当事者エッセー:15の春の出来事 -村上博
3月になると蘇る高校受験の思い出
幾つになっても3月になると「15の春」の出来事を思い出す。2年半の施設暮らしから地元の中学校に帰り、受験勉強に励んだ。1年間でなんとか希望の高校に合格する自信は付いた。家から最も近い県立M高校を受験。試験当日も、落ち着いて問題に取り組めた。美術の時間、何度も答案を読み返し、大丈夫!と確信した途端、小用をもよおしてきた。思い切って試験の担当官の先生に申し出た。試験会場の教室は2階、担当の先生は、おぶって1階のトイレまで連れて行ってくれた。私は、無事小用を済ませ、問題を見直す時間も十分だった。
悪夢の始まり
卒業式が終わり、木造校舎の学び舎に別れを告げ、高校生活が順調に始まると思っていた。しかし、合格掲示板に私の名前は無かった。担任の先生が自転車を飛ばしてわが家に来て、「なんかの間違いだけん、心配すんな」と言って帰られた。それから数日後、高校から呼び出しを受けた。校長室には校長と養護教諭に私と私の両親と中学校の校長。席に着くと校長は「貴方が来るのは迷惑だ」と言った。その一言ですっかり慌ててしまい、小中学校時代、仲間たちに協力してもらいながら、問題なく学校生活を送れたことを必死で訴え、入学を懇願した。
どのくらい時間が経過したのか分からないが、最後に校長が言った言葉は忘れることが出来ない。「入学させるには条件がある。まず、校舎の改造を要求しないこと。次に、他の生徒が故意に階段から突き落としても責任を求めないこと、この二つを受け入れるなら入学させる」と言ったのだ。大人たちが無言の中、私が「それでいいです」と返事し、入学が認められた。
(2011/04/22)
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