2ひきめ(2002年6月)
特集・日韓関係について考えてみよう

ワールドカップと戦後(せんご)補償(ほしょう)がつながるとき

「サッカー」と「戦後(せんご)補償(ほしょう)」、どちらもコミュニケーションを
()みだすキーワード

PALAMプロジェクト (ちょん)順一(すにる)


 PALAM(パラム)プロジェクト、スタート 

 二〇〇一(ねん)(がつ)一〇()鄭商根(ちょんさんぐん)さんの裁判(さいばん)支援(しえん)活動(かつどう)(つづ)けてきた(わたし)たちは、市民(しみん)()基金(ききん)設立(せつりつ)し、三つの活動(かつどう)(おこな)PALAM(パラム)プロジェクトをスタートさせました。

 今年(ことし)の七(がつ)には、遺族(いぞく)である(つま)のスナさん、ソクチンさんを日本(にほん)(まね)き、市民(しみん)戦後(せんご)補償金(ほしょうきん)をお(わた)しする予定(よてい)です。

  PALAM(パラム)プロジェクトの活動(かつどう)

  1 鄭商根(ちょんさんぐん)さんの韓国(かんこく)在住(ざいじゅう)遺族(いぞく)市民(しみん)によ戦後(せんご)補償金(ほしょうきん)支給(しきゅう)する活動(かつどう)

 2 援護法(えんごほう)弔慰金法(ちょういきんほう)適用(てきよう)(もと)める活動(かつどう)

 3 戦後(せんご)補償(ほしょう)問題(もんだい)普及(ふきゅう)啓発(けいはつ)活動(かつどう)

 なぜ、戦後(せんご)補償(ほしょう)裁判(さいばん)にかかわったのか? 

 一九九一(ねん)知人(ちじん)から「鄭商根(ちょんさんぐん)さんという(ひと)戦後(せんご)補償(ほしょう)(もと)めて裁判(さいばん)をするから、一緒(いっしょ)支援(しえん)活動(かつどう)をしよ」と(さそ)われました。「ややこしい問題(もんだい)にかかわりたくないな」が正直(しょうじき)気持(きも)ちでした。でも、(ことわ)って「(つめ)たい(ひと)」と(おも)われるのがいやで「やれる範囲(はんい)でなら」と(かる)気持(きも)ちで参加(さんか)したのがきっかけです。

 最初(さいしょ)(ちょん)さんは全然(ぜんぜん)(ぼく)らを(しん)じてくれず、戦争(せんそう)体験(たいけん)などは(なに)(はな)してくれませんでした。「裁判(さいばん)支援(しえん)をしたってんのに、なんで(なに)(はな)してくれへんねん」と(おも)っていましたが、一(ねん)ぐらい活動(かつどう)(つづ)けるうちに、ポツリ、ポツリと(はな)してくれるようになりました。()いていても(こころ)()しつぶされそうなくらいしんどい(はなし)(うれ)しかったと同時(どうじ)に、そんなしんどいことを「(はな)してくれてあたりまえ」と(おも)っていた自分(じぶん)をすごく()ずかしく(おも)いました。

 一緒(いっしょ)講演会(こうえんかい)()き、お(さけ)()み、家族(かぞく)(いえ)(あそ)びに()く…そんな()(かさ)ねの(なか)で、(わたし)気持(きも)ちは「戦後(せんご)補償(ほしょう)問題(もんだい)解決(かいけつ)するための活動(かつどう)」というよりは、「このじいさんを大切(たいせつ)にしながら一緒(いっしょ)()きたい」と()わっていきました。そしてそのためには、「なんとしても(いま)法律(ほうりつ)()えたい」と(つよ)(おも)い、(やく)一〇(ねん)(かん)活動(かつどう)(つづ)けてきました。

 (わたし)たちと商根(さんぐん)さんは「戦後(せんご)補償(ほしょう)」というキーワードで出会(であ)い、(とも)()きるパートナーとなっていたのです。

 鄭商根(ちょんさんぐん)さんの(あゆ)みと戦後(せんご)補償(ほしょう)裁判(さいばん) 

