5ひきめ(2002年9月)
特集・続・がんばらない生き方
沖縄で安心して暮らすために 国政 美恵
カマドゥ小たちの集い
私が住んでいる宜野湾は、市の面積の20%を占める米軍基地が街のど真ん中にあります。目的地まで直線距離は長くはなくても、フェンスに沿って移動する為に、かなりの時間を費やします。周囲11・5キロの普天間飛行場は6年前、日米両政府が「住宅地の中にありうるさくて危険な飛行場なので返還します」と約束した施設です。その発表から3日後、沖縄の中での移設を条件にしたのです。
毎日、騒音にさらされている私でさえ、沖縄のどこかに新しい基地を造ることは許せません。私の街からフェンスが消えても、この小さな島で移動するのなら、何の解決にもならないからです。
住民運動をしたことのない私が「私なりに出来ることがあるはずだ」と思い、周りに声をかけてみると、意外にも同じ思いの人がいて、それぞれが1人でニュースを見ながら怒ったり不安に思ったりしていたことを知りました。友達の友達というような集まりで、初対面の人がほとんどでしたが、私たちに出来ることを話し合いました。
組織の動員や義務ではなく、集まった15人はそれぞれが「個」として立ち上がりました。年齢や家族構成なんて知らないお互いが、時間も忘れてこれからの沖縄のことを語り合いました。呼びかけたのは女性に限ったわけではないのですが、集まってくれたのはどういうわけか全員が女性でした。こうして出来たのが「カマドゥ小たちの集い」です。カマドゥ小とは昔の沖縄で女の子によく付けられた名前です(花子ちゃんのような・・・・・・)。
「カマドゥ小たちの集い」は会則もないし、代表もいません。組織の上から決められたことをするのではなく、それぞれが「個」として、考え、行動するので、代表をおく必要がないのです。もちろんいろいろな考えがあるので、議論が絶えません。話し合いの上で、まとまることもあるし、納得いかないこともあります。でも沖縄でずっと暮らしたいという共通の思いがあるから、これまでやってきました。
話し合いも定例の会議があるわけではなく、新聞を読んで、腹が立つことがあると、誰からともなく集まろうということになります。都合のつく人が都合のつく時間に集まって、いろいろ決めます。参加できない人はもちろん休んでよいわけで、誰に気を使う必要もないわけです。
とにかく行動を起こす
自分で言うのもなんですが「小さな会」の私たちですが、これまでいろいろ「大きな事」をやってきました。
1997年に行なわれた名護の住民投票のときは毎週末、宜野湾から名護に出かけていき「普天間基地を受け入れないでください」と訴えました。名護の女性たちと知り合い、協力して全島に呼びかけ住民投票前日に「静かで美しい道ジュネー(デモ)」を行い、押され気味だった投票を勝利に導いたと思っています。
それぞれの地域で立ち上がっていた小さな女性の会と手をつなぎ「心に届け女たちの声ネットワーク」が生まれました。県庁ロビーにて知事と面会し、沖縄での軍事基地移設反対を表明するよう要請しました。大田知事の吹っ切れた表情を見て、運動の仕方なんて知らない私たちでも声を出すことで、流れを変えていくことが出来るんだということを感じました。
去年5月、普天間基地を5年から7年のうちに返すと約束した政府に対して「約束の日です」と普天間基地を包囲しようという話になりました。以前普天間基地包囲は人間の鎖で2万人という人の手が必要でした。10人ほどのカマドゥ小たちだけではできないので全国から送られてきたハンカチをつないで表現しようということになりました。とにかく行動を起こす。後は誰かがきっと駆けつけてくれる。そう信じ、準備をしていく段階でいろいろ声をかけてくれる人たちがいるのです。カンパをしてくれる人、差し入れをしてくれる人、そして一緒に動いてくれる人がいたのです。新聞やテレビにも取り上げられ、当日テレビのお昼のニュースでハンカチをつないで普天間基地を包囲していることが報道されると、「何かさせてください」と声をかけてくれる人たちがいました。たくさんの人の協力があり、楽しく、つなぎ終えることが出来ました。
自分の中に育ってきたもの
去年、宜野湾市の隣の町、北谷町で米兵によるレイプ事件がありました。戦後繰り返されていることであり、私たちの中できちんと覚悟を持って動き出す必要を感じました。事件が起こるたびに、、各種団体、沖縄県は抗議に駆けつけます。でもちっともなくならない。次の犠牲者を出さないために「心に届け女たちの声ネットワーク」は今、アメリカ総領事館前で毎週金曜日12時から1時まで沖縄から軍事基地をなくすための集会を行っています。「平日のお昼、仕事を抱えているから参加できない」「月に1回の集まりでも大変なのに毎週なんて続けられない」等々・・・・・・。反対の意見もありました。でも、横断幕を2人で持って、1人がマイクで話をする。3人いれば集会は出来るよ、と励まされ、2001年8月10日に始まり56回目の金曜集会を数えています。最初の心配をよそに毎回30人ほどの参加者がいます。
1年経って沖縄の現状は少しもよくなってはいません。でも、私たちの中に「諦めない」という覚悟が日に日に育っているのを感じるのです。これさえあれば沖縄はきっとよくなる。
誰かに言われて動くのではなく、自分で考え、自分の責任で行動することでまっすぐ物事を見つめることが出来てきました。安心して暮らしたいというそれだけのためにたくさんの時間を費やしてきました。でも沖縄に生まれ育って、沖縄が大好きでこれからもずっとここで暮らしたいと思います。
国政美恵●くにまさ・みえ
1955年沖縄に生まれる。現在会社員。女性問題・老人問題・部落問題すべて当事者に問題があるのではない。周りの人間・差別する側に問題がある。沖縄問題も然り。沖縄に問題があるのではなく、沖縄に米軍基地を集中させて、黙認している日本に住む人に問題があると思う。どう思いますか?