リレーエッセイ:障がい者にとっての3K -佐野武和
婚活の「3K」
近頃の若者の結婚観につながる「3K」は、@価値観が共有でき、A金銭管理がしっかりしていて、B雇用が安定していることだそうだ。これまで「高身長・高学歴・高収入の3高」だったらしいから、えらく現実のにおいがする。
この「3K」を障がい者の暮らしに照らし合わせると、価値観の共有は難しい。インクルーシブ教育であったり、入所施設の是非論であったり「障がい者の幸せを願う」なんて大くくりな価値観で、了解できない壁が存在する。
金銭管理は、工賃にしろ年金にしろ親が管理しているケースが少なくない。また、障がい者は本来、金銭管理が苦手で、携帯電話やゲームに高額使用するといった街の誘惑にすこぶる弱い。
それに、おおよそ「雇用」とかけ離れ、労働者性のない作業所で働く障がい者がほとんどだ。「3K」は、私たちのテーマだと言いたいよう…。
労働は権利だ
それにしても障がい者の団体は、こんなにも細部に別れ、それぞれが主張をし、価値観の共有に程遠い現実なのだろうか。
内閣府の障がい者施策改革に過度の期待をかけ、一気に思いを実現しようとするのは無理がある。妥協ではなく、実現可能な調整案を共有することが求められる。
また誰も言及しないでいるが、障がい者年金が本人の日常生活に活用されない不可思議な現実を身近にしている。ベーシックな保障は、当事者本人の暮らしに金銭が使われることを前提とし、金銭管理のエンパワメントこそインクルーシブ教育や自立生活運動の課題なのだ。
一方で、福祉職員の処遇改善の前に、障がい当事者の労働者性を担保しろと言いたい。労働は福祉処遇ではなく権利であり、合理的配慮による雇用契約を前提に社会保障すべき課題だ。
政局に翻弄される障がい者施策が浮き彫りになりつつあり、駆け引きの道具にされるのだけは真っ平だと、誰もが 思っている。同時に如何様たりとも動じることのない地域実践が肝心であると痛感する毎日だ。
(2010/07/15)
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