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阪神淡路大震災から20年災害と障がい者を考える 地域の避難所で一緒に苦労し、助け合う関係を
NPO法人「ゆめ風基金」 代表・牧口一二さん

阪神大震災をきっかけに生まれた「ゆめ風基金」も、20年の節目を迎えました。東北大震災に対しては、16年間に寄せられた基金残高のすべて(2億円)を東北の障がい者に届け、その後の支援金も含めて国内・海外34カ所の障がい者なかまに活用されています。代表の牧口さんに、基金立ち上げから現在までの20年を振り返ってもらいました。  (文責・編集部)

被災した障がい者の心意気に押されて

大災害や戦争のように社会全体が大混乱になると、障害者は後回しにされてしまう。阪神大震災の時は「みんな大変なんだ。それどころじゃない」と相手にされず、東北大震災の避難所では「あなた達の来る場所ではない」と言われた話を聞きました。

本来なら支援が必要な人から助けるのが人間社会だと思うんやけど、理想論だけではラチが明かんので平常時からお金を集めて、いざという時に活用してもらおうと、ドサクサの中でゆめ風基金が動き出しました。

阪神淡路大震災の直後、被災地からの第1報は、「運動仲間の1人が崩れた屋根の下敷きになって即死」でした。自立の家探しが大変だった頃で、古い家しか貸してくれない。残念無念。と、第2報は、被災地の障害者たちが一般とは別ルートで届いた救援物資をもとに炊き出しをやってるという報せ。この活躍ぶりに、大阪のボクらはどれだけ励まされたことか。

彼らは日頃の助け合いネットワークを活用し、西宮や神戸の避難所で炊き出しを実施。寒さに震える地域の人々に「日頃はお世話になってま〜す」と暖かな豚汁を配っていたんやって! この心意気に、「僕らもできることを何かやろう」と、なかまに呼びかけ、街頭カンパ活動。「被災地へカンパをお願いします」と呼びかけると、普段は硬貨が多いのに紙幣がどんどん入って…、2時間くらいで60万円以上集まり、「被災地で役立てて」と新聞社に届けたんです。けど、何か釈然としないものが残ってね。もっと直接的な、実際に必要とする人に直接手渡したい気持ちやね。すぐにお金集めの呼びかけ文を作り、信頼度の高い著名人に呼びかけ人になってもらって、3カ月後の6月に「ゆめ風基金」は発足しました。

災害直後、レールの上を歩いて神戸に行った河野秀忠(「そよ風のように街に出よう」編集長)が電話してきて、「えらいこっちゃ。金集めよ、10億円は要るなぁ」と興奮の様子。大阪のボクは「10億円って0いくつ並ぶん? 5億円ぐらいにしとこや」と値切ってたんよ(笑)。で、10年かけて1万円出す人を10万人集めよう、となったわけ。この金額なら、中学生から参加できるもんね。

永六輔さんが「10年計画がとてもいい」と、呼びかけ人代表を引き受けてくださり、本気で「ゆめ風」を広げてくれたんや。「ゆめ風」のモットーは「必要としてる人に早く確実に手渡す」です。

不公平を恐れず

この基金運動は、「緊急時に備えよう」で始まりましたが、20年はあっという間でした。とくに最初の10年は早く、トルコ西部大地震、台湾大地震、エルサルバドル地震、インド大地震など。海外の障害者も支援しました。大金を手元に預かると外国の障害者も気になるんやね。これがホンマの「国際化」やと思ったし、お金の自然な流れやと気づいた。いまボクらが貧しいんは、誰かがお金の流れを止めとるんやなぁ。「金の切れ目は縁の切れ目」っていうけど、金は方便やけど縁は強いよ、そう簡単に切れへん。そういう地球規模の「繋がり」を作っていくことやと思う。

国内でも、新潟中越地区震災、兵庫県佐用町台風被害そして東北大震災と、自然災害が頻発しています。加えて、福島原発大事故。これは人災で2度と起こしてはアカン。

20年経って思う「ゆめ風基金」の特徴は、日赤やNHKなどの公的支援と違って、不公平を恐れないで、必要やと思ったところに1日でも早く支援金を届けられること。ホントは必要な分だけ届けたいなぁ。

別扱いの福祉避難所はいらない

当初は10ヵ年計画だったけど、あっという間の20年。いま続けていくのに頭を痛めてます。自然災害はなくならへんよね。正直、えらいことを始めてしもたと思ってます。ぼつぼつ次の世代にバトンタッチせんとアカンのやけど、ホンマは障害者を支援するだけじゃなく、障害者が社会市民として認知されたら、こんな基金はいらんのやけど、残念ながらまだまだ必要なんやろなぁ。

ゆめ風基金では、災害時に障害者はどういう扱いを受けるか? ということで、防災・減災の提案もしてきたんやけど、たとえば「いまの避難所では障害者はトイレも大変」と指摘すると、必ず「じゃあ福祉避難所を作ろう」になっちゃう。ボクたちはそんな別扱いを欲しがってるんじゃない。怖いことも辛いことも楽しいことも市民として一緒に味わいたい。どこの避難所にも障害者が共に過ごせる設備がほしい。ホントは設備を整えることより、なかま意識、そう、繋がりほしいんよ。特別な困難を抱えてる人のことは、専門家に任せればいい、という意識が空気を悪くしてる。なかま意識を感じ合えれば多少の不備は何とかなるっていうか、許し合えるんよ。けど、人の意識って頼りにならへんから「設備を整えよ」になっちゃう。

