まねき猫通信53ひきめ(2006年11月1日発行)
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トリの眼・ムシの目・ニャンコの目 (巻頭コラム)
「応益」というニホンゴ、『広辞苑(第五版)』には載ってないのにパソコンの漢字変換ではすぐ出てくるから、新語なのか? 応益負担とは、所得の高低や能力には関係なく費用の何割かを当該個人に負担させる方法。一方、応能負担は、負担能力のない者には税金や社会保険料を減免し、所得の高い者にはより高い負担率を課すことによって社会的再配分機能を期す。
受益者負担主義のアメが「応能」で、ムチが「応益」だ。福祉・教育政策の対象者をおしなべて「受益者」と定義する背景には「厄介者を養ってやっている」「教育・福祉は非生産的分野」というホンネがある。しかし「福祉」の第一義は幸福であって、公的扶助やサービスによる生活の安定、時には、命の救いや繁栄も意味する。「応益」とは「受ける利益に応じて」の意なのだろうが、福祉(=幸福)が「受益」か!? 欺瞞的悪意に充ち満ちたニホンゴ、それが「応益」だ。
介護保険制度は「福祉ビジネス化」の基礎になった。その基礎の上で、「障がい者自立支援法」が謳う応益負担主義と障がい程度の区分認定によって、障がい者の命が数量化され「福祉というビジネスに馴染まない者は死ね」という…暮らしを破壊される前に「自立法」を潰す!(パギ)