ぷくぷくの会ホームページ

特集:南相馬地域の力で新たな福島を創る
重複障がい者の地域生活移行に向け24時間支援始動 「ぴーなっつ」代表理事 青田由幸さん

南相馬市で重度障がい児・者の生活支援事業を行う「ぴーなっつ」。青田由幸さんは、同事業所の代表理事ですが、原発建屋が爆発した後も南相馬に残り、支援を続けました。「目の前に移動できないで支援を求めている人がいる。その人を放って新しい土地で何かできるか?と自分に問えば、自ずと答えが出た」と語ります。

青田さんは、大阪市北区で行われた「3・11 東日本大震災 そのとき障がい者は―復旧ではなく復活をめざして」(2011年11月、山西福祉記念会館)でも被災地の報告をして頂きましたが、昨年11月、1年ぶりに南相馬市を訪問して、話を聞きました。

青田さんたちは、重複障がい者であるSさんの地域自立生活に向けた24時間支援を開始。これを成功事例として、重度障がい者の地域生活移行の道筋をつけようとしています。

原発事故被災地は除染も進まず、復興から取り残されつつあるのが現状ですが、地域の人々と繋がり、残った社会資源をネットワークして、新たな地域生活支援体制を創ろうとしています。(文責・編集部)

若い家族がいなくなる被災地

編集部:ようやく除染作業が始まったようですが…

青田:まだ試験除染の段階です。剥ぎ取った表土や集めた放射能汚染物の仮置き場が決まらないために本格除染は進んでいません。南相馬市で始まった本格除染は1カ所だけです。全村避難となった飯舘村でも除染が始まりましたが、山は除染しないことになりました。政府は、「費用対効果を検討した」と言っていますが、放射能の自然減衰を待つということです。人家とその周囲20bを除染する計画ですが、雨が降るたびに山の放射能が移ってくるため、除染して一旦は放射線量が下がった場所も再び線量が上がってしまいます。除染作業のずさんな実態も明らかになっており、子どもがいる若い家族は「もう帰村は無理だ」と言っています。

高齢者を中心に、避難生活に疲れて村に帰る希望をもっている村民も少なからずいますが、「若い人や子どもがいない村に帰るのはイヤだ」と思っている人も多いので、政府や村当局がいう「全村民帰還」は、かなり困難です。

南相馬市も同じです。実際、避難命令が解除された原町区でも住民の帰還は進みませんでした。2011年9月、「緊急避難準備地域」の指定が解除されて、市は、住民が大挙して帰ってくると期待しましたが、約7万人から一時7千人まで激減した市内居住者数は、増えるどころか、いまだに震災前の3分の2程度で、全体的にみると減少傾向です。高齢者や障がい者は、避難生活が厳しいので帰ってきていますが、若い家族は躊躇しています。市の人口減少は止まらず、南相馬市は高齢化が一気に進むでしょう。

増える利用者減少するヘルパー

編集部:生活支援事業所の運営について1年の変化は?

青田:「ぴーなっつ」は、障がい児・者の生活支援事業なのですが、職員の75%が入れ替わってしまいました。多くの職員が避難したまま、帰ってきていないためです。小さな子どもを抱えた職員も多く、しょうがないことです。

生活支援を続けてきた経験豊富な職員がいなくなったことは、これまで積み重ねてきたノウハウがゼロになったことを意味します。ベテランと新人では、支援のレベルや質が全く違うからです。支援の質を後退させたくないので、どうしても職員に負担がかかります。

これに加えて支援を必要とする利用者が、激増しました。自立研修所ビーンズ(就労継続支援B型・非雇用型)は、職員数は同じですが、利用者が3倍に増えました。

利用者増加の理由は、@避難していた障がい者が戻ってきたこと、A震災以前は、地域で支えていた障がい者・高齢者が、地域が崩壊したために福祉サービスを利用し始めたことなどです。このため職員数が同じでも、職員あたりの負担は大きくなっており、みんなが疲れてしまうという結果になっています。

昨年4月から、相談事業を始めたのですが、障がいの重度化したケースが増えています。避難した高齢者が、不安定な避難生活の中で十分な介助が得られず、障がい者になるケースも増えています。

「ぴーなっつ」も、利用件数が増加した上に、重度化が重なり、しかも職員はほとんどが素人という状態です。これに加えて、自立支援法の制度が変わって、サービス利用等計画を全て事業所が立てないといけなくなり、事務作業量が増加しました。

谷間地域の災害関連死

昨年11月、復興庁は、津波など地震による直接的な被害ではなく、その後の避難生活での体調悪化や過労など間接的な原因で死亡した「震災関連死」についてのデータを発表しました。関連死者総数=2303人のうち、一番多かった地域が南相馬市でした。

南相馬市は、原発から20〜30`の「避難準備」地域が多く含まれました。つまり、避難した方がいいけど強制ではない、自己判断と責任で避難や残留を決めることを求められた地域です。こうした中間地帯で残らざるを得なかった人は、より過酷な生活を強いられました。

域外に避難した人たちは、それなりに医療・介護機関と繋がり、支援を受けることができたのですが、残った人、とりわけ障がい者・高齢者とその家族には過酷な生活が待っていました。物資と人の移動が途絶え、医療サービスも介護支援もない状態で半年以上過ごさねばならなかったからです。中途半端な線引きが、過酷な生活と関連死という結果を招いたのだと分析しています。

当事者主体原理で新たな地域を

編集部:新たな取り組みを始めたと聞きました。

青田:全盲で精神障がい者であるSさんの地域生活移行に取り組んでいます。Sさんのように重複障がいがあっても、社会資源を使いながら地域で暮らしていけるようになれば、大きな成功実例になります。だから、ぴーなっつだけが頑張るのではなくて、「安心サポート」という金銭管理を担う社協や行政の生活支援員なども関わってもらっています。

様々な人が関わることで実感を持ち、成功すれば自信にもつながります。今は、まだ混乱していますが、関わる人が増えることで、「不可能」とされてきたことが「できるかもしれない」に変わります。全盲で施設入所している障がい者が南相馬市だけで多数います。今回、Sさんの地域生活移行が成功すれば、他の障がい者も地域に出て生活できる大きな可能性が生まれます。

逆に失敗すれば芽がなくなるので、万全の24時間支援体制でスタートしました。Sさんとの信頼関係を深めていくためにも、彼が安心できる生活環境が大切です。ただし、24時間支援が当たり前になって続くと本当の自立生活にはなりませんから、できることは自分でやってもらうようにして徐々に支援は減らしていきます。もともとSさんは、地域で近所の人々に支えられながら生きてきたのですから、支援さえあれば地域生活は可能なはずです。

編集部:10年後をどう構想していますか?

青田:南相馬市は、人口減少・高齢化が避けられないでしょう。若い人や家族は減るでしょうが、それでも残る若い人はいると思います。様々な事情を抱え、あるいは志をもった若者と一緒になって、この地域をもう一度作り直したいと思っています。何といっても地元で住むのが一番なのです。当事者主体の原理を確立・共有して、誰もが支え合い生き生きと暮らせる地域は可能だと思います。

WEBは抜粋版です。すべて読みたい方は購読案内をご覧ください。



1999 pukupuku corp. All rights reserved.