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特集:逃げ遅れる人を出さないための障がいをもつ人の防災と避難支援
福島県田村市 鈴木絹江さん

6月1日、「逃げ遅れる人々〜東日本大震災と障害者」上映会と鈴木絹江さんの講演会が行われました(茨木市福祉文化会館/主催・ぽぽんがぽん社会福祉法人設立準備会)。

この映画は、東日本大震災における障がい者の立場を描いたドキュメンタリーで、ぷくぷくの会も吹田で上映会を行っています。この日は2回の上映の間に、この映画にも登場されている福島県在住の鈴木絹江さんが『災害時、障がいをもつ人の避難や防災の在り方』『原発事故・放射能のとらえ方と防御』について講演され、『今何をすべきか』についても語って頂きました。今号と次号に渡って、講演内容と講演後のインタビューをまとめて掲載します。

鈴木さんは、ご夫妻で1983年に未開拓地に入って農業を始めたそうです。50種の野菜と300羽の鶏を飼う有機農業です。電気はなく、ランプでの生活を8年続け、子どももできましたが、1997年、障がい者自立生活運動に参加。2001年、「ケアステーションゆうとぴあ」を設立。障がい者の自立生活をサポートしています。(文責・編集部)

避難するぞぉ!

「原発が爆発した」と聞いて、テレビをつけると「ただちに人体に影響はない」と枝野官房長官(当時)が発表していました。でも私は、チェルノブイリ原発事故(1984年)の被害を知っていたので、「これは危ない」と直感しました。

チェルノブイリ事故で覚えていたのは、@原発が爆発したら80`以上逃げる、A雨の中に放射性物質が含まれる、でした。

すぐに職員を招集しましたが、ガソリンがなくて集まれないという連絡が入ったり、スーパーから食料が消えてなくなり、医療物資も入らなくなりました。15日から雨が降るという予報だったので、事業所を休業し、避難すると決めました。雨に放射能が含まれている可能性が高かったからです。ひとり暮らしの利用者さんは事業所として私たちが責任を持って一緒に避難することにしました。

集まれる職員に集まってもらい、前倒しでお給料を渡しました。「もう二度と会えないかもしれない」という危機感がありました。実際、15日に降り始めた雨は雪に変わって飯舘村を襲い、飯舘村は全村避難が続いています。

避難先の条件は、@冷暖房完備である、A温かい食事サービスがある、B適当に動ける広さがある場所でした。理由は、障がいをもつ人のなかには@体温調節が難しい方がいるからです。事故原発の20`圏内には多くの病院と施設がありましたが、避難途中や直後にたくさんの方が亡くなりました。原因は、障がいや病気そのものではなく、風邪をこじらせて肺炎とかです。冷たい床の上で硬いご飯を食べて、誤嚥性肺炎起こして亡くなる方も多かったのです。

また、A食べてはいけないものや、必ず食べなければならないものがあったり、水分をたくさん摂らなければならない人もいるので、キチッとした食事が提供されることは、命に関わる重要条件だと思っていました。

さらに、B避難所などで「他人に迷惑をかける」ということでじっとしていたり、水分を摂らずにいると、必ず体調が悪くなるのです。動ける機能は動かせる広さがあることも重要でした。こうした条件を考えると、体育館ではなくホテルや旅館を目指すことになりました。まず会津地方の昭和村に避難し、最終的に新潟県新発田市に避難しました。

新潟は、中越地震の経験から毎月避難訓練をやっていたそうで、今回も素早い支援体制が整いました。体育館の避難所でプライバシーを保つためにダンボール等で簡易間仕切りを設置したのは長岡市でしたし、新発田市では仮設住宅の一角に洗濯機を設置して、避難者が使えるようにしてくれました。

避難の条件として4番目に入れたいと思っているのは、慣れた介助者と共に避難することです。重度の障がいをもつ人は、特別な配慮が必要な人が多いので、慣れた介助者と共に避難することはとても大事です。

初期移動は、障がいや病気をもつ人の命を左右します。ただし、ホテルや旅館に入ってしまうと、役所関係からの情報が入らなくなるので、当事者と役所との間に入るコーディネーターが必要だと思いました。

避難はしてみたけれど…

震災から2カ月後、私たちの仲間が避難所を回ったら、障がいをもつ人がほとんどいなかったそうです。避難所に行っても、「障がいをもった人はちょっとね」と断られたという話や、体育館に入ったけれども、知らない場所、知らない人たちに囲まれて興奮状態になり、奇声を発してしまったり、寝られなくて、車いすのまま何日もいたっていう話も聞きました。一般の人たちも不安でイライラしていたので、「何でこんなところに連れて来るんだ」と家族が怒鳴られたとも聞いています。

