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特集:フィリピン巨大台風被害障がい者支援現地調査を終えて〜台風被害と貧困、2重に苦しむ障がい者〜 DPI日本会議 堀場浩平さん

昨年月、フィリピンを直撃した台風号・ヨランダ(フィリピン名)によって、中部レイテ島を中心に高潮や土砂崩れなどによる甚大な被害が発生しました。死者・行方不明は7千人を超え、避難した被災者が390万人とも言われる深刻な被害です。ところが、災害復興支援が遅々として進まず、3カ月経った今も、食料・水の不足、衛生環境の悪化など被害拡大のおそれすらあります。

とりわけ障害者にとっては、東日本大震災でも見られたように、食料などの支援物資を配給しているところまでたどり着くことができない、避難所を利用できない、情報が得られないなど、困難な状況に置かれます。

8月にも大洪水災害があり、すでに動き出していたゆめ風基金と、DPI日本会議が協働して今回の被災障害者支援のため、現地調査が行われました。タクロバンの障害者共同組合のメンバーを中心に聞き取りが行われ、車イスなど福祉機器の提供等が進められます。フィリピン大学に留学中でアジア途上国の障害者の状況を情報発信している千葉寿夫さんが現地での協力者として同行されたので、報告をお願いしました。            (文責・編集部)

想像を絶する台風被害

ヨランダ台風発生から日目にあたる2月3日、DPI日本会議、ゆめ風基金・ぷくぷくの会、AJU自立の家のみなさんに同行し、今回もっとも甚大な被害を受けたフィリピン中部・タクロバン市を視察しました。被災現地に足を運んだのは、昨年月末にセブ島北部の訪問に続いて2回目です。

被災直後の現地は大混乱で、通信・交通手段も麻痺していました。障害者連盟の方にお話を聞きましたが、彼らも「まだ行ける状況でない」という状況でした。フィリピン政府やNGOは一般の救助に手一杯で、障害者は取り残されているようで、「緊急に、薬、福祉機器などが必要になる」とのことでした。

今回視察をしたタクロバンも、当時はどうなっているのか分からない状態で、障害者団体もバラバラに動いている感じでした。

昨年月末の段階では、災害から日ほど経っていたにもかかわらず、セブ島北部は電柱が軒並み倒れているため、電気も復旧していませんでした。風速100mの強風による家屋の倒壊が主な被害で、学校や体育館など大きな建物でも、屋根が吹き飛び鉄骨があわらに曝されていました。

この時は、RBI(視覚障害者支援基金)の視察に同行させて頂きました。代表のランディー氏は、視覚障害学生支援プロジェクトで日本財団時代に一緒に仕事をしていた同僚です。彼らは、現地の特別支援学校と提携しているので、視覚障害児がどこに住み、どのような被害を受けているのか把握していました。

障害者の直接参加が重要

この時は、フェリーに乗ってバンタヤン島へ行き、被災した3人の視覚障害児の住居と特別支援学校を訪問しました。

フィリピンでは、障害者のインクルーシブ教育の推進として、各地方にSPEDと呼ばれる学校があります。普通校の敷地内に併設された障害児用の教室が、視覚・聴覚などに分かれて設置されている学校です。訓練された教師が視覚障害児には触図や点字を使って教えたり、聴覚障害児には手話を教えたりします。一般クラスでもやっていける学力があると判断されれば移動もできるそうで、一般クラスで主席を取る障害児もいるそうです。幸い特別支援教室には被害がなかったそうです。

ランディーとRBIスタッフは、すぐに被害状況を細かく確認し、住居の修繕に必要な資材や工程、そして費用を算出していましたが、まだ連絡が取れないレイテ島(タクロバンなど)を考えると、100軒以上の視覚障害児の住居が深刻な被害を受けているようでした。

日本からの支援を考えれば、生活再建は寄付や基金で支援し、コミュニティレベルの障害者を含んだ防災戦略は、専門的に計画し、長期に実施されなければならないでしょう。その時、障害者の参加が何よりも重要になります。

タクロバン現地でニーズ調査

今回の視察では、タクロバン障害者共同組合のメンバーを中心にヒアリングし、被害状況を確認しました。

2月3日午後4時、タクロバン空港に降り立つと、ターミナルはまだ被害を受けており、荷物置き場も屋根があるだけ、吹きっさらしの状態でした。空港から外に出ると、市内に進む道には、国連の簡易テントが散在し、倒壊したビルが残され、電線が垂れ下がり、寸断されていました。幹線道路の脇にはUNHCR(国連難民支援機関)やUNICEF(国連児童基金)のテントが並び、掘建て小屋みたいなキオスクが並んでました。建物もまだ壊れたものが多かったです。

