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特集:今年もやります! 「みちのくTRY」復興計画には障がい者の視点を!
自立生活 夢宙センター 岡前美保子

昨年8月、岩手県の三陸沿岸を宮古から陸前高田まで、約150qを車いすで縦断するという「みちのくTRY」が行われました。このプロジェクトの目的は、@犠牲者への追悼、A復興に向けた街づくりに向けて、障がい者の視点を各市町村へ伝えていく、Bプロジェクトを通して当事者や支援者を集め、東北の障がい当事者活動の活性化に繋げていくこと、でした。

1986年に始まった「TRY」は、公共交通機関のバリアフリー化を求め、障がい者が車いすで歩くという旅イベントです。開催を希望する各地で実行委員会が組織され、近年は2年毎にアジア各国でも展開されています。

「みちのくTRY」は、東北大震災を受け、復興計画が動き出すタイミングで、障がい者の視点を入れて、誰もが住みやすい街づくりを提言していくという趣旨で行われました。

都合に合わせていつでも合流し、離脱できる形式ですが、全国から集まった障がい当事者や支援・介助者は、総勢200名、常に30〜50人が車いすを先頭に歩き、4台の自動車がサポートと体調管理のために並走しました。

このイベントに、大阪・夢宙センター(住之江区)から8名が参加、全員完走しました。大阪から参加した岡前美保子さん(46才)と事務局の八幡隆司さん(ゆめ風基金理事)に話を聞きました。(文責・編集部)

私が参加した理由は、「被災地障がい者センターみやこ」で働く黒柳直美さんが、昨年5月に夢宙センターに来られ、誘われたからです。黒柳さんから被災当時の様子や仮設での暮らし、さらに東北の障がい者の状況を聞いているうちに、「この目で現実を受けとめたい。大阪の私にもできることがあるかもしれない」と思うようになりました。

夢宙センターが一丸となり、7月に大阪で募金活動を始めました。天下茶屋駅(西成区)で 週3回、1ヵ月間、「みちのくTRY」の宣伝をし、募金を呼びかけました。小学生や中学生もお小遣いのなかから募金に協力してくれました。合計38万円の募金額は、私の経験では最高額です。被災地への共感が大きいことを実感できました。

旅のスタートは、宮古市田老町でした。ここは、大きな津波が押し寄せた場所で、たくさんの遺体が見つかった場所です。全員で黙祷を捧げ、気を引き締めて出発しました。

全行程150qを12日間で走破する計画でしたので、1日10q以上歩きます。三陸海岸は、アップダウンが激しい起伏に富んだ地形が続き、電動車いすでも、数人のボランティアが押さないといけないほどの急な登り坂もありました。宿泊先や休憩地は、避難所になった公民館・体育館などを利用し、洗濯はコインランドリー利用です。

お風呂は銭湯ですが、岩手沿岸部では障がい者が町の銭湯を使うこと自体が初めてで、周囲のお客さんも戸惑いを隠せません。それでも、手助けしたいという気持ちは伝わってきました。

こんなふうに周囲の反応も、当初は、「何あれ?」というふうでしたが、地元新聞に記事が掲載されたのを機に、沿道から「どこまで歩くの?」、「新聞で見たよ」との声が掛かるようになりました。

行政交渉と転換

復興計画ついての行政交渉は、大きな目的の一つです。沿道にある宮古市・大槌町・大船渡市・陸前高田市など各市町村の役場に行き、要望書を手渡し、交渉しました。

行政側の対応は様々でしたが、4,5日目に、宿泊先の体育館で厳しい議論になりました。地元障がい者は行政交渉の経験がなく、要望書を形式的に手渡すだけという場面もあったからです。経験豊富な大阪メンバーが、「これでは、何のために歩いているのか、わからない。地元の障がい者が自分の手で岩手を変えるお手伝いをしに大阪から来たんだから、地元の障がい者はもっとしっかりして欲しい」との突きつけをしました。

地元障がい者からは、「住み続けるのは私たち。TRYの時だけ波風立てられても後々困る」との反論が返ってきて、大阪のメンバーは、「じゃあ、何のために私たちはここまで来たのか?」「変える気はあるのか!」との応酬となりました。

この議論のなかで、障がいゆえに避難所や仮設住宅で不自由な生活を強いられた経験が話され、震災での障がい者の死亡率は、全体平均の2〜2・5倍であったことや、沿岸部の障がい者と県外の障がい者の福祉制度や町のあり方の違い、それぞれの生き方の違いなどが語られました。

こうして、今後のまちづくりや行政交渉の意味について率直な議論が深まり、「今がしんどいからこそ、頑張って変えていこう!」と共感することができました。

これを機に雰囲気が一変しました。みんなの呼吸もぴったり合い、お互いの声かけや沿道の人たちへのアピールなど、声を出しながら歩くようになりました。長いトンネルなど危険を伴うところもありましたが、歩くしんどさもカバーできるようになりました。前半より後半の方が元気さが増していく感じでした。

ゴール近くの陸前高田の沿岸部では、津波で全て流され草だけの地域がありました。ここを通る時に震災当時を思い出して泣き出す宮城のメンバーや余震でパニックになる参加者をみんなで囲んで励ましたりもしました。

炎天下のハードな旅でキツイ行程だっただけに、達成感も大きく、参加者相互の繋がりは、今も続いています。みちのくTRYは、東北の障がい者が元気になる源になったと感じています。

当事者の行動が社会を変える ゆめ風基金理事 八幡隆司

沿岸部の障がい者は、福祉サービスも満足に受けられていませんし、交通機関もバリアだらけで外出もままならず、自己主張の機会そのものが奪われてきました。一方、大阪や沖縄の当事者たちは、自分たちが声を上げることで行政や社会を変えてきたという自信がありますので、「変えるためには、様々な手段を駆使し、くり返し訴え続けることが重要」、「当事者がしっかり自己主張していこう」と語りかけていました。

全体の行動も、地元の当事者がリーダーとなり、休憩場所や歩くペースを決めていくという変化がありました。わずか10日間あまりでしたが、当事者の主体性が生まれたと思います。

地元障がい者が、生まれて初めて知らない人の介助を受けながら移動し、行政交渉したことは、カルチャーショックだったようです。「やったらできる」という自信もでき、「それなら、こんなこともやってみたい」という意欲も生まれました。こうして1日だけ参加予定だった障がい者が、2泊3泊と参加日数を延ばしたり、一度帰った参加者が再参加することもありました。

地元新聞に掲載されたこともあって、現地での注目度は高いものがありました。車いすで歩く姿に声援を送ってくれた人はたくさんいます。「保護される障がい者」から「主体的に動く障がい者」へのイメージ転換という、市民啓発の成果は、大きかったと思います。

今年も「みちのくTRY」をやります。7月末〜8月上旬に、今回は、南から北上するルートを予定しています。岩手県内の障がい者が準備段階から中心となって、沿岸部の当事者が主体となる企画にしようと話し合っています。

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