ぷくぷくの会ホームページ

当事者リレーエッセイ:失敗から学ぼうとしない人々 佐野武和

「想定外」でなくなった原発事故

改めて考えるに、私の住んでいる湖北は敦賀・若狭の原発から30キロの位置にある。若狭には日本で唯一稼動中の大飯原発がある。滋賀県は盛んに電力会社との間で原子力事故防災協定をむすぼうとしている。しかし「隣接の自治体以外は協定の対象から外れる。」らしい。なんという言いぐさだ。風に乗ってさまよう放射性物質には県境も市町の境もない。

湖北の自治体・長浜市と米原市が相次いで原子力防災計画を発表した。ハンドブックも各戸に配布された。しかし、かなり失望した。国や県の情報を伝達するといった姿勢を超えられていないし、その中でも要援護者に関する独自の支援策が見えてこなかった。

ところが唐突にぽてとファーム事業団と市の間で福祉避難所としての協定をむすびたいときた。そうすれば緊急避難物資の配給を受けられ個々の要援護者の状況に沿ったコーディネイトが受けられるという説明だった。まったく楽観的で、福島で起きたこと、今なお起きている現実とかけ離れてしまっている。

たとえば南相馬がそうであったように多くの市民が避難流出する。国が線引きする避難指定区域と避難準備区域に惑わされ、しかも多くの要援護者が取り残される。行政機能を移転させようにもその根拠と指針を失い一転二転する。病院機能も福祉的機能も崩壊すれば本来要援護者は地域にとどまることはできない。すでに原発事故は想定を超えた出来事ではない。現実の事故なのだ。

原発で失われた大切なもの

幼いころ若狭の海に何度か海水浴に行った。琵琶湖と違って塩っぱい海水に驚き、なんとなく浮力があってはじめての泳ぎを覚えたのもあの海だ。冬になるとカニが美味で、敦賀から行商のおばさんを待ち続けた。小さなセコガニが好物で売り切れと聞くと泣いたのを覚えている。あんなに敦賀や若狭と暮らしが結び合っていたのに、豊かさの代償、原発のおかげで大切なものを失った気がする。どれだけたくさんのお金がばら撒かれても、地域の人々が幸せにはなれなかった責任を、政治や電力会社そして得体の知れない原子力を生業にしてきた人たちにとらせるぞ、と怒りがこみ上げる。加えて「原子力の平和利用」を掲げていた人たちにも怒りをぶつけたい。

WEBは抜粋版です。すべて読みたい方は購読案内をご覧ください。



1999 pukupuku corp. All rights reserved.