当事者リレーエッセイ:「働けない」人も「働きたい人」も生きにく世の中… 轟広志
私が地域生活支援センターだった「ちのくらぶ」と出会ったのが、およそ12年前。はれて21世紀の幕開けと同時期だった。偶然にもその3年ほど前に身体・知的障がいから遅れる事20数年して、「精神疾患も障がいである」と国が認めたばかり。精神障がいの世界では、病棟から地域へと、何十年にも及ぶ長期入院患者を退院させて医療中心であった精神疾患を福祉の分野でサポートしていこうと、福祉関係者達は沸き立っていた。国もその意向を汲むかのように全国に地域生活支援センター設置を進めるはずだった。
当時の生活支援センターの役割は、本当に長期(長い場合30年以上)病棟での生活しか知らない人の生活相談、仲間との交流、食事のサービス、そして私が現在も続けている啓発活動などだった。私の「隠れ障がい者としての労働経験」が、障がいを知らずに誤解している人達への仲介的な役割に合っていたのだと思う。
ところが、10年も経たずに障がい者自立支援法の制定に伴い、生活支援センターはもう作らない。今ある支援センターは地域活動支援センターとし、障がい者枠の雇用を軸とした就労支援事業を行なうと、急速に変わってきている。
やっと地域での生活にも慣れてきた障がい者に働く余裕などあるはずもなく、年配のメンバー等は、地活センターとなった 「ちのくらぶ」の利用がし辛く、自宅で過ごす時間が増えているのも事実だ。
闘い疲れた仲間たちの死
障がいをもちながら働くことは素晴らしい。でも「働けない」と「働かない」ではハッキリと違う。
バブルと呼ばれた時代が終わり、企業がリストラと派遣切りを平気で行い、上層部の利益を確保しようとやっきになり、売名と保身しか考えない政治家は企業の後押しをし、若者が未来に展望を感じれずニートやフリーター、さらにはホームレスの人達が増える中「障がい者も働け」と云わんばかりだ。
一体なんの為の障がい認定だったのか?そもそも健康で意欲もある人がこれ程まで働く場がないのもおかしい…。
少子高齢化というなら若者は貴重な労働力のはず。私が15年間仕事を続けられたのは、景気が良かったからなのか?ならば景気が回復すれば全てOKなのだろうか?景気回復のために原発は必要で、憲法を変えて戦争を生業にできる国にする?おかしいと思う。
この数年、私と同世代や少し上の仲間(50代や60代)が相次いで亡くなっている。まるで自身の障がいとの闘いに疲れたように…。
あまり公にはされないそんな訃報を耳にするたび「働けない(闘えない)障がい者さんは、せめてお国のために死んで下さい」と云われている気さえする。
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