7ひきめ(2002年11月)
特集・障がい者が社会で働くために

障がい者(しょうがいしゃ)就労(しゅうろう)(かんが)える

木村(きむら)俊彦(としひこ)(キャベツの(かい)


 障がい者(しょうがいしゃ)社会(しゃかい)(はたら)く。

 この言葉(ことば)に、みなさんはどんージをもつでしょうか?

 これまで、障害(しょうがい)をもつ(ひと)生活(せいかつ)のあらゆる(めん)で 一般(いっぱん)=@の()から排除(はいじょ)されてきました。(はたら)場所(ばしょ)もそのひとつです。当事者(とうじしゃ)関係者(かんけいしゃ)によって、(はたら)場所(ばしょ)のない障がい者(しょうがいしゃ)のために授産施設(じゅさんしせつ)作業所(さぎょうしょ)数多(かずおお)設立(せつりつ)運営(うんえい)されてきました。しかしそれも、障がい者(しょうがいしゃ)のための 特別(とくべつ)=@な()であり、一般(いっぱん)職場(しょくば)ではありません。

 障害(しょうがい)のある(ひと)もない(ひと)も、(おな)社会(しゃかい)()きる人間(にんげん)としてともに(はたら)く。そのための()()みが各地(かくち)(はじ)まっています。


 福祉(ふくし)って施設(しせつ)

 20(ねん)以上(いじょう)(まえ)のことになりますが、新任(しんにん)教員(きょういん)として養護(ようご)学校(がっこう)赴任(ふにん)し、小学部(しょうがくぶ)低学年(ていがくねん)のクラスを()()ちました。小学校(しょうがっこう)(ねん)(せい)といえば、(おや)()将来(しょうらい)()けて(むね)(ふく)らませている時期(じき)なのに、ここではPTA(ピーティーエー)(おや)(かい)中心(ちゅうしん)となって、入所(にゅうしょ)施設(しせつ)建設(けんせつ)のためにお(ちゃ)やわかめを()っていました。よく事情(じじょう)()()めないながらも、教育(きょういく)()()くところが施設(しせつ)入所(にゅうしょ)なのかと、せつない(おも)いがしました。ですから入所型(にゅうしょがた)施設(しせつ)建設(けんせつ)()びかける署名(しょめい)(もと)められても、協力(きょうりょく)する()にはなれませんでした。

 それから10年後(ねんご)(おや)(かい)待望(たいぼう)入所(にゅうしょ)施設(しせつ)ができました。(わたし)自身(じしん)はすでに(べつ)養護(ようご)学校(がっこう)異動(いどう)しており、進路(しんろ)指導部(しどうぶ)視察(しさつ)として見学(けんがく)()くと、当時(とうじ)担任(たんにん)していたクラスの大半(たいはん)生徒(せいと)(かお)をそろえていました。なかには中途(ちゅうと)退学(たいがく)して入所(にゅうしょ)してきた生徒(せいと)もいました。(いま)(はい)っておかなければという(おや)のあせりが、県内(けんない)(もっと)年齢層(ねんれいそう)(ひく)入所(にゅうしょ)施設(しせつ)()()したのでした。

 (この)んでわが()施設(しせつ)入所(にゅうしょ)させる(おや)はいません。地域(ちいき)(とも)()きていく基盤(きばん)がないから、施設(しせつ)要望(ようぼう)せざるを()ないのに、まわりはそうは()()めません。「施設(しせつ)ができて()かったね」「施設(しせつ)(はい)れて()かったね」と()われます。議員(ぎいん)さんは「施設(しせつ)建設(けんせつ)請願(せいがん)陳情(ちんじょう)推薦人(すいせんにん)になってくれと(たの)まれると、個人的(こじんてき)には疑問(ぎもん)があっても、福祉(ふくし)反対(はんたい)していると()われたくないので(ことわ)れない」と(かた)ります。養護(ようご)学校(がっこう)通所(つうしょ)施設(しせつ)授産(じゅさん)施設(しせつ)作業所(さぎょうしょ)など)→入所(にゅうしょ)施設(しせつ)というこの(なが)れをあたりまえのこととして(とら)えてほしくありません。どこかで(なが)れを()える必要(ひつよう)があります。

 

ノーマライゼーションの定義(ていぎ)