障害者のほうから社会の手助けができることもある。たとえば、重度障害者の自立の家を支援物資が持ち込まれる拠点にすれば、地域の人たちが支援物資を取りに来るので、自然に交流できるやろ。地域の一員としての役割を果たして、地域の避難所で一緒に苦労したり、助け合ったり、喜び合ったり。これが「災害と障害者」を考える時の大切な視点やと、思ってる。

しぶとく生きていこ!生きぬくことを諦めんとこ

最後に、人生のちょっと先輩として「生きぬくことを諦めんとこうや」というメッセージを送ります。障害者や障害が出ててきた高齢者の中には、遠慮が強すぎて逃げることを諦めてしまう人もいるようだけど、「私も生きたい、誰か助けて!」というメッセージを普段から発してほしい。生きることに淡泊にならず綺麗に諦めるのでもなく、「迷惑かけてもいいから生きぬきたい」と、ボクも自分に言い続けてる。「人間って結構しぶといぜ」ということを感じ合いたい。もがきながら、生きぬき続けようよ、ね。

☆ゆめ風基金は、20年間に、海外も含めて計2億円余を被災地の障害者(児)に届けてきました。「障害者にだけ使うの?」と思われるかもしれませんが、本当に困っている障害者に届けたいので、どうかご理解ください。

☆詳しくは、HP(http://yumekaze.in.coocan.jp/)をご覧ください。

バリアフリー化に当事者参加は不可欠 伊丹市 加藤作子さん

阪神大震災で崩壊した阪急伊丹駅は、98年11月、総額100億円をかけた5階建ての新駅ビルとして再建。当時は「究極のバリアフリー駅」と呼ばれ、全国から視察が相次いだ。同駅の復興検討委員会に委員として参加し、当事者として計画段階からバリアフリー化に取り組んだのが、加藤作子さんだ。

知的障害のある兄、高齢の母と共に3人で県営住宅に暮らしてきた加藤さんは、水泳選手としても練習を重ね、シドニーパラリンピック(2000年)に出場。競泳リレー種目の金メダルを含む5種目でメダルを獲得している。そんな加藤さんに、阪神大震災20年を振り返ってもらった。(文責・編集部)

震災当時、県営住宅5階で知的障がいの兄と母と暮らしていたのですが、地震でドアが開かず閉じこめられました。ガスの臭いがしてきたので、窓から脱出を試みましたが、思うように体が動かず、死も覚悟しました。朝になると、近くの産廃処理場の労働者が助けに来てくれました。自治会長さんが「障がい者家族だから」と、声をかけてくれたそうです。地域との関わりの大事さを感じました。

着の身着のままで車を運転し、伊丹障害者センターに行ってみましたが、当直していた職員は「指定避難所ではない」と中に入れてもらえません。交渉して入りましたが、避難所に指定されたのは、1週間後でした。

阪急伊丹駅の再建

伊丹駅バリアフリー化は、まず、「障害者とともに考える伊丹市民の会」として、市民アンケートを実施しました。明らかになったのは、高齢になった時には、誰もが何らかの障がいを持つことになるという危機感でした。これをもとに、誰でもわかりやすいエレベータの位置や規模を提案し、他にも様々な提案をしました。

特に、情報の共有と視覚・聴覚障がい者など情報弱者への配慮は重要です。私は33才頃からボランティアの手話サークルにも入っていたので、聴覚障がいの友人がいました。こうした友人たちに作業部会に入ってもらい、委員会の内容を報告・共有して、次の会議で提案することを検討してもらいました。

事業者である阪急電鉄は、予算の制約や国の設置基準を満たせばいいという姿勢でした。当初、当事者として発言しても、全く手応えがありませんでした。

委員会の雰囲気が変わったのは、体験会からです。委員14人で完成間もない関西空港駅、宝塚駅などを視察し、車いす体験もしてもらいました。5センチの段差が「壁」になることも理解して頂き、ようやく耳を傾けてもらう入口に立てました。

当初1台だけだったエレベーターは、駅の前方を含む2台となり、1階の玄関から3階の改札までは一目で見通せるエスカレーターを設置し、今自分が何階の何処にいるのか?が、直感的にわかる構造となっています。これは、ヨーロッパで当たり前になりつつあります。

新しい伊丹駅は、バリアフリー法の基盤になったと聞きましたが、障がい種別を越えた相互理解が深まったことが私の大きな成果です。移動のバリアフリー化は常識になりつつありますが、情報バリアフリーはまだまだです。ハード面だけでなく、人を育てる活動が重要です。

バリアフリー化は、自治体の役割が大きいのですが、当事者参画も役所の担当者次第になっています。再建された伊丹駅は、評価委員会も立ち上がらず、改良は進んでいません。制度はすぐに形骸化します。当事者参加の重要性を訴え続けたいと思っています。

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