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16年間に寄せられた基金のすべてを東北関東に届けます 牧口一二

東北関東大震災から2ヵ月が経とうとしています。被災地域は、周辺部から徐々に復興を始めていますが、原発事故が追い打ちを掛け、最も被害にあった地域や、高齢者・障がい者・外国人など災害弱者は、まだまだ災害のまっただ中に置かれているというのが現実です。

阪神大震災の時も障がい者が避難所に入れない、過ごせないなどの問題が起こり、障がい者を直接支援することが必要だと「ゆめ風基金」が発足しました。ゆめ風基金は、基金のすべてを投入することを決めています。代表の牧口一二さんに、活動の様子を聞きました。

地震・津波・原発事故の深刻な事態

「ゆめ風基金」は、阪神淡路大震災以後、16年間に寄せられ蓄えてきた基金=2億円強を、そっくりそのまま東北・関東の障害者(児)に活用してもらおうと、理事全員の思いが一つになりました。

東北関東大震災は、強烈な揺れに加えて広範囲に津波が襲い、そのうえ福島第一原発では建屋が次々と破壊されて放射能被害もたいへん深刻です。阪神淡路大震災をはるかに超える規模になってしまいました。

ゆめ風基金では、「もし、阪神淡路規模の自然災害が起これば、蓄えている基金をそっくりそのまま被災地の障害者に活用してもらいます」と伝えてきました。

この16年間に地震・噴火・豪雨・台風など、さまざまな災害が起こり、海外も含めて計6千万円を被災地の障害者(児)に届けてきました。こんなに早く基金のすべてを投入なんて思ってもいませんでした。でも、「ゆめ風基金」運動は、こんな日のために活動してきたようにも思いました。

今回の震災では、地震直後の3月13日に後方支援として被災障害者救援本部を東京で立ち上げて「ゆめ風」も協力することにし、すぐに八幡隆司さん(理事)が現地に入り、ほんとうに困っている人や団体を見つけるべく現在も活動中です。

すでに、仙台市にあるCIL「たすけっと」(ゆめ風ネット・みやぎ)に500万円送りました。地震当日「たすけっと」は、メンバーが泊まり込んで避難所のようになった、とのことですが、被害はそれほど深刻ではなかったので、ここを拠点に地域の障害者の状況を調べてもらっています。彼らは、各避難所に出向いて、「困ったことがあったら、なんでも言ってください」というビラを配ったそうです。

福島県郡山でもそうした拠点が設けられ、500万円を届けました。新潟でも、原発事故で避難して来た障害者たちのコーディネーターが必要とのことで資金の要請があり、検討しています。

被災地障害者の心意気に後押しされて始まった!

大災害の時は戦争と同じで、「障害者は役立たず」と思われがち。現代でも火事が起こったり突然に電車が止まったりすると、身動きできなくなるのです。そんな時には、「人権」なんて言葉はどこかに飛んでしまって障害がむき出しにされます。私も幼い頃ですが戦争を知っているので身に浸みます。

じつは阪神淡路大震災の時、障害者も何かできることはあるはず、と考えて、私たち「おおさか行動する障害者応援センター」は、カンパ箱やマイク、ノボリなど小道具をたずさえて、難波でカンパ活動をしました。当時はまだ「ゆめ風基金」もなかったので、「被災地の人たちの何かになれば」と、その日に集まった60万円をある新聞社に届けたことを思い出します。

阪神淡路大震災の時、障害者たちはことごとく後回しにされましたが、被災地の彼らは普段の助け合いネットワークを活用し、西宮や神戸の避難所でいち早く炊き出しを実施、寒さに震える地域の人々に「日頃の恩返し」とばかりに暖かな豚汁を配ったのでした。西宮の福永年久さんたちは、お連れを家の崩壊で亡くされたのですが、翌日には炊き出しを始めています。

この活動を知り、私は本当に嬉しかった。どれほど勇気が湧いてきたことか。ちょうど障害者の自立生活運動が始まったばかりで、地域に根差そうとしていた矢先の地震でした。事務所がつぶれて、たくさんのメンバーが家を失いましたが、活動を通して逆に地域とのつながりが強くなったと思います。

この心意気に後押しされて、「普段から緊急時に備えてお金を集めておこう」と、「ゆめ風基金」運動が発足しました。まず河野秀忠さん(障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長)が神戸から「マキさん、大変なことになってる。金を集めよ、10億円は要るなぁ」と受話器の向こうで興奮している。大阪の私は「1億円も見たことがない。5億円ぐらいにしとこうや」と値切っていたのです(笑)。結局、10年かけて1万円を提供してくれる人を10万人集めよう、ということになりました。

永六輔さんに呼びかけ人代表になってもらったのは、「そよ風のように街に出よう」がきっかけ。創刊号を目にした永さんがラジオで「大阪から面白い雑誌が出たよ」と紹介してくださったんです。それがご縁で、巻頭エッセーを4回(1年分)書いていただきました。しばらくして阪神淡路大震災、河野と私は講演で大阪に来られた永さんの楽屋を訪ねたのです。「10年計画がとてもいい」と、代表を引き受けてくださいました。

今回も、すぐにラジオなどで、「本当に必要としている人(障害者)に早く確実に届けたいなら『ゆめ風基金』へ」と呼びかけてくださっています。

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