 鄭商根(ちょんさんぐん)さんは一九四〇(ねん)日本軍(にほんぐん)軍属(ぐんぞく)としてマーシャル諸島(しょとう)()き、連合軍(れんごうぐん)攻撃(こうげき)によって右腕(みぎうで)(うしな)(じゅうしょう)(じゅうしょう)()いました。そのために戦後(せんご)苦労(くろう)(なか)()きてきました。

 (どう)(よう)状況(じょうきょう)にある日本人(にほんじん)援護法(えんごほう)(もと)づく障害(しょうがい)年金(ねんきん)受給(じゅきゅう)しましたが、(ちょん)さんは韓国人(かんこくじん)であることを理由(りゆう)支給(しきゅう)されませんでした。戦争中(せんそうちゅう)は「日本人(にほんじん)とされ」、日本(にほん)(くに)のために(はたら)き、負傷(ふしょう)をしたのに、戦後(せんご)は「日本人(にほんじん)でない」ことを理由(りゆう)一切(いっさい)戦後(せんご)補償(ほしょう)()けることができなかったのです。

 (ちょん)さんは、一九九一(ねん)(がつ)三一(にち)援護法(えんごほう)適用(てきよう)(もと)めて、大阪(おおさか)地裁(ちさい)提訴(ていそ)裁判(さいばん)()日本(にほん)政府(せいふ)理不尽(りふじん)(ただ)そうとしました。しかし一九九五(ねん)一〇(がつ)敗訴(はいそ)翌年(よくねん)大阪(おおさか)高裁(こうさい)での裁判(さいばん)(はじ)まろうとした一九九六(ねん)(がつ)二九(にち)無念(むねん)(なか)病気(びょうき)のため()くなってしまったのです。

 (ちょん)さん()(あと)は、韓国(かんこく)()(つま)のスナさんと息子(むすこ)のソクチンさんが裁判(さいばん)()()ぎ、日本(にほん)政府(せいふ)理不(りふじん)(りふじん)(うった)えてきました。しかし大阪(おおさか)高裁(こうさい)判決(はんけつ)最高裁(さいこうさい)判決(はんけつ)(二〇〇一(ねん)(がつ)一三(にち))とも(うった)えを退(しりぞ)けられました。

 一方(いっぽう)国会(こっかい)では(ちょん)さんをはじめ、各地(かくち)()こった戦後(せんご)補償(ほしょう)裁判(さいばん)背景(はいけい)に、特別(とくべつ)立法(りっぽう)として「弔慰金法(ちょういきんほう)」を制定(せいてい)当事者(とうじしゃ)四〇〇万円(まんえん)遺族(いぞく)二六〇万円(まんえん)支給(しきゅう)()め、二〇〇一(ねん)(がつ)より申請(しんせい)手続(てつづ)きを開始(かいし)しました。しかし、これらの(がく)(どう)(よう)状況(じょうきょう)におかれた日本人(にほんじん)(すう)十分(じゅうぶん)の一と比較(ひかく)()らず、差別的(さべつてき)状況(じょうきょう)是正(ぜせい)されたとは()えません。また、裁判(さいばん)()()いだ韓国(かんこく)遺族(いぞく)は、日本(にほん)()んでいないことを理由(りゆう)弔慰金法(ちょういきんほう)対象(たいしょう)からも除外(じょがい)されています。

 「(わたし)は」を主語(しゅご)にした活動(かつどう)スタイルへ 

 「あなたに戦後(せんご)補償(ほしょう)実現(じつげん)したい」「あなたを大切(たいせつ)にしたい」。そんな気持(きも)ちをスナさんやソクチンさんに(つた)えることを(くに)依存(いぞん)し、要求(ようきゅう)(つづ)けるだけでいいのか。自分(じぶん)たちにできる(こと)があるはずだ。活動(かつどう)(つづ)けるスタッフの(なか)に、そんな気持(きも)ちが()まれてきました。それを(かたち)にしたのがPALAM(パラム)プロジェクトです。「日本(にほん)は」を主語(しゅご)にするのではなく、「(わたし)は」を主語(しゅご)にしたスタイルを(わたし)たちは(えら)びました。

