大震災報道にみるジャーナリズムの本道 -石塚直人
改めて感じる人間への信頼
三陸沖でM9.0、国内観測史上最大の地震が発生し、場所によっては高さ10メートルを超す津波が押し寄せた(3月11日)。翌12日以降は、福島第一原発で爆発など事故が相次ぐ。町民の過半数が安否不明という町もあり、犠牲者は数万人に達しそうだという。
15日現在、NHKはラジオ第二放送を除いて通常番組をすべて休み、地震関連のニュースや安否情報を流し続けている。12日の朝刊テレビ欄が、見事に真っ白になっていたのには驚いた。こんな扱いは記憶にない。民放も大半の番組を組み換え、各紙も中面の生活、文化、レジャーといった記事が消えた。記者のルポや写真特集で被災地の惨状を克明に伝えるためで、私の勤める大阪本社からも10人以上を応援に出した。広告をほとんど外すのは収支面で大きなマイナスなのだが、そんなことは言っていられない。
各紙のルポは、肉親を失った遺族の悲しみや奇跡的に助かった被災者の安堵とともに、冷たい濁流につかりながらお年寄りを守った無名の福祉施設職員らの奮闘も伝える。人間は信頼するに足りる、と改めて感じさせられる。道路が寸断され雪が舞う中、長時間歩いた記者の努力も、紙面から読み取ってほしいと思う。
大量消費社会転換は必至
現場で被災者の肉声に触れることは、単に災害報道だけにとどまらず、ジャーナリズムそのものの本道だ。記者クラブ、つまり政治家や官僚や財界人が発信する情報に依存しがちな普段と違って、原発で大事故が起きれば「東電に騙された」という住民の怒りの声を取材せざるを得ない。何が間違っていたのか、の追及もそこから始まる。
津波は天災だが、原発事故はそれを作った者による人災である。電力会社も政府も自治体も「何重にも防御策を施しているので日本の原発は安全」と言い続けてきた。多くの反論を無視しての強弁は、彼らが目前の利益のためあえてウソをついたか、自然の脅威に対し傲慢であったかのいずれかだと言うしかない。事故対応を巡る政府のドタバタぶり。諸外国からも指摘された“情報隠し”もそのことの当然の帰結だ。原発推進政策と、それを前提にした大量消費の経済社会システムの転換は必至だろう。
(2011/04/25)
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