7ひきめ(2002年11月)

まねき猫がであった 今月のおもろい人

為公史さん



 茶人(ちゃじん)(ため)さんは、信楽(しがらき)山中(さんちゅう)でティーピというネイティブアメリカン(インディアン)のテントと、移動(いどう)可能(かのう)茶室(ちゃしつ)(かま)えて()らしています。夕闇(ゆうやみ)(せま)茶室(ちゃしつ)のなかで、(あめ)(おと)()きながら不思議(ふしぎ)なひとときをすごしました。(文責(ぶんせき):編集部(へんしゅうぶ) 

 ここへ()てもう25(ねん)ぐらいになるのかな。ずっとここで()らしてるわけじゃないけど、たえず(かえ)ってきます。ぼくは片付(かたづ)けるのが下手(へた)なんですよ。5年前(ねんまえ)のどんぶりがそのまま(あら)わずにあるっていう((わらい))。茶道家(ちゃどうか)にとっては片付(かたづ)けができないなんていうのは致命傷(ちめいしょう)なんです。でもこういう(だれ)()ないところだったら(なに)をしててもいいじゃないですか。

 ぼくは(ひとり)(ひとり)不登校(ふとうこう)()とつきあってるんです。(かれ)勉強(べんきょう)をはじめるときにぼくが()ったのは、勉強(べんきょう)っていうのはものの本質(ほんしつ)()ることやと。学校(がっこう)勉強(べんきょう)知識(ちしき)()(かさ)ねているだけで(じつ)遠回(とおまわ)りや。本質(ほんしつ)をつかめばそれはすべてに応用(おうよう)できる。たったひとつでいいから(なが)勉強(べんきょう)すること。おまえが「おまえ(がく)」を(つく)ることや。特別(とくべつ)たいしたことをせんでも、人生(じんせい)()わるときに「おれの人生(じんせい)、ちょっとお茶目(ちゃめ)やったな」って()える人生(じんせい)をつくってくれたらもう充分(じゅうぶん)

 しょうもない自分(じぶん)だけど、(いま)ここにいることができている。そのことがありがたいなあという気持(きも)ちになってくると、とてもその(ひと)(かがや)きだす。そしたら(よこ)にいる(ひと)(なに)かを(かん)じるんですよ。自然(しぜん)連鎖的(れんさてき)共存(きょうぞん)していくスタイルがそこから()まれてくる。植物(しょくぶつ)たちは(むかし)からみんなそうしてるんです。自分(じぶん)(たい)して「おれってしょうもないおっさんやなあ。そやけど、このへんはちょっとええぞ」みたいな見方(みかた)ができたらいいですよね。

 そのためには(なに)をしたらいいか。それは自分(じぶん)自分(じぶん)()きることなんですよ。他人(たにん)(たい)してじゃなく、自分(じぶん)(たい)してアプローチする。自分(じぶん)自分(じぶん)正直(しょうじき)()()うっていうのはとっても(くる)しいことですし、そういう()(かた)をするだけでもすっごい迫害(はくがい)はありますよ。ぼく(ひとり)(ひとり)(たの)しく()らしてると(まわ)りはイライラするらしい((わらい))。

 

 お(ちゃ)っていうのは()らすことの芸術(げいじゅつ)です。世間(せけん)でやっている茶道(ちゃどう)というものには()らしがない。()らしとは(なん)(かか)わりもない茶室(ちゃしつ)という()空間(くうかん)のなかで、高尚(こうしょう)趣味(しゅみ)のようなものに仕立(した)()げて、それで(かね)(かせ)職業(しょくぎょう)茶道(ちゃどう)です。「(ちゃ)()」というのはそれとはちがって、ご(はん)()べるときにちょっとこっちの(うつわ)のほうが(たの)しいかなとか、そういう()らしを(たの)しむ(すべ)なんですよ。だからぼくが片付(かたづ)けられないのも全部(ぜんぶ)(ちゃ)()」なんです((わらい))。
 

ため・まさひと●ずっと人間(にんげん)をしている。

 

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