メディアと電力会社の癒着 石塚直人
一歩前進したエネルギー政策見直し
福島第一原発事故を受け、首相が「原発依存」エネルギー政策の見直しを表明した(5月10日)。首相の要請で、中部電力が浜岡原発の運転中止を決めた翌日のことである。
2030年には総発電量の半分を原子力で賄うとした国の基本計画が、これだけの大惨事を経て手付かずであることは許されない。しかし残念ながら、各紙の論調はまだ「脱原発」に歩調を合わせたものにはなっていない。
13日付「主張」で、「首相は定期検査を終えた原発の再稼働を命じよ」「脱原発に流されるな」と書いたのは産経だ。今になってさえこんな立論がまかり通るのなら、国民の安全確保が大企業の利潤より重視される時代は永遠に訪れないだろう。ただ、これほどひどくはなくても、首相の浜岡原発運転中止要請にまず「説明不足」と批判を浴びせた社はいくつもあった。
説明も何も、危険なものをやめてくれと言うのに、それほど多くの理屈が要るのか。首相の要請は確かに唐突ではあったにせよ、一歩前進には違いない。それをさらに進め、最終的には時間をかけてでもすべての原発をなくす方向で知恵と力を傾けることが、ジャーナリズムには求められているのではないか。
明らかになってきた原発の虚妄性
私がそう思うのは、この1カ月だけでも「原発の虚妄性」について多くの内部告発がなされてきたからだ。その舞台は主にインターネットと週刊誌。例えば「週刊現代」4月30日号の「原子力学会元会長らが懺悔」によれば、原発推進派だった学者16人が自分たちの過ちを認め、連名の文書で政府に必要な対策を求めた。同じ号では経済産業省の現職研究員や元原発労働者も実名で登場し、政府や東電の公式見解に反論している。
教会の圧倒的な権威を前に「それでも地球は回っている」とつぶやいたガリレオを想起するまでもなく、「真理は少数者から」なのだ。とくに日本のような大勢順応型の風土で内部告発者と組織の発言が対立しているとき、たぶん前者が正しいだろうと考えない人の「知性」を、私は信用しない。
上記記事は、「元会長らの会見に多くの記者が集まったが、取り上げたのはごく一部だけ」「政府は受け取りも拒否したという」とも書いている。政府のことは置くとして、新聞やテレビがこれを報じなかった背景には何があるのだろう。同誌5月21日号の特集では、電力会社がメディア各社の幹部や記者を接待漬けにしてきたこと、原発問題を批判的に扱った広島テレビに中国電力の担当者が抗議し、新番組のスポンサーを降りた後、報道制作局長やディレクターが営業部に配転となったことなどに触れている。「政・官・財・学」と並んでメディアの「電力会社との癒着」が取り沙汰されるのは、正直言ってつらい。
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