 今年(ことし)(くに)障がい者(しょうがいしゃ)プラン(ノーマライゼーション7()(ねん)戦略(せんりゃく))の最終年(さいしゅうねん)となっていますが、「ノーマライゼーション」をどういうものとして定義(ていぎ)づけてきたのか、(おお)きな疑問(ぎもん)があります。「障がい者(しょうがいしゃ)にも教育(きょういく)を」として養護(ようご)学校(がっこう)がつくられ、「障がい者(しょうがいしゃ)にも(はたら)(よろこ)びを」として福祉(ふくし)作業所(さぎょうしょ)がつくられました。そして(おな)じように障がい者(しょうがいしゃ)専用(せんよう)保育園(ほいくえん)学童(がくどう)保育所(ほいくしょ)公民館(こうみんかん)、スポーツ大会(たいかい)など、あらゆる領域(りょういき)障がい者版(しょうがいしゃばん)のものを配置(はいち)することが、この(くに)の「完全(かんぜん)参加(さんか)平等(びょうどう)」であり「ノーマライゼーション」であると理解(りかい)されてきてはいないでしょうか。どこまでいっても「(とも)に」は()てきません。社会(しゃかい)参加(さんか)散歩(さんぽ)()(もの)などの余暇(よか)活動(かつどう)として位置付(いちづ)けられ、ほとんどの(ひと)昼間(ひるま)時間(じかん)()ごしている学校(がっこう)職場(しょくば)はその対象(たいしょう)には(はい)っていません。

 障がい者(しょうがいしゃ)プランの重点(じゅうてん)施策(しさく)に「(こころ)のバリアを()(のぞ)くために」という項目(こうもく)がありますが、ここでも交流(こうりゅう)教育(きょういく)やボランティア教育(きょういく)推進(すいしん)(うた)われているのみです。交流(こうりゅう)必要(ひつよう)なのは()けられているからで、(おな)教室(きょうしつ)(おな)職場(しょくば)一緒(いっしょ)にいれば、「交流(こうりゅう)」とか「ふれあい」などとあえて()必要(ひつよう)はありません。障がい者(しょうがいしゃ)計画(けいかく)見直(みなお)しの時期(じき)でもあり、「ノーマライゼーション」を「()(へだ)てられることなく」と明確(めいかく)定義(ていぎ)し、障がい者(しょうがいしゃ)だけの特別(とくべつ)場所(ばしょ)ではなく、一般(いっぱん)学校(がっこう)から職場(しょくば)、そして地域(ちいき)で、「(とも)(まな)び、(とも)(はたら)き、(とも)()らす」を再度(さいど)位置付(いちづ)(なお)必要(ひつよう)があると(おも)います。

 

福祉的(ふくしてき)就労(しゅうろう)って()うけど

 授産(じゅさん)施設(しせつ)福祉(ふくし)作業所(さぎょうしょ)は、養護(ようご)学校(がっこう)卒業後(そつぎょうご)()(ざら)として全国的(ぜんこくてき)拡大(かくだい)してきました。「福祉的(ふくしてき)就労(しゅうろう)」という言葉(ことば)使(つか)われていますが、制度的(せいどてき)には「就労(しゅうろう)()」ではなく、あくまで「福祉(ふくし)施設(しせつ)」です。(おや)意識(いしき)としても、できたら一生(いっしょう)養護(ようご)学校(がっこう)()いてほしいが、卒業(そつぎょう)させられてしまうから、養護(ようご)学校(がっこう)()わる(かよ)える場所(ばしょ)をという(おも)いが大半(たいはん)ではないでしょうか。社会(しゃかい)参加(さんか)のための施設(しせつ)でありながら、そこから一般(いっぱん)職場(しょくば)(うつ)っていった(ひと)は1(パーセント)程度(ていど)()われています。行政(ぎょうせい)も「福祉的(ふくしてき)就労(しゅうろう)」という言葉(ことば)使(つか)うことで、あたかも障がい者(しょうがいしゃ)就労(しゅうろう)保障(ほしょう)してきたという錯覚(さっかく)(あた)え、本気(ほんき)就労(しゅうろう)支援(しえん)や、(とも)(はたら)ける職場(しょくば)づくりに()()むことを(たな)()げしてきました。

