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あんた、本当に新聞記者なの?D                       
(2002年12月 8ひきめ)

@ABCDEFGHI

 言葉(ことば)問題(もんだい)から(かんが)える

 
 戦前(せんぜん)商家(しょうか)舞台(ぶたい)にしたドラマで、東北(とうほく)あたりから都会(とかい)奉公(ほうこう)()少女(しょうじょ)女将(おかみ)に「それナオしといて」と(もの)(わた)されてどぎまぎし、「そんなこともできんの」と(かみなり)()とされるシーンがあった。「ナオす」はここでは「収納(しゅうのう)する」意味(いみ)だが、少女(しょうじょ)故郷(こきょう)言葉(ことば)では「修理(しゅうり)する」の意味(いみ)しかないので、(こわ)れてもいないものをどう(なお)すのか、と彼女(かのじょ)(かんが)()んだあげく、周囲(しゅうい)から「ぐずでのろま」と誤解(ごかい)されてしまう。

 言葉(ことば)について(かんが)える(とき)(わたし)はよくこの場面(ばめん)連想(れんそう)する。少女(しょうじょ)にとっては主人(しゅじん)奉公人(ほうこうにん)年長者(ねんちょうしゃ)年少者(ねんしょうしゃ)という()だけでも圧倒的(あっとうてき)なのに、なぜ言葉(ことば)のハンデまで背負(せお)うことになるのか。京都(きょうと)だか大阪(おおさか)だかの言葉(ことば)東北(とうほく)言葉(ことば)との(あいだ)に、価値(かち)上下(じょうげ)があるわけではもちろんない。それでいて、誤解(ごかい)されさげすまれるのはいつも東北人(とうほくじん)()まっている。女将(おかみ)がもし聡明(そうめい)女性(じょせい)であるか、以前(いぜん)自分(じぶん)(おな)じような体験(たいけん)をしたことがあれば、少女(しょうじょ)戸惑(とまど)いの理由(りゆう)理解(りかい)できるだろう。そうでなくても(こころ)(やさ)しければ、わからないなりに(なに)理由(りゆう)があると(かんが)えて、(しか)(かた)配慮(はいりょ)するかもしれない。でも、実際(じっさい)には聡明(そうめい)でもなく(やさ)しくもない女将(おかみ)(おお)かったはずで、そんな場合(ばあい)彼女(かのじょ)奉公人(ほうこうにん)につらく()たることに(なん)良心(りょうしん)呵責(かしゃく)(かん)じなかったのではあるまいか。

 いずれにせよ、()(なか)には「自分(じぶん)(おも)うままに言葉(ことば)(あやつ)り、それによって自分(じぶん)他者(たしゃ)との関係(かんけい)()()てていける(ひと)」と「そうでない(ひと)」の区別(くべつ)、というより差別(さべつ)厳然(げんぜん)存在(そんざい)する。後者(こうしゃ)(おお)くは、くだんの少女(しょうじょ)のように故郷(こきょう)から()(はな)された(ひと)たちだ。北海道(ほっかいどう)東北(とうほく)九州(きゅうしゅう)など経済的(けいざいてき)(まず)しい地域(ちいき)から都会(とかい)への人口(じんこう)移動(いどう)は、(いま)(つづ)いている。世界的(せかいてき)には、アフリカや中東(ちゅうとう)中心(ちゅうしん)に、一向(いっこう)()(きざ)しの()えない難民(なんみん)()れがいる。難民(なんみん)のつらさは、(たん)(まず)しいことだけではない。

 

 前回(ぜんかい)最後(さいご)に、ある作家(さっか)の「強制(きょうせい)連行(れんこう)拉致(らち)別物(べつもの)(ろん)()れた。「法的(ほうてき)には日本(にほん)」だった植民地(しょくみんち)朝鮮(ちょうせん)からの強制(きょうせい)国内(こくない)移住(いじゅう)であり、(くに)主権(しゅけん)(おか)した拉致(らち)とは(ちが)うというものだ。(わたし)は「とんでもない」と()いたが、それでは(なに)説明(せつめい)したことにならない、とコメントした友人(ゆうじん)がいた。(たし)かにその(とお)り(読者(どくしゃ)皆様(みなさま)(もう)(わけ)ありません)。

 (かれ)文章(ぶんしょう)知識人(ちしきじん)のそれに程遠(ほどとお)いのは、強制(きょうせい)連行(れんこう)されてきた朝鮮人(ちょうせんじん)運命(うんめい)についての想像力(そうぞうりょく)(まった)()けているせいである。(おな)日本(にほん)列島(れっとう)にあってさえ、東北人(とうほくじん)東京(とうきょう)関西(かんさい)でつらい(おも)いをしてきた((わたし)自身(じしん)小学校(しょうがっこう)(とき)故郷(こきょう)小豆島(しょうどしま)から(ふね)でたった1()(かん)高松(たかまつ)転校(てんこう)しただけで、方言(ほうげん)言葉(ことば)じりを()らえてはやし()てられ、とても(いや)だった)というのに、日本語(にほんご)とは(まった)(べつ)朝鮮語(ちょうせんご)()らしてきた(ひと)たちを無理(むり)やり日本(にほん)()れてきて炭鉱(たんこう)工事(こうじ)現場(げんば)(はたら)かせることがどんなものか、(すこ)しでも人間的(にんげんてき)共感(きょうかん)能力(のうりょく)のある(ひと)ならわかりそうなものだ。炭鉱(たんこう)現場(げんば)監督(かんとく)が、商家(しょうか)女将(おかみ)よりも使用人(しようにん)(やさ)しく(あつか)ったとはだれも(おも)うまい。当時(とうじ)朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)でも日本語(にほんご)強制(きょうせい)し、学校(がっこう)朝鮮語(ちょうせんご)使(つか)って先生(せんせい)(なぐ)られる生徒(せいと)もいたが、(かれ)はそれで「母国語(ぼこくご)同様(どうよう)日本語(にほんご)がマスターできた」とでも強弁(きょうべん)するのだろうか。

 今年(ことし)は、13(ねん)がかりで辞書(じしょ)(へん)さん作業(さぎょう)()()んできた朝鮮人(ちょうせんじん)学者(がくしゃ)30(にん)日本(にほん)への同化(どうか)政策(せいさく)違反(いはん)したとして逮捕(たいほ)された、1942(ねん)の「朝鮮語(ちょうせんご)学会(がっかい)事件(じけん)」から60(ねん)()たる。このうち2人(ふたり)拷問(ごうもん)獄死(ごくし)した。植民地(しょくみんち)(ひと)たちに自民族(じみんぞく)言葉(ことば)使(つか)うことさえ(ゆる)さなかった日本(にほん)。そんな歴史(れきし)のイロハもわきまえない連中(れんちゅう)が、戦後(せんご)日本人(にほんじん)愛国心(あいこくしん)()けているなどと声高(こわだか)()()て、どうやら教育(きょういく)基本法(きほんほう)の「改正(かいせい)」も間近(まぢか)のようだ。

  

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