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▲ピアノ演奏中の松谷さん 入部さんも一緒に記念撮影、公演会で3人の演奏が終わった後で

▲上から小縣一正さん、鈴木凜太朗さん、松谷優希さん

特集:国際障がい者ピアノフェスティバル

ピアノで人と出会い可能性を広げたい

パラリンピックは、障がい者スポーツの祭典で、近年とみに注目を集めていますが、「ピアノパラリンピック」(現在は「ピアノフェスティバル」と改称)をご存じでしょうか?様々な障がいのあるピアニストたちの演奏と、全く新しい試みへの挑戦をテーマにした国際的な祭典です。

第2回バンクーバー・ピアノフェスティバルに出場した小縣一正さんら3人の若者が、9月11日、市民活動プラザおおさか(東淀川区)で行われた「チャリティ文化公演会」にゲストとして参加、演奏を披露しました。

3人のピアノにかける想いなどを、入部香代子がインタビューしました。(文責・編集部)

工夫すれば両手で弾ける

入部‥ピアノを始めたきっかけは?

小縣‥3才の時、親指がない右手の手術を行い、そのリハビリとしてピアノを始めました。6才の時に神戸で行われた障がい者のピアノコンサートで初めて聴衆の前で演奏してから、聴いて喜んでもらう醍醐味を知りました。ピアノの指使いは複雑で、僕の場合右手の親指がないので、自分なりに指使いを工夫し、練習しなければなりません。はずしてた音が出るようになり、できなかった指使いができるようになるのは、結構嬉しくて、これが励みになっています。

鈴木‥小学校でピアニカを習ってきて、家で弾いているのを見て、将来の余暇にでもなればと思って、7才の時にエレクトーン教室に行くようになりました。11才の時に、知り合いのお母さんにピアノを教えてもらうようになりましたが、「右手も工夫すれば、両手で弾けるようになるのよ」と言われて、両手で弾く練習を始めました。

中学3年生の卒業式前のお別れ会で、お世話になったクラスメートや先生への感謝の気持ちを込めて「さくら」を弾いたら、すごく喜ばれて、これがきっかけとなって、本気で練習するようになりました。(お母さんの話)

松谷‥仲のいい友だちがピアノを習い始めて、私もやってみたくなったのです。最初お母さんは反対しましたが、「跳び箱が跳べるようになったら習ってもいい」と約束してくれて、跳び箱の猛練習をしました。運動会でもうまく飛べて、6才の秋に念願のピアノレッスンが始まりました。

一歩踏み出せた実感

入部‥どれくらい練習していますか?

鈴木‥おうちに帰ってから、毎日夜8時まで2時間練習しています。

小縣‥演奏会の前は、2時間くらいですが、普段の時は、1時間程度です。部活でブラスバンドをやっている(打楽器担当)ので、音に接する時間は長いです。

松谷‥部活で剣道部に入っているので、そちらの練習もあって、今は少し減っています。バンクーバー大会前は、現地に着いても、練習スタジオとホテルの往復で、ずっとピアノを弾いていました。

入部‥ピアノパラリンピックに参加して、変化はありましたか?

鈴木‥まわりの反応がすごくて、そのことで本人が「僕すごいことをやっている」みたいに目覚め、やる気に繋がったようです。世界中の人と出会ったことが刺激になりました。皆さんも色々なことに挑戦して欲しいし、可能性は広がっていることを伝えたいです。(母)

松谷‥バンクーバーに行っている時は、あまり実感がありませんでしたが、一歩踏み出せた気はします。

小縣‥また出たいと思います。みんなにあの感動を伝えたいからです。

(2010/10/05)

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