 一般(いっぱん)就労(しゅうろう)(すす)まないのは事業所側(じぎょうしょがわ)()()体制(たいせい)がないこともありますが、それ以上(いじょう)福祉(ふくし)施設(しせつ)本人(ほんにん)親側(おやがわ)問題(もんだい)(おお)きいと(かん)じています。福祉(ふくし)施設(しせつ)1人(ひとり)いくらという措置費(そちひ)運営(うんえい)されていますので、()ていかれると財政上(ざいせいじょう)問題(もんだい)発生(はっせい)したり、(とく)仕事(しごと)のできる利用者(りようしゃ)がいなくなると、作業(さぎょう)そのものが()()たなくなるという事情(じじょう)もあります。(おや)にとっては養護(ようご)学校(がっこう)卒業後(そつぎょうご)()場所(ばしょ)としてようやく()れてもらったのに、なぜ()ていく必要(ひつよう)があるのかという(おも)いや、一般(いっぱん)就労(しゅうろう)したとしても(つづ)かなかったとき(もど)れないと(こま)るという不安感(ふあんかん)がブレーキをかけてもいます。また本人(ほんにん)にとっては「就労(しゅうろう)意欲(いよく)」といわれても、「就労(しゅうろう)」も「職場(しょくば)」もイメージできない場合(ばあい)(おお)く、友達(ともだち)がアルバイトしているから(ぼく)もやってみたいとか、卒業(そつぎょう)間近(まぢか)になれば自然(しぜん)就職(しゅうしょく)活動(かつどう)意識(いしき)するようになったりとか、そういう同世代(どうせだい)文化(ぶんか)から隔絶(かくぜつ)してきた生活(せいかつ)が、意欲(いよく)(そだ)ちにくくしているともいえます。

 (とも)(まな)び・(そだ)つ」ことなくして「(とも)(はたら)く」が()()たないのは当然(とうぜん)結果(けっか)ですが、すでに()けられてきた(おお)くの障がい者(しょうがいしゃ)授産(じゅさん)施設(しせつ)作業所(さぎょうしょ)にあふれている以上(いじょう)社会(しゃかい)参加(さんか)()けた実現(じつげん)可能(かのう)一歩(いっぽ)(さぐ)らざるを()ません。

 

障がい者(しょうがいしゃ)職場(しょくば)参加(さんか)

 (わたし)たちは(たん)に「(はたら)(よろこ)び」ということではなく、施設(しせつ)()()し、それぞれが(まち)職場(しょくば)(お(みせ)工場(こうじょう)農園(のうえん)などなど)へ(はい)っていこうという意味(いみ)()めて、「職場(しょくば)参加(さんか)」という言葉(ことば)使(つか)ってきました。20年間(ねんかん)にわたる(とも)(はたら)(みせ)などの経験(けいけん)をもとに、試行(しこう)錯誤(さくご)()としての()役所(やくしょ)実習(じっしゅう)()()んできました。()役所(やくしょ)での職場(しょくば)実習(じっしゅう)をステップにして、その(ひと)にあった就労(しゅうろう)形態(けいたい)(さぐ)り、支援(しえん)方法(ほうほう)(ととの)え、()のルートもフルに活用(かつよう)して、民間(みんかん)事業所(じぎょうしょ)(ひろ)げていこうというのが(わたし)たちの戦略(せんりゃく)です。障がい者(しょうがいしゃ)就労(しゅうろう)をごく一部(いちぶ)福祉(ふくし)課題(かだい)とするのではなく、すべての障がい者(しょうがいしゃ)そして市民(しみん)課題(かだい)としての「(とも)(はたら)く」を()(ひら)くために、まずは()役所(やくしょ)にターゲットを(しぼ)必要(ひつよう)がありました。(わたし)たちの(はじ)めた()役所(やくしょ)実習(じっしゅう)は、現在(げんざい)では()障がい者(しょうがいしゃ)就労(しゅうろう)支援(しえん)センターの基礎(きそ)実習(じっしゅう)として()()がれています。自治体(じちたい)(たん)就労(しゅうろう)支援(しえん)センターの予算(よさん)措置(そち)をしているというだけではなく、実際(じっさい)(みずか)らの職場(しょくば)で「(とも)(はたら)く」体験(たいけん)()みつつ、社会(しゃかい)(ひろ)げていくプロセスが大事(だいじ)だと(おも)います。

 障がい者(しょうがいしゃ)職場(しょくば)参加(さんか)総論(そうろん)としては(だれ)否定(ひてい)しません。しかし「あなたの職場(しょくば)一緒(いっしょ)に」と()われた(とき)、それは(べつ)問題(もんだい)になってしまいます。(しゅう)に1(かい)でも1時間(じかん)でも「(おれ)職場(しょくば)()いよ」と()ってくれる(ひと)がいない(かぎ)り、(おも)障害(しょうがい)をもつ(ひと)たちの職場(しょくば)参加(さんか)展望(てんぼう)はありません。(おも)障害(しょうがい)をもつ(ひと)たちの就労(しゅうろう)は、(あたま)(かんが)えていては一歩(いっぽ)(すす)みません。「まずは職場(しょくば)空気(くうき)()いに()こう。」これならどんな障がい者(しょうがいしゃ)でも(そく)実現(じつげん)可能(かのう)です。実際(じっさい)職場(しょくば)(なか)()()いてみる、これが大事(だいじ)なことです。

