まねき猫通信66ぴきめ(2008年1月1日発行)
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トリの眼・ムシの目・ニャンコの目 (巻頭コラム)
謹賀新年を僕は「僅賀新年」とずっと言い換えてきた。目出度さはいつも僅か…なのだ。現代韓国語では「明けましておめでとうございます」を「新年の福をたくさん受けてください」と言うが、以前は「過歳アンニョンハセヨ」とよく言っていた。過歳は「新年を迎えること」の意。昔は「年を越せた」だけで喜びだった。死なずに生きながらえた僅かな目出度さを言祝ぐ、それが正月だった。
我が家の大晦日が平穏だったためしはなく、毎年借金のことで両親の喧嘩が始まって「明日お正月」という嬉しさがぶち壊される。小学生の頃、ある年の大晦日に、立派な服装をした初老の男性が帽子を手に、途方にくれた表情で道ばたにじっと座り込んでいるのを見た。子供心に「このおっちゃんも年が越せんのやろな」と思った。
貧困は人の心を蝕み、平安と安寧を奪う。貧困からの脱却は人類共通の課題である。そして、日本は貧困を克服したはずだった。なのに今、この国の貧困率はアメリカに次いで世界第二位…障がい者の生活は「自立支援法」で壊され、その同じ手法が社会全体に広がっている。作り出された貧困に庶民は喘いでいる。そのカラクリを見破り、今年こそ「貧困を許さない元年」にしよう! (パギ)