性を説明してくれました。
自分が望んだわけでもないのに、親や児童相談所の意向で養護学校・施設に入れられた尾上さんは、持ち物すべて、上着や下着にも「51番」と書かれていたそうです。この施設で自分は「51番」という番号で呼ばれる存在なのかと思ったと言います。
当時、脳性麻痺は、手術によって治るという神話がまかり通っていて、施設にいた2年間に8ヵ所の手術をされました。医療の実験台です。手術を受ければ受けるほど歩けなくなりました。
尾上さんのこの原体験は、改革のキーワードである「特定の生活の様式」の強制そのものだと言います。障がいがなければ、施設に隔離され、番号で管理されることは決してなかったからです。障がい者権利条約は、「障がいゆえに特定の生活様式を強いてはならない」と謳っています。
もう一つの改革のキーワードは、「合理的配慮義務」です。地域の中学校入学を望んだ尾上さんは、校長の事前面接を受け、その際「特別扱いは一切しません」と言われました。さらに教頭先生は、「@階段の手すりなどの施設整備、A先生の援助、B他の生徒の補助も求めません」という念書(約束)を求めました。
障がい児・者が健常者と同じことをやろうとした時には、様々な配慮や手助けが必要です。それなしには同じスタートラインに立てないからです。この中学校の対応は、この「合理的配慮義務」を放棄したものでした。
合理的配慮を提供してこそ、障がい者を平等に扱ったと言えるのであって、合理的配慮を怠ることは差別になります。
尾上さんは、「もう2度とこんな体験はしたくないし、若い世代に味わわせてはならない」と、改革を進めていく決意を語りました。
当事者主義
「推進会議には、当事者の皆さんたちに多く入っていただいて、『私たち抜きに、私たちのことを決めないで』ということを強く実現していきたいと考えております」。これは、第1回会議冒頭に表明された共生担当大臣=福島瑞穂氏の挨拶です。
当事者主義は、推進会議委員24人のうち14人が障がい当事者ないしその家族という構成でまず保障されました。
これは、自立支援法への反省が生かされた結果です。同法は、十分な実態調査や当事者の声を聞くことなく、霞ヶ関の密室で作られ、障がい当事者の批判・反対を無視して実施されました。
「(障がい者の)皆様に重い負担と苦しみと尊厳を傷つけた自立支援法は廃止」を明言した長妻厚労相も、推進会議について「専門家の方々だけではなくて、広く利用される方々の声も、われわれ謙虚に耳を傾けて、新しい制度をつくっていきたい」と語っています。
こうした当事者主義は、改革の根本精神でもあります。従来、障がい者は、保護の対象として見られていましたが、「今回は、障がい者自身が自己決定できる権利の主体としての存在になる」―こう語るのは、脊損連合会を代表して推進会議の構成員となった大濱眞さんです。
国連では、1987年に障がい者が過半数を占める専門家会議が初めて開催されました。そこで障がい者権利条約の原案が提案されたという歴史があります。尾上さんも「障がい者を権利の主体として、どんな障がいがあっても、地域社会で差別を受けることなく、障がいのない人と共に障がいのある人が生きがいのある生活を送ることができる法制度の体系の基本となる法律とすべき」と語ります。
(2010/04/10)
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