特集:チェルノブイリとフクシマ放射能汚染と被爆の健康影響を考える
チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西・医師 振津 かつみ
昨年11月30日、学習会「チェルノブイリとフクシマ〜放射能汚染と被爆の健康影響を考える」を行いました(主催:ぷくぷくの会/場所: 吹田市民会館)。
講師の振津かつみさんは、1991年に「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」を発足し、毎年ベラルーシのチェルノブイリ被災地を訪問。福島原発事故でも、現地で住民の被曝を低減するための活動を続けています。チェルノブイリ救援の経験から福島の深刻な汚染状況、さらには食品汚染とどう向き合うか?お話し頂きました。(文責: 編集部)
被曝労働という犠牲なしに動かない原発
本業は内科の医師です。医学生の頃に原子力発電所のなかで働く人々の記録を読みました。被曝量の多い作業ほど正社員ではなく、下請・孫請けの労働者がピンハネされながら働いている実態を知りました。
万博の年=1970年に商業用原発が始動し、80年代のピーク時には、毎年10人以上の下請け労働者が、被曝労働によってガンを発症し続けると推定されるほど被曝していました。
見えない場所で発電のために労働者が被曝しても、闇から闇に葬られている実態にショックを受けました。下請け労働者は組合もないので、補償もほとんどされません。東京電力福島第1原発も、事故直後は正社員の方が数多く対応しましたが、どんどん下請けの関連会社の労働者に移っています。
原発は、事故がなくとも、被曝労働という犠牲なしには成立しない発電システムです。誰かに犠牲を強いるような便利さはおかしい、と思ったのが原発問題に関わり始めた理由です。以来、30年ほど原発と被曝に関わり続けています。
チェルノブイリと福島を比べてみると
チェルノブイリでは、広島原爆約800発分の放射性物質がまき散らされましたが、福島は168発分です。ただし、福島で今も大気や海に放出され続けている放射能は含まれていません。
日本の法律では、放射性セシウムによる汚染レベルが40000Bq/u以上の場所は、放射線管理区域に指定されます。管理区域に入るには政府機関に登録し、講習や健康診断を受けることが義務づけられています。
チェルノブイリでは、日本の国土の40%にあたる広大な地域が放射線管理区域に指定されねばならないほど汚染されました。汚染地域住民は600万人にのぼりましたが、全員避難させることはできず、住み続けています。原発から`圏内の住民約万人は、着の身着のままで避難させられ、今も故郷に入ることすらできません。
もう一つの問題は、ホットスポットと呼ばれる高濃度汚染地域の存在です。原発から100〜200`離れた所でも、原発周辺地域と同じくらいの汚染があります。住民は、放射能で汚染されていることすら知らされず、地元の野菜を食べ牛乳を飲み続けたために、非常に高い内部被曝をしました。
福島事故でも、福島県の半分以上が「放射線管理区域」に匹敵する汚染地域となりました。本来「管理区域」内では飲食も禁止されていますし、子どもは立入禁止です。福島県だけでもそんな汚染区域に150万人を超える人々が事故後も住み続けています。
政府は事故後、「ただちに健康に影響はない」を繰り返し、今も「専門家」が「安全だ」と言い続けています。しかし実際は、異常事態が起き汚染も続いています。この状態で当たり前に日常生活を送っている異常さに気づいて欲しいのです。
異常事態が普通になっている福島
4月に、福島現地に入りました。東京からの新幹線では徐々に空間線量率が上がり、郡山では、1・4μsv/時でした。何回もチェルノブイリには行きましたが、人が住んでいる場所で1μsv/時 を越えたのを見たことがありません。汚染の酷さを実感しました。
福島駅前も1・8μsv/時でした。ショックだったのは、立入禁止にされるべき汚染レベルなのに、住民が普通の生活をしていることでした。子どもも含め、マスク・帽子をしている人は少数で、放射能を含んだ雨が降っても何の防御もしないで、自転車に乗っているのです。