市内に入ると、さすがに人通りが多くなり、復旧支援のトラックやバンとともに、トライシクル(サイドカーを着けたバイクタクシー)やジプニー(小型乗合バス)などが行き来していました。店はオープンしているものの、電気は一部復旧に留まり、物資は一応揃ってますが、簡素に並べてあるだけでした。

コンベンション・センターの周りに避難所が用意されていましたが、水道もまともに来ておらず、テント横の側溝には下水が溜まっています。そして海に突き出した簡易トイレが、衛生環境の悪さを物語っていました。電気は簡易の太陽光発電機で、太陽光と言えば聞こえは良いのですが、玩具みたいな機材にLEDが付き、わずかな明かりと携帯の充電くらいしかできない代物です。

被害から3ヶ月近くたっても電気も復旧していない、というのは、話しでは聞いていたものの、正直、これほど進んでいないのか…と、驚きました。バスターミナルで現地の障害者団体と落ち合い、その日は簡単に打合せをしました。

翌4日、障害者団体の事務所で現状の確認をしました。タクロバン市内のTAPDICOという障害者約名の共同組合を通して、障害者のニーズ調査や現状調査、事務所に来られない障害者の自宅訪問を行いました。彼らが集めた障害者リストを頂き、現状のヒアリング。その後、車イス等の福祉機器が必要な人人以上との面談を行い宿舎に戻りました。

彼(女)らは、当面の食料や住居は確保できているものの、生活上の困難を多く抱えており、特に知的障害児の親には公的支援もなく、病院にも行けず、負担を1人で抱え込んでいるようでした。視覚障害者夫妻にも出会いましたが、避難所の簡易テントで娘と親の4人生活を余儀なくされていました。

今回面談した障害者の多くは、震災以前から生活上の困難を抱えていました。TAPDICO自体は共同組合であり、組合員として働ける障害者には収入がありますが、それ以外の障害者は自力で生計を立てなければならなりません。就職口は限られ、家族の世話になる人も多く、障害当事者団体が組織されていないタクロバン市では、利用できる資源も限られています。

今回の支援は主に福祉機器の提供などが中心になるため、障害児は体の測定も行い、適切な車イスのサイズを確認していました。視察隊は、TAPDICOの活動支援として、現在の工房や事務所の復旧作業に使うための車(マニラの障害者財団提供)の修理も行い、障害者の移動のため、復旧作業のため必要な支援は直ぐに提供していました。

政府の支援策と日本の役割

インフラ整備の遅れは中央政府に期待したいのですが、障害者支援に関しては、政府機関である全国障害問題協議会と民間団体の全国障害者連盟(A・K Pinoy)が協力して、復興支援策を策定中です。2月下旬に関係諸団体を集め、マニラで支援内容を協議し、実施する予定になっています。

その他にも、国立国会図書館が障害者を含む社会的弱者の被災状況や避難の状況を聞き取り調査し、電子ファイルとして恒久的に保存することを考えているようです。フィリピン中部は毎年強い台風が予測されるため、被害を少しでも防ぐために、過去の教訓から学ぶことが非常に重要です。

最後に

国全体の取組みに留意しながらも、日本の障害者団体として地に足のついた支援を提供することは非常に重要です。現地の障害者団体と協力すれば、日本からでも十分に有意義な支援を提供することができます。

今回は福祉機器の提供を念頭においていますが、寄付金自体も貴重ですし、自助団体の設立を支援する方法もあると思います。フィリピンにいる私たちとしても、現地情報の共有だけでなく、寄付集めなどの具体的な支援に繋げたいと思いました。

今後も現地を訪問し、フィリピンの障害者の様子を肌で感じて欲しいと思います。そこから交流が生まれ、知識の共有がなされ、支援に継続性が生まれるかもしれません。

台風発生から3カ月近くが経過しても、復興は始まったばかりです。支援を必要としている障害者が沢山いますし、ニーズはいくつか確認できました。これからをもとに日本で報告会を開き、具体的な支援策を決めていくことになります。

復興には長期的な取り組みが求められます。日本からできることを考えてみて欲しいと思いますし、息の長い支援をお願いします。

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