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放射能の影響と優生思想
障がいがあっても、人生選択のチャンスがある社会を
町田ヒューマンネットワーク副理事長堤愛子

福島原発事故の原因究明もなされないまま、大飯原発再稼働が強行されようとしています。全原発停止を前に反原発運動は1つの正念場を迎えていますが、「障がい者が生まれるから放射能は恐い」という反対論が、根強く存在します。「障がい者イコール不幸」と決めつけた表現です。こうした「障がいを恐怖の象徴とする表現」を厳しく批判してきた堤 愛子さんに、入部香代子が質問し、考えをお聞きしました。堤さんは、「当たり前」を問い返そう!と呼びかけています。(編集部)

「障がい」を恐怖の象徴にしないで

入部: 「放射線で被曝すると障がいのある子どもが産まれるから」という原発反対がありますが…。

堤:「できれば元気な赤ちゃんがほしい」と思うのは、子どもの幸せを望む多くの人たちの素朴な願いです。「放射線で被曝すると障がいのある子どもが産まれるから反対」という言葉は、そういう多くの人々の気持ちに強く訴えるものであり、共感しやすいのだと思います。

問題なのは、その「共感しやすい言葉」を広めるために、「障がい」や「病気」を「恐怖の象徴」にしてしまいがちなことです。「障がい児が生まれるから」という言葉は、現に障がいをもって生きている私たちにとっては、その存在を否定されているような、居心地の悪さを感じてしまうのです。

一時ネット上で問題になった「福島の女性とは結婚できない」という言葉も、福島の女性たちを「恐怖の象徴」にしてしまい、彼女たちを深く傷つけています。そこには「障がい者は生まれてこない方がいい」という障がい者差別と、「障がい児を産むリスクの高い女性は、母親になる資格はない」という女性差別が絡み合っています。それは3ページ左に述べた「優生思想」とも重なります。

さらに、「福島の放射線は、何世代にもわたって人体に影響を及ぼす」ということが言われるとき、そのことの真偽は別として、福島の人たちは複雑な心情になるようです。

やはりネット上で、「福島を恐怖の象徴にしないで」という声をよく目にしました。それは、私たち障がい者が「障がい者を恐怖の象徴にしないで」という思いと重なります。

放射能汚染にせよ、公害や事故にせよ、外側からの力によって「傷つくこと」はつらいし悲しい。しかしその上、社会から、周りから「恐怖の象徴」とされ、差別や抑圧の対象になるのは、もっと悲しいことです。

傷ついていても、私たちは立ち上がれる! どんな障がいをもっていても、幸せになることはできる! 漫画「はだしのゲン」に出てくる、被災された土地に芽を出した小麦は希望の象徴として描かれています。一方、スリーマイル島に咲いた巨大タンポポは放射能汚染の「恐怖の象徴」として語られがちです。でも、どちらも「汚染された土地に生まれてきた同じ生命」です。

姿かたちにとらわれることなく、どちらも汚染された土地に芽生えた「生命のたくましさの象徴」として、慈しんでほしいと思います。

入部: 元気な人も障がいがある人も、なぜ自分の子どもを産むとき元気な子どもを産みたいと思うの?

堤:基本的には、生まれてくるわが子の「幸せ」を願うからだと思います。障がいがなかった人にとっては、自分が病気やケガをしたときの苦しさから連想して、自分の子どもにそのような苦しみを味わわせたくないと思うのでしょう。それは、人として当然な気持ちだと思います。

また、この社会は障がいをもった人にとっては不便・不条理にできています。

戦時中の価値観を引きずっている人たちには、障がい者=役立たず=価値の低い人という考えも、まだ根強くあります。今でこそ町や交通機関のバリアフリー化が進んできていますが、私が車いすを利用し始めた20数年前は、車いすの乗車拒否は日常茶飯事でした。また、独歩が可能だった子ども時代にも、地域の学校では遠足や運動会の行事には参加できないことが多く、寂しい思いもしたし、子どもたちに「変な歩き方」「びっこ」等からかわれ、悔しい思いもしました。

子どもの頃から障がいをもっている人は、多かれ少なかれ、社会からそのような差別や抑圧を受けた経験をもっていると思います。だから、生まれてくる子どもにはそのようなつらい思いを味わわせたくないと思い、「できれば五体満足な元気な子を」と望むのだと思います。これも、人としてあたりまえな感情だと思います。

ただ、どんなに望んでも、一定の割合で障がいをもった子どもは生まれてきます。医学の発達により、「昔なら死んでしまったかもしれない」子どもたちが、障がいももちながらも生き延びるケースも増えてきました。私は、出産に臨むご夫婦には「障がい児が生まれる可能性」も自覚してほしいと強く思います。障がい児が生まれるのは、決して「血筋が悪い」からでも、産んだお母さんのせいでもありません。

そして、障がいをもって生まれたからといって、必ずしも「不幸」とは限りません。逆に、障がいをもたずに生まれても「不幸」になる人はたくさんいます。

私は、人の幸不幸を決めるものの大きな要因の一つは、「どれだけ親や周りの人たちから愛情をもらったか」だと思っています。それと、人生の創造のチャンスをいかにもつかだと思います。

私たち大人は、どのような障がいをもって生まれてきても、子どもたちが人生の選択のチャンスをもち、差別されることのない社会を創っていきたいと思います。

多様性こそすばらしい

入部: 社会が構成されるにあたって、障がいのある人たちがいたら本当に支障があるのでしょうか。

堤:そんなことはありません。昔、ある科学の先生に聞いた話ですが、生物の遺伝子の何割かは病気や「障がい」を引き起こす「不利な遺伝子」で、遺伝子の組み合わせにより、一定の割合で必ず病気や「障がい」をもつ生物が生まれる。だからといって「不利な遺伝子」を意図的に除去しようとすると、その種は滅びてしまうそうです。「多様性こそ、種の存続の条件である」という言葉が、とても印象に残っています。

人間社会は病気や「障がい」を極端に嫌いますが、人類の存続のためには病気も「障がい」も必要不可欠で、仮に「優生保護法」を執行し続けていたら、きっと人類は滅びてしまうでしょう。

人は歩くことも話すこともできない赤ん坊(ある意味、重症心身障がい者)として生まれ、成年時代の一時期、元気に活動し、やがて「老い」とともに身体や頭の働きが衰え死んでいく。「健常者」と呼ばれる人たちにとっても「元気な時代」は、人生の流れから見れば「ほんのひととき」にすぎません。元気なとき、病気のとき等、実に様々なからだと心の状態を経験する。そして大人、子ども、老人、若者、障がい者等、様々な個人が集まって、人間社会を形成しているのです。そのような多様性があるからこそ、免疫や抵抗力が育ち、いたわりや優しさの心も生まれてくるのだと思います。

私たち障がい者は、差別や抑圧される経験も多いけれども、周囲の人たちのふとした優しさに触れる機会も多いと思います。それは、障がい者として生まれたからこその「ラッキーな部分」とも言えます。

まだ駅のエレベーターが少なかった時代、電車に乗るのに「手を貸しましょうか」と声をかけてくれる人の多さに、同行した友人がぼそりといった「人間って捨てたもんじゃないね」という言葉は、今でも心に残っています。

私たちが「生きる権利」を主張することは、「多様性を認め合える社会づくり」「いろいろな人たちが共に生きられる社会づくり」につながる、大切な活動だと思います。

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