この時の線量は、駅前花壇で2・6μsv/時。渡利地区にある学校の雨樋の下では、線量計が振り切れました。雨水を測定すると、200Bq/g。もちろん飲用禁止です。住民はその事実を知らされず、汚染された雨に打たれてしまったのです。
事故直後の3月12〜15日には、大量の放射能が放出され、風に乗って、飯舘村や福島市・郡山市へと流れました。こうした情報も政府は知っていたのに、住民には知らされず、地震で断水になった地域の住民は、屋外で長時間給水車の列に並んでいました。
その後も福島県では、汚染情報を知らせて注意を促すどころか、放射線健康リスクアドバイザーという「専門家」が、「マスクなんてする必要がない」「外に洗濯物を干しても大丈夫」という説明をして回りました。犯罪的な行為だと思います。
今後、住民に健康被害が出た場合、この責任は一体誰がとるのでしょうか? 原発労働者の場合、法律では年間5_SV以上の被曝をして、後で白血病になった場合は、労災と認定されます。福島市のほとんどの住民の被曝量は、事故後の1年間で、この基準を超えます。避難地域に指定された飯舘村の住民には、5月14日の避難時点で既に累積放射線量が20_SVを越える外部被曝をした人もいます。避難するまでの村民の平均被曝量が10_SVであったと仮定すれば、村民6000人のうち6人が将来ガンか白血病になることが、科学的にも推定されます。ただし、個々の被曝と病気の因果関係を証明するのは非常に困難なので、当時の行動を記録しておくことが重要です。このために飯舘村の人々と一緒に「健康生活手帳」を作りました。
被曝による健康被害は、ガンや白血病だけではありません。循環器疾患なども発症リスクが高まります。福島原発の事故で被曝した人々も、原爆被爆者と同様に、国が責任をもって健康調査を行い、無料の検診や適切な治療が受けられる法的な整備も必要です。
困難な除染活動息の長い支援を
福島では除染活動が始まりました。しかし、剥ぎ取った土の保管・処分場が決まらないのです。放射性物質は、福島第1原発から飛んできたのだから、東京電力が回収するのが常識です。
ところが東電は、謝罪も回収もしません。福島県二本松のゴルフ場が除染と賠償を求めた仮処分裁判で、東電は「放射能はその土地に固く結びついているので、(もはや東電の所有物ではなく)ゴルフ場のものだ」と主張しました。信じられない暴論です。東電が除染活動をしないため、被害者である住民が、被曝しながら除染をしなければならない事態になっています。
除染は簡単ではありません。飯舘村は、7割が里山の自然豊かな地域です。森林の除染は特に困難です。私の知る限り、ウクライナでもベラルーシでも森の除染の成功例はありません。
政府は、3000億円の予算をつけて飯舘村の除染を計画しました。この作業にも草刈りなどで村人が動員され、被曝しています。除染活動も、放射能をばらまいた東電の責任をはっきりさせた上で、明確な基準と防護策を講じることが大事です。
ベラルーシでは、飯舘村と同レベルの高汚染地域で、3〜5年かけて除染活動を続けましたが線量が下がらず、最終的に移住を決めました。飯舘村の汚染レベルでは、除染は無理ではないかと思っています。
福島市内のあるホットスポットで、農地の汚染レベルを測ると、10000Bq/sを越える場所がありました。日本の法律で「放射性物質」と規定されるほどの汚染です。放射性物質になった土を被曝しながら耕し、収穫した作物が500Bq/s以下なら売る努力をしなければならないのです。ひどい話です。
私たち消費者が安全な食品を求めるのは当然ですが、生産者も被害者なのです。食の安全確保のためには、原発を推進してきた政府と東電の責任を追及し、被災した生産者・住民の被害補償をさせる制度構築を求め、生産者と共に進めるべきだと思います。
福島への支援は、物資を送るだけでなく、国の責任で市民の健康を守り、被災者の生活再建のための制度作りを求めるような息の長い支援が必要です。
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