私たちの仲間の女性は、オシッコを出す薬を飲んでいたのですが、トイレに入ると30〜40分も占拠してしまう。だから薬を飲まず水分も摂らないという避難生活を送り、体調をくずしました。私たちと合流した時、足首が紫色に腫れ上がり、45aにもなっていました。直ぐに病院に行って、毎日お風呂に入り、マッサージしてようやく腫れが収まりました。

避難所は、障がいをもつ者にとっても、女性にとっても、厳しいところです。洗濯ができない、寝姿を見られる、着替えするところがないなど、何重ものストレスに見舞われます。

「避難所」というと体育館や学校しか考えられないのでしょうか? もっと多くの選択肢があってしかるべきだと考えています。私たちは、新潟のホテルに避難しましたが、最終的には、「ゆめ風基金」から支援をいただきました。実は、新潟では温泉地に避難者を招待し、一般の方たちは国からの助成が出て素泊まり料金の4千円が助成されました。しかし、南相馬の障がいをもつ女性と高齢の父親はこの助成の対象にはなりませんでした。役所の人と話したのですが、障がいをもつ人は施設へ誘導する意図がありました。割り切れない思いです。

しかし、一般の方でも前例ができたので、障がいや病気を抱えた皆さんは、大きな災害の時には、ホテルや旅館に行くべきだと思います。50人、100人という多人数の食事や寝るところが確保できるプロのいるところでないと、避難生活は無理なのです。

避難支援計画と訓練

災害に備えて自治体が作成している「災害時要援護者避難計画」は、今回ほとんど活かされませんでした。福島県で、計画どおりに避難支援できた地域は、ほとんどありません。巨大地震の中で支援者も被災したからです。「要援護者避難計画」には、2つの前提が抜け落ちています。1つは支援者が助けに行けない状況になることです。今回の大地震では、地域丸ごと支援者も被災し、多くの要援護者が取り残されました。

役所は、被災者を受け入れ、救援物資をさばくだけで手一杯になるので、地域ネットワークや支援事業所が助け合って避難することになります。

だから事前の計画と訓練は重要で、義務化すべきだと思います。いわき市では津波が来た時に声を掛け合って高台に逃げたそうです。うまくいった理由は、1週間前に避難訓練をやったばかりだったからです。

要援護者避難計画は、全体計画と個別計画があるのですが、個別計画が大事です。「誰が誰を、どこに、どのような手段で避難させるか?」を事前に決めておくことです。

要援護者の対象は、手あげ方式の登録制が多いようですが、これでは駄目です。福祉サービスを受けてない人が70%もいるので、抜け落ちる人が必ずいます。

複合災害を想定した避難計画を

今「逆手あげ方式」が増えています。まず役所が全ての障がい者・高齢者家族の情報を網羅しておき、次に避難の時に、「私のところには来なくていいですよ」という家族に手を挙げてもらい登録して、そこには迎えに行かないという「逆手あげ方式」です。神戸や横浜は、これを採用しています。

「福祉避難所を増やせばいい」という意見もよく聞きますが、決め手にはならないと思います。障がいをもつ人は、介助者か家族が一緒にいます。家族単位で入ると、2〜3家族で満杯になってしまいます。だから私は、ホテルや旅館にグループになって避難し、支援コーディネーターを配置するのが現実的だと思います。

福祉避難所は、医療的ケアなど特別のニーズがある人に限定して入るという形をとった方がいいと思っています。

複合災害が起きた時は、地域崩壊の危機です。自治体も、とてもじゃないですけど手が回りませんでした。医療といっても、お医者さんも看護師さんも介護士さんも、幼い子どもをもつ医者や看護師たちは避難しました。だから本当に沢山の人たちを支援しなければならなかったのに手が足りないという事態となりました。

もう1つの課題は、複合災害が想定されていないことです。今回のように地震があって、津波があって、火事が起きて、そして原発が爆発する様な事態は、全く想定されていません。

複合災害が起きると、逃げ遅れる人々が必ずいます。南相馬市は人口約7万人ですが、緊急時避難区域に指定されて6万人が避難したそうです。残った人は「緊急時には自分で逃げられる人」のはずでしたが、実際は、自分で逃げられなかった人、もしくは避難所に行っても無理だと思った人たちが残ってしまいました。つまり高齢者・障がい者・ひきこもり・自閉症・ALSの方などです。引きこもり・自閉症・ALSの方たちは、家族だけで面倒見ていて福祉サービスを使っていなかったのです。

南相馬での安否確認の活動をとおしてわかったことは、福祉サービスを使っていた方は3割で、7割は福祉サービスを使っていなかったということです。この7割の人たちを誰が支援し、助けに入るのかということがとても大切です。行政は、逃げ遅れる人々がいることを頭に入れ、この2つの事態を想定して避難計画を立て直さねばならないと思います。

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