あんた、本当に新聞記者なの?C
(2002年11月 7ひきめ)
@ABCDEFGHI
ノーベル賞と拉致問題の報道から
新聞製作の仕事をしていると、年に何度かは目の回るように忙しい日がある。捜査が進行中の大物政治家の逮捕や国政選挙ではそれなりの準備もしているが、困るのは準備ができていないか、事態が予想を大きく上回って進行した時だ。出先の記者からの一報や通信社のファックスのほか、つけっぱなしのテレビの画面に突然、旅客機の墜落などのテロップが流れたりすると、編集局はたちまち騒然となる。朝刊、夕刊の製作中なら、配達地域に合わせて何段階かに設定された締め切り時刻までにできるだけ多くの記事を入れなければならない。それに少しでも間があれば、号外を出す。そんな日がこの1か月間、とにかく多かった気がする。ノーベル賞だけで2回、そして北朝鮮での拉致の「8人死亡」「5人帰国」など。ノーベル物理学賞の小柴昌俊さんは以前から候補者として有名で、各社の記者は待機した自宅で本人から受賞を知らされるなど取材は楽だったが、化学賞の田中耕一さんは全くのノーマーク。発表直後の午後6時半過ぎにインターネットで名前や所属を確認しても、詳しい経歴や人となりはわからず、とりあえず号外用に必要な写真さえなかった。京都市内の会社に急行した記者からの最初の連絡は「今日は帰ったそうです。今どこにいるかはわかりません」。この時点で、東京本社管内の最も早く印刷する朝刊の締め切りまであと2時間ほど(大阪本社用にはまだ少し余裕がある)。各社の記者が会社の担当者ともども駆けずり回ったあげく、共同の記者会見にこぎつけ、紙面ができあがるまでの慌ただしさは特筆ものだった。
とはいえ、ノーベル賞は明るいニュースだ。私は2晩続けてつきあったが、田舎の好々爺を思わせる小柴さんの笑顔も、作業服姿で会見した田中さんのはにかんだ表情も見ていて気持ちがよかった。「東大理学部をビリで卒業した」「昇進していく同期生を尻目に研究一筋」という2人の受賞は、重苦しさの漂う世相の中で一服の清涼剤となり、疲れも吹き飛ぶ気がした。でも、拉致の方はそうはいかない。山のように送られてくる記事をさばきながら、気分は落ち込み、それがずっと続いている。
事件の被害者や家族の動向が、その痛切な思いとともに報じられ、これまで救出の努力を怠っていた政府や政治家の責任が追及されるのは当然のことだ。死亡されたとされる人も、実際には生きている可能性があり、さらに真相をただす必要がある。しかし、そのことで在日の朝鮮学校に通う生徒が暴行されたり、戦争をあおるような大見出しが週刊誌にあふれたりするのはなぜか。いくら「一部の心ない輩」の仕業とはいえ、何とかならないのか、自分たちの報道にももっと改善すべき点があるのでは、と考えざるを得ない。
私自身は、何人かは亡くなっているかもしれないと思いつつ、「8人死亡」の数字にはやはり驚かされた。しかし、韓国では数百人の拉致被害者が帰国を求めている。何より、昭和時代には朝鮮半島から数万ともそれ以上ともされる人たちが日本に無理やり連行され(自ら望んできた人ももちろんいたが)、今回の11人と同様、異国での暮らしを強いられたのだ。当人や家族の涙の重さは日本人と変わらない。今、朝鮮学校に通うのはその被害者の孫やひ孫たちであり、彼らに暴行し進学や就職で差別することは許されない。そんな人たちは、仮に北朝鮮に拉致された日本人の子孫が同じことをされたとしても、文句は言えないだろう。
ある全国紙に、元文化庁長官の三浦某なる作家が「強制連行と拉致は別物」と得々として書いていた。植民地朝鮮は「法的には日本」だったという、とんでもない理由による。この程度の手合いが「知識人」面をしている現状も、恥ずかしい限りである。