 ()役所(やくしょ)実習(じっしゅう)もはじめからスムーズに進行(しんこう)したわけではありません。当初(とうしょ)緊張(きんちょう)しながらお(ちゃ)だけ()んで(かえ)ってくるという日々(ひび)(つづ)きました。戸惑(とまど)いの(なか)職員(しょくいん)用意(ようい)してくれたのは古切手(ふるきって)整理(せいり)でしたが、つきあっていく(なか)次々(つぎつぎ)にできる仕事(しごと)一緒(いっしょ)(つく)()してゆきました。電動車(でんどうくるま)椅子(いす)(あし)操作(そうさ)する(ケー)さんは、実習生(じっしゅうせい)のバッチを(むね)に、書類(しょるい)(ほか)()(とど)けたり、郵便物(ゆうびんぶつ)をポストへ()しに()きます。ポストのまわりをうろうろしていると、「これ()すんですか?」と(だれ)かが()れてくれるのです。こだわりの(つよ)(エス)さんは、職員(しょくいん)のお茶碗(ちゃわん)(あつ)めてピカピカに(あら)ったり、お(ちゃ)(はこ)んだりします。(となり)()のお茶碗(ちゃわん)にも()()すので、(おこ)職員(しょくいん)もいれば、「サンキュー」と()ってくれる職員(しょくいん)もいて反応(はんのう)はいろいろです。その(ほか)にもパンフレットの訂正(ていせい)、ハンコ()し、シール()り、印刷(いんさつ)()()作業(さぎょう)、ワープロ、ゴミ()し、電話番(でんわばん)など、職場(しょくば)(なか)にいればこそ()えてくる仕事(しごと)数々(かずかず)です。

 

(ひと)(ひと)として大切(たいせつ)にされる(はたら)(かた) 

 1人(ひとり)無理(むり)なら援助者(えんじょしゃ)がついたり、状況(じょうきょう)によっては数人(すうにん)(はい)ったりもします。「雇用(こよう)」といわれるとなかなかチャレンジできなくても、作業所(さぎょうしょ)(せき)()きながらも、(しゅう)(かい)時間(じかん)実習(じっしゅう)そして援助(えんじょ)()けながらのアルバイトといえば、イメージも()いてくるのではないでしょうか。このことは()()れる事業所(じぎょうしょ)(がわ)(どう)(よう)です。もっと気楽(きらく)(はたら)くことにチャレンジしても()いのではないでしょうか。障がい者(しょうがいしゃ)(はたら)くことを授産(じゅさん)施設(しせつ)作業所(さぎょうしょ)職員(しょくいん)など関係者(かんけいしゃ)だけで(かか)()んでいたのでは、いつまでたっても進展(しんてん)はありません。地域(ちいき)のさまざまな職場(しょくば)で、いろんな障害(しょうがい)をもつ(ひと)たちが一緒(いっしょ)(はたら)試行(しこう)錯誤(さくご)()(かえ)すこと、(おお)くの(ひと)たちと(とも)(なや)んだり、(こま)ったり、(おどろ)いたりすることそのことに意味(いみ)があります。障がい者(しょうがいしゃ)就労(しゅうろう)問題(もんだい)は、(じつ)障がい者(しょうがいしゃ)排除(はいじょ)してきた職場(しょくば)のあり(かた)(はたら)(かた)問題(もんだい)だと(おも)っています。「バブルの時期(じき)ならともかく、こんな不景気(ふけいき)時代(じだい)に」とも()われますが、こんな時代(じだい)だからこそ(ひと)(ひと)として大切(たいせつ)にされる(はたら)(かた)模索(もさく)されていくべきではないでしょうか。

 

きむら・としひこ●キャベツの(かい)事務(じむ)局長(きょくちょう)埼玉(さいたま)県新座市(けんにいざし)中心(ちゅうしん)共育(きょういく)職場(しょくば)参加(さんか)介助(かいじょ)、バリアフリーなどをテーマに幅広(はばひろ)活動(かつどう)している。元養護(もとようご)学校(がっこう)教員(きょういん)、『福祉(ふくし)労働(ろうどう)編集(へんしゅう)委員(いいん)


                           
                        

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