まねき猫通信70ぴきめ(2008年5月1日発行)
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トリの眼・ムシの目・ニャンコの目 (巻頭コラム)
二九年ぶりに岡山県邑久郡にある長島愛生園と邑久光明園を訪れた。ハンセン病の国立療養所であるこの土地に、なぜもっと早く再訪できなかったのか? 我が内なる差別意識がなかったかといえば嘘になるだろう。今は橋が架かっていて、島は陸続きになったのだが、昔は連絡船が往来していた。邑久の海にはたくさんの牡蠣棚があって養殖が盛んだが、一九三〇年に愛生園ができてからは「病気が移る」という偏見が煽られて、わざわざ広島まで移送して出荷していた時代もあった。
古今東西にわたってハンセン病に対する差別と偏見は存在するのだが、日本の場合は戦争政策との関連を抜きにしてその歴史を語ることはできない。戦前の「無癩県運動」は「民族浄化と優生思想」に支えられていたし、特効薬プロミンの開発でハンセン病が完全治癒するようになった後も一九九六年にいたるまで強制隔離政策をやめなかった背景には、国家の戦争責任追及の不徹底さが現存している。
愛生園の入所者約四百人の方々は平均年齢七九才、うち一割以上が在日コリアンである事実が、差別と無作為の罪を物語ってあまりある。十年後、この島はどうなっているのだろう?これから十年間、私たちは何をすべきか?様々な思いを巡らせながら、皆で花見の宴に興じた。(パギ)