 「(くに)(くに)との(あいだ)(きず)ついた(ひと)(びと)を、市民(しみん)市民(しみん)(あいだ)でその(きず)(いや)したい。(つめ)たい(かぜ)しか(おく)ってこれなかった過去(かこ)。でもこれからは、(かれ)らを大切(たいせつ)(おも)い、一緒(いっしょ)()きてゆきたい」。そんなメッセージをこめてPALAM(パラム)プロジェクトは(あたた)かい(かぜ)(おく)りたい。そしてその(かぜ)日本(にほん)政府(せいふ)()()みたいと(かんが)えています。

 ワールドカップと戦後(せんご)補償(ほしょう) 

 「サッカー」をキーワードに日本(にほん)韓国(かんこく)(あいだ)(くに)と国、(ひと)(ひと)のコミュニケーションが()まれているように、(わたし)たちは「戦後(せんご)補償(ほしょう)」をキーワードに、商根(さんぐん)さん、韓国(かんこく)遺族(いぞく)との(あいだ)にあたたかいコミュニケーションを()みだしてきました。

 「戦後(せんご)補償(ほしょう)」というキーワードは、コミュニケーションをフリーズさせるものではなく、サッカーをはじめとしたスポーツ、文化(ぶんか)芸術(げいじゅつ)、ビジネスなど(どう)(よう)にコミュニケーションを()みだすパワーをもった、共生(きょうせい)のためのキーワードだと(おも)っています。

 ワールドカップ終了後(しゅうりょうご)の七(がつ)二八(にち)(わたし)たちは韓国(かんこく)()遺族(いぞく)日本(にほん)(まね)き、市民(しみん)戦後(せんご)補償金(ほしょうきん)(わた)します。(いま)はもう()くなってしまった鄭商根(ちょんさんぐん)さんの「戦後(せんご)補償(ほしょう)」が()みだした、数々(かず)(ひと)(ひと)とのつながりやコミュニケーションを、たくさんの(かた)共有(きょうゆう)できたらと(ねが)っています。


資料(しりょう)

PALAM(パラム)基金(ききん)使用(しよう)方法(ほうほう)

 @()鄭商根(ちょんさんぐん)さんの遺族(いぞく)在韓(ざいかん))に(たい)する市民(しみん)戦後(せんご)補償金(ほしょうきん)としての支給(しきゅう) 80
 A鄭商根(ちょんさんぐん)さんや遺族(いぞく)のドキュメントビデオ「理不尽(りふじん)なり」の配付(はいふ)(ふく)戦後(せんご)補償(ほしょう)問題(もんだい)普及(ふきゅう)啓発(けいはつ)活動(かつどう) 10
 B援護法(えんごほう)適用(てきよう)弔慰金法(ちょういきんほう)適用(てきよう)実現(じつげん)するための活動(かつどう)
 C以上(いじょう)活動(かつどう)継続(けいぞく)するための経費(けいひ) 10

期間(きかん)】 二〇〇一(ねん)(がつ)一〇()〜二〇〇六(ねん)(がつ)一〇() までの五年間(ねんかん)

当面(とうめん)活動(かつどう)

 @PALAM(パラム)プロジェクト普及(ふきゅう)啓発(けいはつ)活動(かつどう)PALAM(パラム) 基金(ききん)(あつ)める活動(かつどう)
 A二〇〇二(ねん)(がつ)に、韓国(かんこく)遺族(いぞく)のソクチンさん、スナさんを(むか)え、「市民(しみん)戦後(せんご)補償金(ほしょうきん)」を(わた)す。
 Bビデオ「理不尽(りふじん)なり」(決定版(けっていばん))を大阪(おおさか)府下(ふか)図書館(としょかん)教育(きょういく)委員会(いいんかい)のライブラリー、学校(がっこう)(など)寄贈(きぞう)
 C弔慰金法(ちょういきんほう)在韓(ざいかん)遺族(いぞく)適用(てきよう)実現(じつげん)のための裁判(さいばん)視野(しや)にいれた活動(かつどう)


鄭順一●ちょん・すにる
PALAM(パラム)プロジェクトリーダー。日本人(にほんじん)(コリアンルーツ、韓国(かんこく)国籍(こくせき)
PALAM(パラム)ホームページhttp://www.geocities.jp/sonmi68/

                   

    

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