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あんた、本当に新聞記者なの?@                       
(2002年8月 4ひきめ)

@ABCDEFGHI


(がつ)広島(ひろしま)に、自由(じゆう)への(おも)いを()せる

 
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(ねん)(まえ)の8(がつ)6日(むいか)早朝(そうちょう)広島(ひろしま)はどんより(くも)っていた。平和(へいわ)公園(こうえん)周辺(しゅうへん)未明(みめい)から()職員(しょくいん)らが交通(こうつう)規制(きせい)()たり、午前(ごぜん)()15(ふん)からの記念(きねん)式典(しきてん)取材(しゅざい)する報道陣(ほうどうじん)も6()()ぎには会場(かいじょう)()りする。(わたし)参列者(さんれつしゃ)(あいだ)()ったり()たりしながら(あたま)(なか)原稿(げんこう)をまとめ(はじ)めた7()(はん)ごろ、小雨(こさめ)()ちてきた。(あさ)から灼熱(しゃくねつ)太陽(たいよう)()りつけていたという「あの()」を(おも)()こし、(なに)かしら奇妙(きみょう)(かん)じにとらわれた。

 その1年半後(ねんはんご)(わたし)転勤(てんきん)したが、ここ数年(すうねん)広島(ひろしま)には()()られる(おも)いだった。世界的(せかいてき)(かく)廃絶(はいぜつ)がなかなか(すす)まないどころか、各地(かくち)無残(むざん)(ころ)()いが(つづ)き、戦争(せんそう)親玉(おやだま)ともいうべき超大国(ちょうたいこく)があからさまに好戦性(こうせんせい)(つよ)めていることもある。しかし、ここで()きたいのはそのことではない。侵略(しんりゃく)戦争(せんそう)のシンボルとしての「()(まる)(きみ)()」を(なが)(こば)んできた広島(ひろしま)文部省(もんぶしょう)現在(げんざい)文部(もんぶ)科学省(かがくしょう))や一部(いちぶ)右派(うは)マスコミが()びせた集中(しゅうちゅう)砲火(ほうか)と、それによってもたらされた結果(けっか)(こころ)(おも)くする。

 99(ねん)(はる)には、(けん)教委(きょうい)現場(げんば)(いた)(ばさ)みになった高校長(こうこうちょう)自殺(じさつ)した。国旗(こっき)国歌法(こっかほう)制定(せいてい)()たり、(とき)文部(もんぶ)大臣(だいじん)は「強制(きょうせい)はしない」と答弁(とうべん)したが、これほどひどいウソも(めずら)しい。文部省(もんぶしょう)から派遣(はけん)された広島県(ひろしまけん)教育長(きょういくちょう)教員(きょういん)処分(しょぶん)乱発(らんぱつ)し、強権(きょうけん)良心(りょうしん)自由(じゆう)()しつぶした。これに歩調(ほちょう)()わせるように、全国(ぜんこく)学校(がっこう)でも表立(おもてだ)って「()(まる)(きみ)()」に反対(はんたい)する(こえ)はほとんど()かれなくなった。学校(がっこう)だけではない。今年(ことし)(がつ)には、横浜(よこはま)市議会(しぎかい)()丸掲揚(まるけいよう)(はん)(たい)議長席(ぎちょうせき)(すわ)()んだ女性(じょせい)市議(しぎ)(ふたり)(ふたり)が「議会(ぎかい)品位(ひんい)(けが)した」と除名(じょめい)失職(しっしょく)する事態(じたい)まで()きた。

 新聞社(しんぶんしゃ)(はたら)(もの)として(なさ)けなかったのは、この教育長(きょういくちょう)市議会(しぎかい)(うご)きを(たん)事実(じじつ)として(ほう)じるだけでなく、(ゆる)せない暴挙(ぼうきょ)としてきちんと批判(ひはん)する論説(ろんせつ)()なかったことだ。できれば(わたし)不勉強(ふべんきょう)見落(みお)としただけ、であってほしいと(おも)う。

 香川県(かがわけん)小豆(しょうど)島出身(しましゅっしん)作家(さっか)(つぼ)()(さかえ)名作(めいさく)二十四(にじゅうし)(ひとみ)」に、(べつ)小学校(しょうがっこう)先生(せんせい)反戦(はんせん)思想(しそう)理由(りゆう)投獄(とうごく)され、主人公(しゅじんこう)大石(おおいし)先生(せんせい)(かれ)(つく)った生徒(せいと)文集(ぶんしゅう)を「()()ちの()どもに()んで()かせた」「どうしてあれがアカの証拠(しょうこ)なの」と口走(くちばし)って周囲(しゅうい)をあわてさせる場面(ばめん)()てくる。文集(ぶんしゅう)教頭(きょうとう)()()て、彼女(かのじょ)はそうした周囲(しゅうい)(こと)なかれ主義(しゅぎ)絶望(ぜつぼう)して退職(たいしょく)するのだが、たとえば今年(ことし)(がつ)、「入学式(にゅうがくしき)国歌(こっか)斉唱(せいしょう)(さい)起立(きりつ)しなかった」として戒告(かいこく)処分(しょぶん)()けた広島(ひろしま)小学校(しょうがっこう)女性(じょせい)教諭(きょうゆ)(47)は、大石(おおいし)先生(せんせい)(おな)じことを(かんが)えていたのではないか。

 (わたし)は、この作品(さくひん)木下(きのした)恵介(けいすけ)監督(かんとく)()映画化(えいがか)された((わたし)(ちち)もエキストラで出演(しゅつえん)している)54(ねん)にこの(しま)()まれた。映画(えいが)が「史上(しじょう)(もっと)(おお)くの日本人(にほんじん)()かせた」と(ひょう)された背景(はいけい)には、国家(こっか)()(もと)(すう)百万人(ひゃくまんにん)不条理(ふじょうり)()()げたことへの(ふか)(おも)いがあった。もちろん、侵略(しんりゃく)されたアジアへの目配(めくば)りがないなどの弱点(じゃくてん)指摘(してき)することはできる。しかし、あの戦争(せんそう)()くなった兵士(へいし)(やく)(ひゃく)万人(まんにん)のうち戦闘(せんとう)によるのはわずか3(ぶん)の1、(のこ)りは輸送船(ゆそうせん)沈没(ちんぼつ)病死(びょうし)自決(じけつ)だった。それが欧米(おうべい)軍隊(ぐんたい)常識(じょうしき)から()ても並外(なみはず)れて非人間的(ひにんげんてき)体制(たいせい)だったことは、だれもが()っておいていい。

  

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