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まねき猫通信58ぴきめ(2007年4月1日発行)

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トリの眼・ムシの目・ニャンコの目 (巻頭コラム)

一二年前、神戸市須磨区の下中島公園に、被災した人々約二〇〇人が集まって『震源地』というコミュニティが誕生した。神戸市は最後の最後まで『震源地』を避難所と認定せず、遠く離れた仮設住宅へ移り住むように何度も圧力をかけたが「皆が一緒に元の生活を取り戻すんや」という信念のもと、後年建設された「大池住宅」へ一人も漏らさず全員が移り住んだ。これは比類なき快挙だった。

被災者はバラバラにされ、「地域」が崩壊したまま建物と道路の「復興」だけが成った。地震の後、神戸市は従来からあった「地域整備計画」を誰憚ることなく推進した。まさに漁夫の利、震災様々だったのではないか? 事実、猛火の中を市職員がしたり顔で当該地域を見回っていたという。

散水栓を工事して、煮沸すれば飲めるようにし、関西電力と交渉して電気を公園内に引いた。他の避難所内のトラブル解決のために校長と何度もやり合った…「生き抜くために今何が必要か?それ以外考えたことがない」と語っていた『震源地』のリーダー、田中健吾さんが三月一二日に癌で逝った。

モノの「復興」だけを誇る神戸市、そして、公園の野宿者を追い出すしか能のない 大阪市に、田中さんの生き様はどう映るか?(パギ)

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