当事者リレーエッセイ:一本のイタリア映画 轟広志
私が参加する精神障がい者福祉を考える市民の会(通称)「きゃらふるやお・かし」が協賛を依頼され、地元にある関西福祉科学大学で一本のイタリア映画の上映会が行われた。
タイトルは「むかしMattoの町があった」このMattoとは、英語のMadとほぼ同義で、精神病院をさす。劇中では「病院」であったり「精神疾患」であったりするが「狂気」という字幕が一番ぴったりとくる。 映画は、実在のイタリア精神保健改革の父と呼ばれるフランコ・バザーリアが、1961年にゴリツィア県立精神病院に院長として就任するのが始まり。3時間に及ぶ2部構成のテレビ映画だが、イタリアでは21%の視聴率を取った名作ドラマだ。
このバザーリアは、大学で精神医学を教え、様々な論理を主張していたが、周囲からは「机上の空論」と疎まれ、厄介払いの形で精神病院長に就く。
当時の精神病院の内情は酷く、過去に政治的理由で投獄された経験を持つパザーリアは、「ここは強制収容所だ。俺は看守をやりに来たんじゃない」と病院改革に乗り出す。自分でスタッフを選び、自らは勿論、以前から働く看護師にも白衣を捨てることを要求する。「ずっと自分を押し殺していた」と彼の要求に答える看護師もいた。
「自由こそ治療だ」
物語は、こんな導入部からバザーリアと檻に囲まれたベッドにいた女性患者マルゲリータ、15年もベッドに縛り付けられていた男性患者のボリス、そしてバザーリアの妻フランカ、白衣を脱ぎ捨てた看護師ニーヴェス、この5人を軸に描かれてゆく。舞台は60年代から80年代。世界大戦後の自由思想・カオス、世界的な学生運動、そして精神疾患の苦悩、恋愛、啓発、音楽、芸術、家族とは、医療とは、仕事とは、政治とは、生きるとは…。あらゆるテーマを描きながら丁寧で観やすい仕上がりになっている。2部の終盤にイタリア全土の精神病院を無くす基礎となった法律180号(バザーリア法)が、ほぼ全会一致で可決される。「机上の空論」は具体化された。
現在イタリアにMatto(精神病院)はない。ここに至るまでに長い時間と大きな問題、様々な犠牲もあったが、バザーリアの言葉である「とにかく彼らの話を聞け」や「自由こそ治療だ」が、世界で例のない精神医療と福祉制度を生み出した。
日本の精神科医・高木俊介氏は言う「日本の抗精神薬神話が揺るがないのは、原発神話と同じなのだろう」
私が発病したのが82年。現在のイタリアの医師と話せば「君は薬を飲む必要はもう無い」と言われるのだろうか?
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