10年前の8月6日早朝、広島はどんより曇っていた。平和公園の周辺は未明から市職員らが交通規制に当たり、午前8時15分からの記念式典を取材する報道陣も6時過ぎには会場入りする。私が参列者の間を行ったり来たりしながら頭の中で原稿をまとめ始めた7時半ごろ、小雨が落ちてきた。朝から灼熱の太陽が照りつけていたという「あの日」を思い起こし、何かしら奇妙な感じにとらわれた。
その1年半後に私は転勤したが、ここ数年の広島には身を切られる思いだった。世界的な核廃絶がなかなか進まないどころか、各地で無残な殺し合いが続き、戦争の親玉ともいうべき超大国があからさまに好戦性を強めていることもある。しかし、ここで書きたいのはそのことではない。侵略戦争のシンボルとしての「日の丸・君が代」を長く拒んできた広島に文部省(現在、文部科学省)や一部右派マスコミが浴びせた集中砲火と、それによってもたらされた結果が心を重くする。
99年春には、県教委と現場の板挟みになった高校長が自殺した。国旗国歌法の制定に当たり、時の文部大臣は「強制はしない」と答弁したが、これほどひどいウソも珍しい。文部省から派遣された広島県教育長は教員の処分を乱発し、強権で良心の自由を押しつぶした。これに歩調を合わせるように、全国の学校でも表立って「日の丸・君が代」に反対する声はほとんど聞かれなくなった。学校だけではない。今年6月には、横浜市議会で日の丸掲揚に反対し議長席に座り込んだ女性市議2人が「議会の品位を汚した」と除名、失職する事態まで起きた。
新聞社で働く者として情けなかったのは、この教育長や市議会の動きを単に事実として報じるだけでなく、許せない暴挙としてきちんと批判する論説を見なかったことだ。できれば私が不勉強で見落としただけ、であってほしいと思う。
香川県小豆島出身の作家、壺井栄の名作「二十四の瞳」に、別の小学校の先生が反戦思想を理由に投獄され、主人公の大石先生が彼の作った生徒の文集を「受け持ちの子どもに読んで聞かせた」「どうしてあれがアカの証拠なの」と口走って周囲をあわてさせる場面が出てくる。文集は教頭が焼き捨て、彼女はそうした周囲の事なかれ主義に絶望して退職するのだが、たとえば今年5月、「入学式で国歌斉唱の際に起立しなかった」として戒告処分を受けた広島の小学校女性教諭(47)は、大石先生と同じことを考えていたのではないか。
私は、この作品が木下恵介監督の手で映画化された(私の父もエキストラで出演している)54年にこの島で生まれた。映画が「史上最も多くの日本人を泣かせた」と評された背景には、国家の名の下に数百万人が不条理の死を遂げたことへの深い思いがあった。もちろん、侵略されたアジアへの目配りがないなどの弱点を指摘することはできる。しかし、あの戦争で亡くなった兵士約2百万人のうち戦闘によるのはわずか3分の1、残りは輸送船の沈没や病死、自決だった。それが欧米の軍隊の常識から見ても並外れて非人間的な体制だったことは、だれもが知っておいていい。
|